第43話 姉の自滅
薄暗い部屋で、薄ら笑いを浮かべる柚菜を見る。
以前は感じることのなかった嫌悪感が湧き上がった。
本当なら無視するのが一番なのだろう。
でも、この子は放っておくと何をしでかすか分からない怖さがある。
だから連絡先もメッセージも、あえてブロックしていない。
接点を残しつつ動向を窺うためにそうしている。
不穏な動きをしたら真っ先に私が対処出来るようにするためだ。
ただ、今回の件は完全に後手を踏んだ。
まさかあの男も柚菜の息が掛かっていたとは想定外だった。
元は友人からの紹介で知り合った為、柚菜との関連性など考慮していなかった。
「それで、
「はい、実はその人私の従兄弟なんですよ。いやー偶然ってあるんですね。カズ兄から美月さんの名前が出たときは驚きましたよ」
話しぶりから、彼と知り合った切っ掛けに柚菜は関係ないようで安心する。
「それで、どうしてその従兄弟と私をくっつけようとしたの?」
「いや、カズ兄に相談されまして、どうやら一目惚れだっだみたいですよ。だから偶偶美月さんのことを知っていた私がちょっとしたアドバイスを送った。ただそれだけてすよ」
以前あったときよりも多少は腹芸を身に着けたらしく、回りくどい当たり障りのない答えしか言わない。
「そう、わざわざ写真まで撮ったりして至れり尽くせりね。正直あの写真を撮られたのは私の甘さだけど、それを悠貴に送ったのはいただけないわね」
そう、私が許せないのは悠貴を巻き込んだ事。
その私の言葉に対して、柚菜はどこか満足げで慈愛に満ちた表情を見せると、こう宣った。
「それも含めて悠貴のためですから」
もう呆れるしかなかった。
柚菜は悠貴のためだの、悠貴を守るだの御託を並べ立てていたくせに、結局のところ悠貴に不安を与えた。
「それで悠貴が傷付くとは考えなかったの?」
「勿論、考えました。でも悠貴にとって美月さんはまだ姉ですから、私のときとは違い、関係をスッパリ切ることは無いと分かってましたから。これもある意味で悠貴を理解している私だからこそてすね」
得意げに語りだす柚菜に苛立ってしまう。
まるで自分の方が『悠貴を知っている』と言っているかのように聞こえてしまったからだ。
「ええ、おかげでアナタの時とは違って、悠貴はちゃんと私の話を聞いてくれたし……何より私の事を信じてくれたわ」
だからだろうか柚菜の状況と比較して揶揄してしまう。
「そうですか……やっぱり悠貴にとって家族という存在は大きいんですね……でもやっぱり私の想定していた結果通りです。予定よりは早くなりましたけど」
一瞬沈んだ顔を見せたと思えば、直ぐに笑顔になって勝ち誇った顔を私に向ける。
いつもの私なら一蹴していたはずなのに、今の私は冷静では無かった。
醜い女の部分が顔を出し、張り合う必要など無いはずなのに、自分の方が悠貴に相応しいと主張しようとする。
「ある意味ではアナタのおかげね、本当に……悠貴と私がお互いの意志で一線を超えることができたのは……」
私がそう告げた時、柚菜が信じられないモノを見るような表情に変わった。
その事に少しだけスカッとしつつ、頭では言わなくていい事を言ってしまった事を後悔する。
だから困惑気味の柚菜にこれ以上詮索させないために、本当に言いたかった事を告げる。
「……でも、それで悠貴が深く傷つくようなことがあったとしたら、どうするつもりだったの」
自分でも驚くほどの低く威圧するような声で。
結果的には丸く収まったし、悠貴が私のことで気を揉んでくれた事は喜ばしかった。でも、それで一歩踏み外していたら、また悠貴が傷付くことだってありえたのだから。
柚菜も驚いたのかマジマジと私の顔を見る。
「その、その時は私が今度こそ悠貴に寄り添って癒やしてあげられればと……」
「ふぅ、結局あわよくば悠貴の隣に収まろうとしていたって事でしょう。前に言っていた言葉は嘘だったの? 恋人関係には戻りたくないと言っていたでしょう」
前に言った柚菜の言葉を本気で信じていたわけでもない。
そもそも破綻して自己完結している思考に何を言っても無駄だと分かっていても、言うだけのことは言っておきたかった。
「もちろん恋人になんてならないですよ。ただ見守るだけです一番近くで……そうですね姉のポジションは美月さんに取られてしまったので、さしあたり母親的な役割というのはどうでしょうか?」
有り得もしない妄想で調子を取り戻したのか屈託なく微笑む柚菜。
私は逆にその言葉を聞いた瞬間、瞬間湯沸かし器もビックリなくらいに、怒りの沸点を超えそうになる。
この女はきっと、その言葉の重さを理解していない。
私は、なんとか理性を総動員して、思わず引っ叩きたくなる気持ちを抑える。
「アナタ、それがどういう意味か分かって言ってるの?」
気持ちを抑え込んだまま、こんどはまったく感情の籠らないまま冷めた視線で柚菜に尋ねていた。
悠貴にとってそれがどれだけ重要な立ち位置なのかを分かっているのかと?
