第44話 姉を慰める


 姉さんが少し遅い時間に帰ってくる。


「ぐすっ、ゆうき〜」


 帰ってくるなりに泣きながら僕の胸に飛び込んでくる。


 僕は優しく抱きしめる。



 僕と姉さんが本音で話し合ったあの日。

 僕と姉さんの関係も大きく変わった。


 僕が姉さんをどう思っているのかが自分の中でも形としてハッキリと掴めてきた。


 きっと小鷹さんが初めから言っていた通り、僕は姉さんを好き……いや愛していたのだろう。


 僕から姉さんが離れていくかもしれないという喪失感はあの時、父さんと義母がいなくなった時と同じようでいて、もっと生々しい感情だった。


 僕はこの感情がもっと欲に塗れた良くないものだと思っていた。

 だから小鷹さんには悪いけど、その欲望の捌け口として、あの時の小鷹さんの突拍子もない提案を受け入れた。


 結果は情けないもので、いざ事に及ぼうとして僕は男として機能しなかった。


 あんなに姉さんを欲していたのにも関わらず、小鷹さんを僕は欲望の対象として求めることが出来なかった。


 そこで僕はようやく気づいた。

 この重く沈んだどす黒い感情が、欲望に呑まれた醜いものだとしても、僕が欲して止まないのは姉さんだけなのだと。

 他は必要ないということに。


 その時の僕は申し訳ない気持ちで小鷹さんに謝った。ここまでお膳立てしてもらっておいて、いまさら出来ませんなんて、恥をかかせるようなものだ。


 でも、小鷹さんは笑って許してくれた。

 自分も同じだからと。

 いざここまで来ておいて、お兄さん以外に抱かれることに嫌悪感を持ったらしい。

 どんなに気持ちが結ばれていなくても、一方通行の思いだとしても、やっぱり好きな人にしか抱かれたくないのだと気が付いたと言った。


 ここまで来ておいて、僕と小鷹さんの出した結論は同じようなものだった。


 歪んでいようが、醜かろうが好きな人以外は抱きたくないし、抱かれたくない。

 愛しているからこそ、体の繋がりを求めるし、応じることが出来るのだと理解した。


 こうして僕と小鷹さんはお互いの理解者となれた。いわば友人と言っても差し支え無いだろう。


 お陰で僕は、姉さんにちゃんと伝えることが出来た。

 小鷹さんとのやり取りを嘘偽りなく説明して、自分の今の気持ちを。


「姉さんのことを姉としても、ひとりの女性としても求めて止まない」という事実を。


 姉さんは驚いていたけど、涙を流して僕を抱きしめると、耳元で囁いてくれた。


「私もずっと悠貴を愛していたと、弟としてもひとりの男としても」と。


 そこの言葉だけで僕は歓喜した。

 腹の奥底にあるヘドロを吐き出すような気持ち悪さは微塵もなく、ただただ愛されていたことに対しての喜びしか感じられなかった。


 姉さんも同じなのか笑顔を見せくれると、優しくキスをしてくれた。


 でも、直ぐに悲しそうな表情に変わると言った。


「私は悠貴に謝らないといけないことがある。それを聞いた上で、私を受け入れてくれるかどうかは判断して欲しい」と。


 決意と共に悲愴感漂う姉さん。

 僕をじっと見つめると重い口をひらいた。


 その内容は信じられないものだった。


 僕はある事が切っ掛けでどうやら精神的に幼児退行するらしい。


 そしてその時、僕は姉さんを母親として勘違いして甘えるそうだ……際限なく。


 だから僕は問いただした。


「それのどこに姉さんが謝る理由があるんだよ」と。

それに、「むしろ迷惑を掛けていたのは僕の方だ」とも。


 そんな僕の訴えに姉さんは首を振る。


「違うの、私はそんな判断の付かない悠貴をいい事に、間違いを正さなかった。むしろ幻想の母親を演じて、悠貴に……貴方に求められることに喜びを感じていた卑怯者よ」


 そう自分を卑下する姉さん。

 どう考えても僕の方が迷惑を掛けていたのは明白だったのに。


 だから僕はその時明言した。


「姉さんは卑怯だというけど、本来の僕ではない僕ですら姉さんは受け入れてくれたって事だろう。感謝することはあっても、姉さんを嫌いになることなんて有り得ないよ」


 すると姉さんも泣きなから、嬉しさを隠しきれない表情で僕に応えてくれた。


「でも…………ううん、ありがとう悠貴。嬉しいよ、うれしい……大好きよ悠貴」


 そう言ってくれた姉さんだけど、どうにも完全に払拭しきれていない様子もある。でもひとまずは大丈夫そうだったので、一応確認を取る。


「うん、僕も…………だからさ、姉さん、僕たちって思いが通じ合ったってことで良いんよね?」


 僕の問いに、姉さんは涙を拭うと微笑む。

 そして何故か首を横に振るとこう言った。


「まだよ。まだ、私は私として悠貴を抱き締めていないから」


 そう言葉にして姉さんは強く僕を抱き締めた。


「姉さん……」


「ずっとこうしたかった。母親の私じゃなく、姉として、本当の自分として悠貴を愛してる気持ちを伝えたかった」


 思いを示すかのように強く抱きしめてくる姉さん。僕も思いを返すかのように強く抱きしめ返すともう一度自分の気持ちを伝える。


「姉さん。大好きだよ」


 僕がそう伝えると、自然と瞳が絡み合い、唇が自然と引かれ合う。


 お互いの気持ちを確かめる為の優しいキス。


 不思議と、あの気持ち悪い黒い衝動が鎌首をもたげることは無かった。



 その日から僕と姉さんは姉弟の関係から恋人……のような、そうじゃないような、なんとも形容し難い関係を維持しつつ、お互いをより大切な存在として認め合うようになった。




 そして今日は何故か姉さんが泣いていた。

 柚菜に会ってくると言っていたが、まさか姉さんが柚菜相手に遅れを取るなんてことはあり得ない。

 だろから兎に角不思議だった。


 珍しく落ち込んでいる姉さんの頭を撫でながらあやす。


 以前なら信じられない光景。

 これもあの日から変わってきた事のひとつ。


 姉さんが僕に甘えてくれるようになった事。

 それは僕にとっては喜ばしいことに感じられた。


 柚菜でも付き合っていた時にはここまで露骨に甘えては来たことは無かったからだ。


 気位の高い猫が頬ずりするように、僕の胸元でじゃれる姉さんは僕ですら可愛いと思えてしまう。


 そして、そんな姉さんに愛おしさが募るが、今日も幸いなことなのか、欲望の捌け口としての衝動が込み上げてくることはやっぱり無かった。


「姉さん……好きだよ」


 そう言って顔を上げさせ、そっと口づけを落とす。


 それだけで幸福感に満たされる。


「うぅうう、ゆうきー、ゆいきぃぃ」


 姉さんもますます僕に擦り寄りゴロゴロと甘えてくる。もう僕にとって姉さんさえいればそれで良いと、他には何も要らないと思わせてくれるくらいに幸せで。


 このまま二人だけの世界に堕ちてしまっても構わないと思ってしまった。


 

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