37.おかえりなさい
翌朝。
たっぷりのフルーツと焼きたてのパンに囲まれて、お父様お母様、キャロレンとルーベルンのいる食卓で朝食をとった。
「キャロレン様、失礼します。お口の端にジャムが」
「きゃっ。ありがとうございます〜」
「お気になさらず。家ではゆったりとお過ごしください。ここを出たらきちんとしていただきます」
「はいっ」
「ルーベルンさん、いつもありがとうございます。キャロレンったらすっかりあなたに懐いて…婚約者がいるっていうのに」
「それとこれとは別ですわ。お兄様がもう一人出来たみたいでわたくし嬉しいですのっ」
「僕も一家団欒の仲間入りをさせていただき、これ以上の幸せはありません」
「まあ。ほほほ」
「わはは、いい朝だなあ」
ハリエッタの家族ってなんだかんだ呑気よね…ルーベルンは怪しい人じゃないけど、キャロレンを拾ってきて育てるくらいだからそういう感じなのかしら。
そして、こうして見てるとルーベルンのキャロレンに対しての態度と私への態度は親密度こそ違うが、似てる。
彼の好きは家族とか親愛の意味だったのね。
じゃああのキスも私が家族と認めたっていう意味でルーベルンは驚いたのだ。
それはそれで嬉しい。
そうは言っても〜…別の期待をしていた私はどうにも拍子抜けしたままよ。
もしかしてシュナイツァーの好きも「お姉ちゃんみたいで好き」の間違いなんじゃないのかしら。
♢♢♢♢
今日も一人でグリンド家へお邪魔して、パルパル様と挨拶をする。
シュナイツァーはまだ眠ってるわ。
そろそろラング様も大変だろうなあ…
「パルパル様。私がシュナイツァーにキスをしたらおとぎ話の王子と姫みたいに目覚めると思いますか?」
私が何の気無しに聞くと、パルパル様は耳をピクンと上げて「遂にその意志を固めてくれたのですね」と弾んだ声を上げる。
「遂に…とは?」
「私も薄々そうなんじゃないかと思っていたのです。シュナイツァーとあなたが改めて正式に結ばれる保証…それはやはり口づけでしょう。この会話も聞いてるはずです。ほら、反応してます。ぱる、ぱる〜っ」
本当だ…
シュナイツァーの表情が少し動いて、それからしんどそうに元に戻る。
「もう体力が残ってないのでしょう。美月さん…そしてハリエッタ、お願いします。彼にキスを」
「えっ」
「お願いします。さあ、キスをっ!」
「あのう、えーと…でも心の準備が…」
「時間が無いんです、美月さんっ!」
「じゃあ目を背けててください…!」
「もう一回見てますから同じです!早くっ」
「は、はいっ」
うわあん、パルパル様が怖い。
でもこんな期待されまくりの状況でキスって。恥ずかしいってば…!
ルーベルンの許可(?)を得られたものの、私の気持ちはまだ整理出来ない状態。
うー、と寸止めでぷるぷるしていたら
「ぱるーっ。ぱるぱる」
とパルパル様が悲痛な鳴き声を上げる。
ここでにゃんこの声を上げるなんて卑怯です、パルパル様…!
そんなこんな、パルパル様に急かされて状況的に人工呼吸みたいとムードの無さを感じつつも、私は髪をかき上げ目を閉じてシュナイツァーの渇いた唇にキスをした。
一回目は「こう?」と分からなくてすぐに離れたが、角度を変えてもう一回。
ちょうど唇の形が合って心地良いくらいにぴったりになった。
いや、キスの仕方を研究してる場合では…
……
キスをしたままそっと目を薄く開けると、シュナイツァーの視線と合った。
私はパッと顔を離して、彼をまじまじと見る。
「シュナイツァー…起きたの?」
「起きました!やはりハリエッタのキスを待っていたんです!ぱるぱる!!」
パルパル様が大喜びでシュナイツァーの顔をぺろぺろぺろぺろ舐める。
シュナイツァーはぼーっとした状態で目を動かし、私とパルパル様を交互に見て固まった表情をぎこちなく動かしてかすかに微笑んでくれた。
その顔を見て、私の心が何かに反応した。
今まで感じた事もない何か。
「シュナイツァー!ああ、よかったです…!」
「……っけほっ、はり、ごほっ…!!」
「あ…シュナイツァー、無理しないで。少しだけ水を飲みましょう。スプーンでひとさじ差し上げます。ほら、ゆっくり…そう」
話そうとして咳き込むシュナイツァーを横向きにして背中をさすり、私はコップに注いだ水をスプーンで彼の口にじんわり染み込むようにゆっくり飲ませた。
彼がとても眩しそうだったのでカーテンをしめ、それからしばらく見つめ合う。
何を話したら良いんだっけ。
そんな想いで頭がいっぱいになり、私はずっと黙っていた。
パルパル様も話したい事はたくさんあるだろうに黙って見ていてくれる。
そうだ、人を呼びにいかなきゃ。
その前にシュナイツァーの意識がどれだけはっきりしてるのか聞かなきゃ…
「…気分はどう?どうしてここで倒れているのか…何があったか、大体覚えてる?あっと、無理に話したらダメよ。頷くだけでいいの」
「……」
私が仕事的に確認すると、シュナイツァーは記憶に自信が無いのか枕の上で少し首を振った。
「婚約パーティの事、…えっと、夜に私が森で叫んでいた時会った事、覚えてる?」
彼は不思議そうな顔でまた首を振った。
身体も顔も大人なのに、表情が無口な頃のシュナイツァーに戻っていた。
私が彼をまだシナリオに使う道具としてしか見てなかった、あの頃の。
「私の事はわかる?」
頷いてくれる。
彼が眠っていた間に、何があったのかは分からない。
思い出すと全部辛くなるから忘れようと押し込めちゃったのかもしれないわ。
ラング様が言ってた。
シュナイツァーは何も悪くないんだって。
彼はただ巻き込まれただけ。
…ごめんね、シュナイツァー。
あなたがそこまで傷つくなんて考えもしなかった。私はあの頃自分の事ばっかりだったわ。
今からでも私達、ちゃんと話してやり直していけるかしら。
私を覚えててくれてありがとう。
それだけで充分よ。
「なら良し。そろそろお医者様とご家族をお呼びしないといけませんわ」
「…ハリエッタ」
からからの声だったけど、シュナイツァーが何日…いいえ、きっと。何年かぶりに彼の言葉で私を呼んでくれる。
ルーベルンに感じたキュン、とは違う。
先程のキスを思い出して恥ずかしくなったりもしない。
ただ、
良かった。
彼が戻って来てくれて、良かった。
その気持ちが積もる雪みたいに心をゆっくり満たしていって…
涙が出そうなくらいに心に響く声だった。
泣いたらシュナイツァーが困ってしまうわ。
私は目をこすって、ニコッと振り向いた。
「話しちゃだめって言ったのに。…おはよう、シュナイツァー。おかえりなさい」
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