実の母に歪められ、義母となった私の母を失った事で今の悠貴になったという事を……もし分かってて言っているのなら……。
「あっ、確かに母親はさすがに歳が釣り合わないですね。なら妹で構いませんよ」
返ってきた答えは戯言だった。
幼馴染で付き合いが長かったとはいえ所詮は他人だ。悠貴をそこまで理解していない事が分かり、歪んだ優越感が私を支配する。
「そう、なら許してあげる。そんな重要な事すら理解していないなら、さっきの発言は無かったことにしてあげるわ」
自分でも理解している醜い感情。
柚菜相手にマウントを取ったところで仕方ないと分かっていながら言葉にしてしまう。
「それって……」
そんな不必要だった私の言葉に何かを感じ取ったのか柚菜が考え込む。
その姿を見て、私は再度後悔する。
先程からのつまらない女の見栄が、与えなくても良い気付きを与えてしまったかもしれないと。
そんな私の考えが杞憂に終わらないことを柚菜の態度が物語る。
「そっか……そういう……だったんだ」
独り言を呟きながら、その瞳には鈍色の輝きが増す。
完全に私の失態。
普通なら気付けないだろう。
だけど、この女は悠貴との関わりだけなら私よりも長い。
それこそ悠貴の実の母とも話したことがあるくらいには。
実際に悠貴との間に何があったかまでは想像はつかないだろうが、悠貴が母親という存在に対して並々ならぬ執着を持っている事。それを思い出し予想が付いたのかもしれない。
「ありがとうございます美月さん。私も分かりましたよ悠貴が本当は何を求めているかを、わざわざ遠回りでヒントを出すなんて……もう美月さんも素直じゃないですね」
嫌味など感じられない、素直な感謝の言葉。
柚菜の現在の思考ではそうなるらしい。
「アナタの想像したことが仮に事実だとして、アナタはどうするつもりなの?」
「どうって、決まってますよ。悠貴が欲しているのならそれを与えてあげたい。でも、それは私では無理でしょうから」
「まさか……」
まさかとは思うが性欲処理の為に彼女を用意すると言ったときのように、母親を用意するなんて言い出さないかと心配する。
「まあ、それはこれから考えますよ。やっぱり美月さんは私の目標で越えるべき壁なんだって実感しました。でも美月さんのヒントのお陰で次の目標が決まったので私は帰りますね」
そう言って帰り支度を始める柚菜を見る。
自滅という形で、完全にやらかしてしまった私に、もう呼び止める気力もなかった。
仮に呼び止めたところで、今の私ではさらなる墓穴を掘る可能すらある。
「悠貴に母親の事は思い出させないで絶対に」
ただ一言。柚菜が勘違いしないように釘を刺す。
悠貴にとって母親という存在はパンドラの箱なんかではない、そこに希望なんて存在しないから。
だからこそ迂闊に開いてはいけないのだと。
「はい、分かってますよ私だって悠貴の身に起こった事ぐらいは知っていますから」
幼馴染として柚菜もそこはわきまえてくれていた。
しかし、もっと踏み込んだところでは、身内でなければ知りようの無い事実もある。
だけどそれをこの女に言うわけにもいかない。
私は自分の失態のせいで、開けてはいけない箱を開けてしまう可能性を広げてしまった。
おまけに柚菜に帰り際に言われた一言。
「その香り、悠貴喜んでくれましたか、前に気に入ってくれた系統の新作みたいだからお勧めしたんてす」と。
私は項垂れ、二度とこの香水は使わないと心に決めた。
完全に自滅した私は失意のまま。
少しでもストレスを発散するためにヒトカラに勤しんだ後、トボトボと帰宅した。
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