第54話 美月
卒業式を終えた翌日。
夕暮れの公園。
昼と夜の境界線。
明るい白から茜色に染められた世界、それが徐々に黒へと塗り替えられる時間帯。
世界が朧に見える黄昏時。
逢魔時とも呼ばれるこの時間帯。
魔に魅入られ災いを呼ぶと古くから人々が恐れてきた刻。
もしかしたらあの時の柚菜も、この時間帯でなければ魔が差すこともなかったのかもしれない。
それこそ魔が差した人間は簡単に人を殺めることだってありえるのたから。
そう周りから人望も厚い人物でさせ間違いを犯す。
そんな人は周りに「そんなことをする人には見えなかった」それこそ「魔が差したとしか思えない」という言葉で言われる。
冷静に考えれば、結局のところそれは他人に相手の気持ちは分からないということでもあるだろう。
でも私は思う、どんなに高潔な人でも人である以上弱さを見せる時があると、それこそ色々なタイミングが重なったときに、人は簡単に踏み違え過ちを犯すことがあるのだと。
だからこそ高校生に過ぎなかった少女が一時の感情で判断を間違えたとしてどこまで責められようか……というのは今になればこそ至った心境であり、あの頃の私では思い至らなかった考えだ。
いや、それすらも欺瞞だ。
結局のところ今も昔も変わらない、私にとっては悠貴が全てであり、私と悠貴の関係こそが何より守るべき大切なモノだから。
だから、これからする事は魔が差したなんて曖昧な言葉では許されない。
私は私の意志で手を汚すのだから。
そんな思いの中で、約束の時間に現れた件の少女。今は成人して綺麗な大人の女の雰囲気を醸し出していた。
「ふう、ここに来たってことは気持ちは変わらなかったってことね」
「はい」
落ち始めた夕陽を背に力強く頷く柚菜。
きっとその気持ちは本当なのだろう。
悠貴が卒業する四年間の間、柚菜はずっと悠貴を思い続けていた。そのことは私も知っている。
それこそ遠くで見守るしか出来ない距離感にもかかわらずに。
だからだろう私は柚菜が怖かった。
魔が差し、自分に負け、道を踏み外した弱かったはずの柚菜。それが今では執念ともいえる思いの強さを持ち、間違ったとしても諦めずやり直そうとする強い意志を持った姿に変わっていた事に。
もしかしたら今の柚菜なら、感情が元に戻ってきた悠貴は許してしまうのではないかとも。
だから、私は柚菜のその姿に敬意を表しながらも躊躇を捨てる。
そして、この取引を……それこそ悪魔のような取引を持ち掛ける。
期待するような目を向ける柚菜に向けて。
「これから提案することは常識的ではないわ。だから、どうするかはあなた自身で決断して欲しい」
「はい、覚えてます。約束してくれましたよね美月さん。私の悠貴を思う気持ちが変わらなければ道を示してあげるって」
「ええ確かに言ったわ、だから約束通りチャンスをあげる。そう悠貴の子供を産んで、自分の子供として育てるチャンスを」
「はっ? えっ、それってどういう意味なんですか?」
思いもよらなかっただろう提案に柚菜が驚く、当然だろう。私自身突拍子もない提案をしているのは理解している。
「私の実父って医療関係の会社をやっててね、その取引先に海外の企業もあるの」
「あっ、はい、それで?」
戸惑いながらも、柚菜は私の話を聞くつもりらしく、突然語りだした経緯に耳を傾ける。
「その中にね、不妊治療を研究しているところがあってね……そこに預けてあるのよ」
「……その、何をですか?」
「それはね……冷凍保存された受精卵。親は私と悠貴よ」
「えっ……それを話して、私にどうしろと?」
まだ私の意図が掴みきれていない柚菜が問い掛ける。
「だから最初に話したでしょう、悠貴の子供を生むチャンスをあげるって、日本じゃ無理だけど海外なら、コネも使って代理母として生むことが出来るわよ、あなたも悠貴の子供を」
『それこそ血の繋がらない、私と悠貴の子供をね』
その後の言葉は口にはしなかったけど、柚菜も意味は理解しただろう。
だからこそ、そう告げた私の言葉に、柚菜の表情が固まる。
もしかしたら柚菜には私の顔は本物の悪魔に見えたかもしれない。
それこそ我が子を贄にする血も涙もない悪魔に。
それがもし、壊れる前の柚菜に戻っていたなら尚更だろう。
「それが、美月さんの示す道ですか?」
「そうよ、もしあなたが悠貴以上に愛する存在があるとすれば、それは悠貴の子供以外考えられない。それに自分のお腹を痛めて生んだ子なら尚更でしょう」
私が笑みで答えると、呆然としていた柚菜の表情が崩れ抑えていた本性が顔をのぞかせる。
