第26話 墜ちた先


 悠貴との楽しい朝食のはずがあの女のとんだ置き土産のお陰で後処理に駆け回らないと行けないかもしれない。


 どうやら悠貴の話では柚菜ちゃんの様子もおかしいらしい。最近私に送られてきたメッセージとも関係ありそうだ。


『やっと美月さんの位置へ近づくことが出来ました』


 その後も何度かメッセージが送られてきていたが悠貴から今の柚菜ちゃんの態度を聞くまではまた口だけだろうと気にしていなかった。


 しかし悠貴から聞いた様子だとそうも言っていられなくなった。慌てて柚菜ちゃんから来ていたメッセージに返信する。


『今日の放課後会えないか?』と


 既読は直ぐに付き、待ってましたとばかりに返事が来た。


『それでは駅近のファミレスでどうですか?』


 私も直ぐに了解しその旨を送り、今日の夕方二人で会う約束を取り付けた。




 そして夕方指定のファミレスに足を運ぶ皮肉なことに天童寺紫と初めて会った時と同じファミレスだった。


 コマの関係で少し遅れたが柚菜ちゃんは大人しく待ってくれていたようだ。


「久しぶりですね美月さん」


 柚菜ちゃんが昔と変わらない笑顔を私に向ける。


「ええ、久しぶりね。少し痩せた?」


「はい、考えすぎたせいで少し食欲が落ちてました。でも今はもう大丈夫ですよ」


 その言葉を示すように食べ終えたお皿が数皿積み重なっていた。

 待っている間にでも食べたのだろうが少し食べ過ぎの気もした。


「そう、私はとりあえずドリンクバーだけにするわね」


「あっ。それじゃあ私が取ってきますよ何時もので良いですか?」


「えっ、うん何時ものでお願い」


 本当に今までと変わらない様子に不信感が募る。

 彼女の中で何らかの心境の変化があったのだろうけど今のやり取りだけでは掴めない。


 仕方ないので大人しく柚菜ちゃんがアイスコーヒーを持ってきてくれるのを待った。


「お待たせしました。どうぞ美月さん」


 そう言って私の前にアイスコーヒーを置いてくれる。柚菜自信はアイスティーと思われる飲み物にシロップを2つ入れていた。


「相変わらずね、甘すぎだと思うけど」


「良いんですよ、私にとってはこれが適量ですから」


 何度交わしたか分からない何時ものやり取り、それをぼんやり見ている悠貴がいないだけ。


「それでどっちから話をする?」


「それじゃあ、先にお願いした私の方から」


 手の内を読むなら先に聞いたほうが楽なので助かる。柚菜はあの女と違って小賢しいことをしてくるとは思わないけど。


「まずは、喜ばしい報告です。メッセージでも伝えましたが私も美月さんの立ち位置に近づく事が出来たんです」


 確かにメッセージで来ていたが正直なところ意味が分からない。


「それってどう言うこと?」


「美月さんって、悠貴の事が好きですよね……一人の男として」


「なっ!?」


 コーヒーを飲んでなくて助かった。思いがけない先制攻撃に思わず絶句してしまったから。


「ああ、いまさら隠さなくても良いですよ、知ってましたから、でもその上で姉という立場を優先しているだけなんですよね」


「そうね、私が悠貴の姉で有ることは死ぬまで変わらないわよ」


 そう、たとえ義理だろうが私から悠貴と姉弟の関係を断ち切るつもりは無い。


「そうですよね、私も気付いたんですよ、私と悠貴も同じです。たとえ別れても幼馴染として過ごしてきた時間は失われない。むしろその時間は永遠の宝物なんです」


「…………過去に縋るのは勝手だけどそれを理由に悠貴に付きまとっても」


「ああ、そんなんじゃないですよ。さっき言ったとおり気付いただけですよ。私と悠貴が幼馴染だった事実は変えようが無い、それに私が悠貴の事をどれだけ好きなのか、その為にどうするべきかを」


 いまいち捉えどころの無い話に私は顔をしかめる。段々と柚菜ちゃんの目に怪しい光が宿り始めてきたのを感じる。


「要領を得ないわね。アナタは何がしたいの?」


「ですから美月さんと一緒ですよ、ずっと悠貴を見守り愛し続けるだけです」


「だから、何でそうなるの? アナタと悠貴はもう……」


 私の言葉を遮るように柚菜ちゃんが目を輝かせながら答える。


「ええ、恋人同士とかつまんない男女関係ではなくなりました。私がバカだったせいでちょっと気になった人に体を許すなんて……でもお陰で手に入れたんですよ普通じゃない悠貴の側に居るための資格を」


「……資格ってどういう意味?」


 柚菜ちゃんが自分に酔うかの様にうっとりと話を続ける。


「私、男に触れられなくなったんですよ。男に触られると頭の中に悠貴の顔が浮かぶんですよ、そうなるともう他の男が気持ち悪くて、瑞穂ちゃんには悪いですけど先輩でも嫌悪対象でした」


「それは、アナタの事情であって悠貴や私には関係ないことよ」


 柚菜ちゃんの言っている事がどこまで本当か分からないが、仮に精神的な影響でそうなったところで悠貴には関係ないことだ。


「ええ、もちろん悠貴は関係ないですよ、こうなったのは私の自業自得ですから」


「ならなに、もしかしてそれを理由に悠貴と復縁でもしようとしているの?」


 店に入ったときとは全く別人の様な表情になりつつある柚菜ちゃんに私の警戒心がより一層高まる。


「復縁? なんでそんな曖昧な関係に戻らないと行けないんですか?」


「だって、アナタまだ悠貴の事が好きなんでしょう?」


「もちろん愛してますよ。ここまで墜ちてようやく気付く私もどうしょうもないですが、堕ちたからこそ気付くこともできたんですよ、どれだけ私が悠貴を愛していたかって……私の今のこの状況がその証拠です」


「それが側に居るための資格だとでも思ってるの」


 どこまでも自己完結な内容だった。


「そうですよ、私は悠貴以外の男に触れられたくなくなるほど私は悠貴の事を愛していたってんだって気付けたんですよ」


「それを悠貴に言ったところで何も変わらないわよ」


 きっと私でなければ柚菜ちゃんの考えを理解することなんてできないだろう。


「もちろん分かってますよ。これ戒めなんですよ最愛の人を裏切った私への……きっと悠貴に触れられ許してもらえば私のこの戒めは解けるかもしれませんけど……」


 柚菜ちゃんの言葉からは後悔と懺悔の気持ちが伝わってきた。ただそれとは別にもっと違う執念というか情念のようなあの女とよく似た感じも伝わってきた。


「……そうするつもりはないのね」


「あはっ、さすが美月さんわかってますね。これは私に残されたただ一つの繋がりなんですよ悠貴との…………私はこの罪を背負う限り愛する人へ贖罪し続けることができるんですよ、恋人同士なんて曖昧で脆い関係なんて比較にならないですよね」


 柚菜ちゃんがうっとりと語る姿はまるで質の悪いホラー映画を見させられているようだった。

 イメージしたのは昔流行った見て関わってしまった人間に伝播していく有名な呪いのビデオの女。


 しかし現実的に呪いなど馬鹿げたものがあるとは思えない。


 だが目の前には私の知っている朗らかで明るかった柚菜ちゃんはもういなかった。


 在るのはただ妄執の先に囚われ闇を宿した瞳を私に向けるすっかり堕ちてしまった姿。


 それは方向性が違えどあの女そのものだった。


 

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