第38話 心と体

 最近、お兄ちゃんの雰囲気がさらに変わってきた。


 どんどん以前のように戻りつつあるのだ。


 これも、ひとえに献身的な私の存在が功を奏しているのだろう。


 そして、引きこもって以来、始めて自分の意志で外に出る決心をしてくれた。


 正直に言えば、依存するように私に甘えてきてくれたお兄ちゃんも捨てがたいのだけれど、元に戻ってくれるならそれに越したことはない。


 ただ、その切欠が私ではなく、最近ハマっているユノ関連でのオフ会というのが少しだけ残念な気がする。

 出来ることなら私への愛で、引き籠もりを脱する決心をしてほしかったという気持ちがどこかにあるからだ。


 まあ、そんな私の些細な気持ちなんて、お兄ちゃんの為と思えばどうということもなく。

 逆にそのオフ会に向け、リハビリも兼ねて何度かお出かけしていることを考えれば役得のほうが多かった。

 しかも、最近では伸びた髪を切りに理髪店まで行けるくらいにはなっていた。



 そうしてオフ会本番当日。

 ついにお兄ちゃんは一人で出掛けることになった。


 本当は心配で付いていきたかったけど、お兄ちゃんにやんわりと断られた。

 私も、音楽好きの集まりだからと楽観視していた。だから、たいした不安もなく、頑張ってという気持ちでお兄ちゃんを送り出した。


 それが、あんな結果を招く事になると知らずに……。




 その日、帰ってきたお兄ちゃんは今までとは違う目の輝きを見せていた。それは純粋な光に満ちたものではなく、どこか鈍く歪な輝き。

 実際、お兄ちゃんは再び引きこもってしまった。

 今度は両親どころか、私にすら心を開こうとしない。ただひたすら、聞いたことの無い女の歌を、部屋の外まで漏れ聞こえる音量で、何度も繰り返して聴いていた。


 そして、そんな日が何日か続いた後、完全に引きこもった筈のお兄ちゃんが、なぜか今私の目の前に居た。

 常夜灯で仄かに照らされた部屋の。

 私のベッドの上で。

 私に跨り見下ろしていた。

 引き籠もっていた時の虚ろな表情ではなく。

 たぎらせた欲望を隠すことなく、獰猛な瞳で私を見ていた。


 私は直ぐに理解した。

 このまま私は犯されるのだろうと。


 別にお兄ちゃんに抱かれる事は嫌ではなかった。

 それは、ある意味で私自身が夢見ていた欲望でもあるのだから。そう、私は大好きなお兄ちゃんと、ひとつになる事を望んでいた。


 望んでいたはずなのに……。

 私は恐怖した。


 私を私と見ていないお兄ちゃんの瞳に。

 獣のように、本能を剥き出しにした男というものに。


 そして、それはリアルな感覚として私にもたらされた。

 夢に見たような甘く甘美なものなど全くない、ただの苦痛として。


 大切で、大好きで、間違いなく愛している人なのに、そこに感情の交わりはなく、ただ与えられる刺激に反応するだけ。

 思い描いていた甘く幸せな気持ちなんて一切湧かなかった。


 そして、全ての欲望を私に吐き出し、正気に戻ったらしいお兄ちゃんだったものは泣いた。

 自分のやったことを理解したらしい。


 私は虚ろな気持ちのまま、お兄ちゃんだったものを抱きしめる。

『泣きたいのはこっちだ』というほど悔しい気持ちでもなく、初めてを奪われた悲愴感も無かった。

 ただひたすらに空虚なだけで、隣から漏れ聴こえる女の歌声だけが煩く感じた。



 そうして、その日以降歪んだ関係が日常になった。


 兄は四六時中あの曲をエンドレスで聴き、夜中にケダモノになる。そして欲望を満たせばまたお兄ちゃんに戻り、泣いて謝る。


 私はというと、変わったのは行為に慣れたせいで痛みを感じなくなった事くらいで、気持ちが満たされることは無かった。


 だけど、さすがに私もこの状況が良くないことは理解できている。


 親に相談しようとも考えたが、そうなると兄がどういう事になるか分からない。


 結局、ここまで来てもなお、兄を心配してしまう私は、諦めきれていないのだと思う。


 おかしくなってしまった兄が、いつかお兄ちゃんに戻って、本当に私を愛してくれることに。


 しかし、そうなってくると選択肢は限られてくる。

 こんな重い話を相談できるほどの友人はおらず、必然的に私が思い浮かぶ人物は一人だけになった。


 私と同じように、親族を愛してしまっている同志。偽とはいえ彼氏でもある如月先輩だ。


 あの人なら、きっと私の話にもひくことなく聴いてくれるだろう。

 そう思ったら、居ても立っても居られず直ぐに連絡をした。


『重要な相談があります』


 メッセージを送ると、珍しく直ぐに返事が来た。


『丁度良かった、僕も相談したいことがあったから』


 またまた珍しい事もあるものだ。

 あの凛堂柚菜ですら問題にしていなかった先輩が相談事なんて、これは正に運命の導きなのかもしれない、私は唐突にそう感じ、直ぐにメッセージを返す。


『今からでも大丈夫ですか?』


 今日は日曜日で学校も休みだ。

 どうせ兄は夜中にならないと出てこないし、今からの時間ならまだ喫茶店も営業している。

 

『了解。時間は?』


『一時間後でも大丈夫ですか?』


『大丈夫』


『では、例の喫茶店で待ち合わせしましょう』


『分かった。よろしく』


 簡潔なやり取り済ませると直ぐに出掛ける準備をする。


 家から出るだけで、陰鬱な雰囲気が少しだけ晴れた気がする。

 今日は自分を労う意味でもスペシャルブレンドを頼んでも良いかもしれない。


 そんな事を思いつつ、ほぼ時間きっかりに喫茶店へと到着する。


 店内に入ると、すでに如月先輩が座って待っていた。

 お互いに相談事があると分かっているので、周りに人がいない奥の席を確保してくれたようだ。


 私は少しだけいつものテンションに引き上げ、如月先輩に話し掛ける。


「先輩。お待たせしましたー」


 すぐに先輩から定番の返しがくる。


「いや、丁度今来たところだから」


 傍から見たらカップルに見えたりするのだろうか。まあ、本当のところ、先輩が私に気を使うことなんて無いだろうから、言葉通りの意味なのだろう。


「先輩、注文は?」


「いや、まだだけど」


「そうですか、私はスペシャルでいこうと思いますけど先輩は?」


 家を出るとき考えていた通りスペシャルブレンドを頼むことにする。


「じゃあ、僕もそれで」


 先輩は今日もスペシャルにするようだ。


 お水を持ってきてくれたマスターに、そのまま注文を伝え、コーヒーが来るまで他愛のない話をする。


 私の他愛のない話に、先輩は興味なさげに適当な相槌を打つ。

 それからマスター特性のスペシャルブレンドが運ばれてくる。まずは香りを楽しみ、ありがたく一口目を口に含んで気持ちを落ち着かせる。 

 先輩も同じようにコーヒーに口をつけた後に。


「それで、相談って?」


 そう言って話を切り出してくれた。





――――――――――――――


いつも読んて頂きありがとう御座います。

間がかなり空いてしまい申し訳ありません。


しかし、ようやく完成まで漕ぎ着けたので毎日更新していく所存です。


ニッチな作品ではありますが最後まで読んでいけだければ幸いです。

 

どうぞ、よろしくお願いします。


 

 



 

 

 

 

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