「……ふっふ、フッフフ、さすが、流石ですね美月さん、こんな奥の手を用意していたなんて想像もつきませんでした。それに分かってましたよね。こんな提案されれば私が断らないってことも」
「ええ」
柚菜の言った通り、私はこの提案を柚菜が断るとは思っていなかった。
それはそうだろう恋い焦がれた悠貴。
その分身とも言える存在が、忌み嫌うケダモノのような行為なしで授かる事ができるのだから。なにより産んだ最愛の子供が、もし血の繋がりのない息子だとしたら……。
「あははっ、それで美月さん、もちろん産んだあともそれなりに保証があるんですよね」
「ええ、その企業のモニタとして子供が成人するまで生活保障するわ、もちろん出生登録も正規に行われる手筈よ」
「そうですか、なら安心ですね。ますます、その提案を断る理由がなくなりました」
「なら取引成立ってことでいいかしら」
「はい、勿論です」
柚菜の承諾を確認し、持ってきていた代理母としての契約書を交わす。
条件の中に、柚凪が今後一切私と悠貴に接触することを禁止する内容も含めて。
私達はお互いの利害のため、この悪魔のような契約を交わす。
そこに罪悪感が無いわけではない。
でも私は悠貴と私の幸せを優先した。
きっとそれは、あの時から変わっていない醜い私の本性。
だって私はとっくに人として堕ちていたから。
そうあの時。
悠貴が恋い焦がれていた私の母さん。そのフリをして、偽りの母として悠貴に求められるまはま女として抱かれたときから……罪を重ね悠貴を欺き続けた時からもう。
でも、その事を私は悠貴に言うつもりは無い。
無駄に罪悪感を背負うのは私だけで充分だから。
それに、あの紫という女のこともそうだった。
何故ならあの女に一番共感したのは何より私だったからだ。
恐らく、あの時あの女の気持ちを一番理解できたのは私だった。だからこそ、分かっていた、どうなるか予測できていたのに私は彼女を止めなかった。
それは悠貴に直接関係ない事だったから、結局のところ私は悠貴以外がどうなろうと知ったことでは無い冷たい人間なのだ。
そして私は同じことを繰り返す。
生まれてないとはいえ自らの子供を利用し、柚菜という存在を悠貴の元から引き離した。
私と悠貴、これから生まれてくるこの子の為に。
勿論この事を悠貴に話すつもりはない。
話せば悠貴は自分にも責任を感じてしまうだろうから。
だから罪を共有するなんて甘いことは許されない。
自らの意志で手を汚したなら、その責任は最後まで自分で負うべきだから。
罪を償うために許しを乞うのではなく、罪を背負い続けることこそが私の残された道だろうから。
そして、きっとそれは柚菜も同じだろう。
何よりも愛していたはずの悠貴を裏切り、許されるよりも許されない咎の道を進もうとした彼女。
そして悪魔のような私の提案に賛同した彼女は、温かな親元を離れ、大学も辞め、いずれ生まれてくるであろう子供のためだけに生きていくのだろう。
そこに罪悪感を感じるのかは彼女次第だけれど。
でも、私達の覚悟は決まっていた。
最後にお互いに必要な話を済ませると、自然と握手をして短い別れの挨拶を交わす。
「じゃあね」
「はい」
そうして名残惜しむことなどなく、すっかり暗くなった公園を後にする。
彼女は目の前に照らされた希望にたどり着くために。
私は長年待ち望んだ幸せを守り続けるために。
もう二度と交わることのないだろう、それぞれの道を進み始める。
それはきっと手に入れた幸せの裏で苦悩し続ける茨の道。
でも私も彼女もそれを承知で、人として倫理観を捨て堕ちたのだ。
だから悔いなんてあるはず無い……たぶん……きっと……。
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ここまで読んで頂きありがとうございます。
次回で最終回になります。
あと、それに伴いサブタイトルを少し変更しております。
宜しければ最後まで読んで頂けると嬉しいです。
あと新作の方も
多くの方に読んで頂きありがとうございます。
まだの方は、読んで頂けると作者が大いに喜びます。
異世界恋愛ファンタジーで。
タイトル
『貧乏旗本の三男坊に嫁いできてくれた元聖女の嫁が可愛すぎるので……。』
https://kakuyomu.jp/works/16817139557602664666
になります。
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