第40話 近づく姉と弟

 本来の話を忘れてすっかり自分語りに酔っている目の前の男の話を、あくびを我慢しながら聞く。


 本来は大学同士の学園祭のコラボ企画で、他大学であるこの人も含めた実行委員皆で集まって話すはずだった。


 前回も同じように集まる話になり、なぜかこの人と私以外は場に現れず。ドタキャンの連絡が届いた。


 これが前回だけなら偶然の可能性も考慮したが、こうあからさまに続くと意図的としか思えなかった。

 どこぞの誰かのお節介焼きが、私とこの人を引っ付けようとしているようだ。

 もしくは、この人自身がそうセッテイングさせた可能性もある。


『はぁぁぁ』


 口に出すことなく、心の中で盛大なため息を吐く。


 この人だって最初はこんな感じては無かった。

 もっと距離を取って、これほど自分アピールに必死でも無かった。

 歳上という事もあり落ち着いてもいた。

 何より彼にも兄妹がいるらしく、弟の可愛さを語っても引くどころか話に乗ってきたのが好印象だったのに。


 結局、この人も他の男達と同じだったという訳だ。まあ、勘違いさせてしまった要因はこの香水だろうか?


 確かにこの香りを教えてくれたのはこの人だ。


 元々つけていた柑橘系の香りの香水について聞かれた時、正直に弟が好きな香りだからと答えた。すると、フルーティ系の最近出たピーチの香りはきつ過ぎないから、弟くんも気に入ってくれるんじゃないかと勧められたのが切っ掛けだった。


 だから早速買ってみて、悠貴にも匂いを確かめてもらい、顔を赤らめて気に入ってくれたようなので最近はこの香水に変えていた。


 前回会ったときも、やたらと近い距離で香りを嗅いで「気に入ってくれた?」と聞いてきたので、私としては、悠貴が「気に入った」と答えていたのだが


 それがどうやら勘違いさせてしまったらしい。

 元々弟が好きな香りを選んていると伝えていた筈なのに、自分に合わせて変えてくれたのだと。


 もちろん、私的には絶対条件として、悠貴が気に入るか気に入らないかが基準なのは変わらない。

 でも、よくよく考えれば自分が勧めた香水を、意中だった相手がつけてくれば勘違いも起こり得るのだろう。


 という訳で考えを纏め上げると、これ以上傷口を深くしないためにも、ハッキリと私の気持ちを伝える。


 今まで上機嫌だった顔が見る見る悲愴感に覆われていくのは忍びないが、これ以上勘違いさせてしまうほうが申し訳ない。


 ただ本来の目的である学園祭の企画についてはキチンと話を付けておく。


 別れ際は、しつこく誘われることも無く、寂しそうにしていが、拗れて粘着するようなストーカー気質では無かったようなので少し安心する。



 この件を仕組んだ友人には後でたっぷりお説教するとして、何だか疲れてしまった。

 今は早く帰って悠貴の顔を見て癒やされたい。


 最近、実行委員の関係で帰りが遅くなったりして、悠貴と顔を合わせる時間が減ってしまっているので尚更だ。


 急いでタクシーを拾い、家へと帰る。


「ただいま」と声を掛け、中に入ると部屋は暗いままで人の気配がしない。


 慌ててスマホを確認すると、悠貴からメッセージが届いていた。


『今日は帰りが遅くなるから先にご飯食べてて』と。


 思わず過保護な面が顔を出し「いまどこ? 誰かといるの?」と言及しそうになるがグッと抑える。


 過度に干渉して嫌われたくないから。

 もちろん、そんな事で悠貴が私のことを嫌うなんて思わない。

 でも想像してしまうと、恐ろしくてしょうがないのだ。仮に悠貴から「ウザい」なんて言葉を投げ掛けられてしまったら……多分一週間以上は精神的に立ち直れない自信がある。


「あーあ」


 誰も居ない部屋で悲嘆の声がもらす。

 悠貴に早く会いたくて、急いで帰ってきたのに肝心の悠貴が居ない。

 そして考えてしまう、最近私も帰りが遅かった。

つまり同じように、悠貴にも寂しい思いをさせてしまっていたのかと。

 実際に最近の悠貴は少しよそよそしい感じになっていた。

 まるで、あの時みたいに……。


 色々な想像が頭の中を駆け回る。


 本当は今日話したことを纏めて企画書を起こさないといけないのだけれど、何もする気が起きなかった。


 部屋の電気をつけることすら億劫で、そのままソファに座り込んでボーッとすることにした。


 悠貴が帰ってくるまでは……。




 それから、何分、いや何時間そうしていたのだろう。時間の感覚が分からない。


 ただ、目の前が急に明るくなり目を開けていられなくなる。


 とたん、一番聞きたかった声が耳に響く。


「ねっ、姉さん、どうしたの?」


 慌てた様子の悠貴が、光に慣れてきた目に映る。


 私は自分がどんな状態なのかも気づかないまま悠貴に笑顔を返す。


「おかえりなさい悠貴」


「いや、ただいまだけど、それよりどうしたの姉さん。何か辛いことでもあったの?」


 悠貴の言葉の真意が分からない。

 ただ辛かったというか、悠貴がいなくて凄く寂しかったというのはある。

 ただ、それを面と向かって悠貴に言えるわけなく、曖昧に笑って誤魔化そうとする。


「ねえさん……もしかして振られたの?」


 悠貴が私の全く予想していない事を言い出す。


「えっ? 何言ってるの悠貴。流石に意味が分からないよ、何でそんな事言うの?」


 言葉以上に悠貴に彼氏が居ると思われていたのが悲しかった。私はそんな動揺を隠しきれず声が上擦ってしまう。


「いや、だって姉さん泣いてたみたいだから」


 悠貴に指摘されるまで気づいていなかった。

 どうやら私は寂しくて泣いてしまっていたらしい。

 本当に自分が情けなくなる。


「あの、これは違って……そもそも泣いていたとしてなんでそれが失恋に繋がるのよ?」


 泣いていた理由を誤魔化す意味でも、悠貴にそう思った理由を確認する。


「今、その付き合っている人が居るよね。もしかしてその人と何かあったのかなって、それで姉さんが泣くほどの理由を考えたら」


「成る程。理由はわかったけど、まず第一の前提が間違ってるわ、私に彼氏なんて居ないわよ」


 本当なら自慢することでは無いだろうが悠貴に誤解なんてされたくない。


「えっ、でも……」


 悠貴が何か言いたそうにして言い淀む。


「いない、いないから。だいたい、そんなありもしない情報どこから出てきたの?」


 悠貴を惑わせる、出鱈目な情報を吹き込んだ犯人に怒りを向ける。


「えっと、そのこんな写真が送られてきてさ」


 私の剣幕に、どうやら本当だと理解してくれたらしい悠貴が申し訳無さそうに写真を見せる。


 そこに写っていたのは、私と今日会っていた彼。しかも、まるでキスしているようなアングルの写真だった。

 もちろん悠貴以外とキスなんて酔った勢いでだってしない。


「はあ、誰だか知らないけどしてやられたわね。確かにこの人とは何度か会ったりしてたけど、そんな関係じゃないわよ。この写真だって上手くそういうふうに撮ってるけど絶対にキスなんてしてない、それこそ母さんと義父さんにだって誓えるわ」


 先程から揺れ動く感情を落ち着けながら、なるべく冷静に事実を伝える。

 キスしているように見える写真に関しては、私がいくら否定しようが、そう見えてしまうのは避けられない。

 だから悠貴に信じてもらうには、私達姉弟の大切だった人達にかけて誓うぐらいしか思いつかなかった。


「そっか、そうなんだ。良かった」


 私の言葉に安心したように笑ってくれた悠貴。

 たまらず抱きしめる。

 ほのかに香るいつもの悠貴とは違う匂いに胸が疼く。


「ごめんね悠貴。勘違いさせて、私が好きなのは悠貴たけ、悠貴だけだから」


 そこには姉としてだけではない気持ちも含まれていた。例えそれが悠貴に伝わらなくても良い、ただの自己満足としても今、言葉にしておきたかった。


「……そっか、小鷹さんのいった通りだったよ」


 悠貴の口から最近知り合ったという偽カノをしてくれているらしい娘の名前が出る。

 それだけなのに、今の私はどうにも情緒不安定らしい、それだけのことで嫉妬してしまうのだから。


「ねえ、今日はその小鷹さんと一緒に居たの?」


 私は顔を上げけると、自分の事を棚に上げつい悠貴に尋ねてしまっていた。


 自分でも気付かない程の鋭い目をして。




 

 


 

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