第18話 生まれ出た歌
流れる曲の素晴らしさに私の目から自然と涙が零れ落ちる。
予想以上に天童寺紫の声がユノの曲と上手く噛み合っていた。
昨日遅くまで悠貴が修正、編曲したことにより、曲が高遠瑞穂から天童寺紫に近づいたのもあるだろう。
押し寄せる音と歌い手の感情に呑まれそうになった。
しかし素晴らしい曲だからこそ、内包する激情が私からするとまありにもおぞましいというか禍々しすぎた。
本来であれば正の感情ともいえる好きと言う気持ちが突き抜けてしまいまい歪みとなって負の方向へと捻じ曲げられる。
天童寺紫の持つ異常性が悠貴のユノの時だけに見せる鬱積した感情によって増幅されていた。
それは曲の完成度が増せば増すほどそれが顕著に現る。
母さんの事を例に上げて作曲させた自分を今更ながらに後悔した。
そしてこの曲の危うさを気にした様子もなく嬉々として受け入れている二人に嫉妬に近い感情を抱いてしまう。
それほどに聞き手の負の感情を揺さぶる曲だった。
音楽としては素晴らしいがこれは一般に公開するべき曲ではない。
引っ張られそうになる感情を抑えると、その事を悠貴に告げる。
「これの曲は柏木だけに聴かせるべきよ」
「ええ、そのつもりです。これは私から唯斗さんに送るオンリーワンソングです」
以外にも提案に乗ったのは天童寺紫の方だった。
「悠貴もそれでいい?」
「うん、僕もそれで構わないよ」
悠貴からすればある意味二人のために作った曲なのだからその結末さえ見届ければそれでいいのだろう。
これを聞いた柏木がどういうとらえ方をするのかは分からない。
歪みきった、でも誰よりも情熱の込められたラヴソングを自分を裏切った元カノの顔をした人物が自分だけに歌うのだ。
マトモな精神の人間なら嫌悪して逃げ出すだろう。
マトモな精神なら……。
だからといって柏木には同情する気になれない。たた柚菜ちゃんには悠貴を切って辿り着いた場所が沈んで行く泥舟だったのには同情……いやこれは自分が悠貴の側にいられる事への優越感からくる憐れみなのだろう……。
そんな浅ましい感情に自嘲してしまう。
湧き出る感情に振り回される私を悠貴が不思議そうに私を見る。
「姉さん、どうしたの?」
「あら、美月さんも当てられましたか」
どうやら天童寺の方は理解している節がある。
「アナタ、本当にこれを柏木に届けるのね?」
無駄だとは思うが再度確認する。
「もちろんです。想像を遥かに超えた素晴らしい曲ですよ。映像も合わせてPV風に作ろうと思うのですが」
「僕はそれは別に構わないけど」
「後は好きにすれば良い、ただもうこれ以上は私達に構わないで」
私自身もそうだが悠貴をこれ以上この女の側に居させたくなかった。
「えっ、でも姉さん、折角ここまでシンクロして曲を作ったのに」
「そんなもの、この曲の出来を考えればこれ以上は不要よ、後の映像は彼女の好きにさせれば良いわ」
曲が出来上がったのならこの女はどんな手段を使っても柏木に届けるだろう自分の想いを……それがどんな結末を迎えるか分からないが最初に想定したとおりろくな事にならないだろう。
だからこそ、こんな事に悠貴を巻き込む訳にはいかない。
なにより今は兎に角、悠貴を連れてこの女の側から離れたい。
そんな私の気持ちを見透かしたように天童寺が薄ら笑いを浮かべる。
「折角なので最後まで見届けて欲しかったのですがそこまで言うのならしょうがないですね。その役は別の方に担って貰いますね」
「ええ、そうして頂戴」
「えー、姉さんそれじゃあ結末が」
珍しく悠貴が不服そうな態度を見せる。
「悠貴、これは私からのお願い。もうこの女とは関わらないでどうなったかは私がちゃんと伝えるから」
私は必死に悠貴にお願いする。
結末は私が伝えれば良い。
過保護と言われようが最悪私がフィルターになるつもりだ。
この周囲を汚染する女から……この女の放つ毒素に気付けない悠貴を守れるのは私しかいない。
「……わかったよ、姉さんがそこまで言うなら。紫さん、約束通りこの曲は自由に使ってもらってかまわないよ」
「ふっふ、ありがとう。私のワガママを聞いてくれて。後日お礼はお届けしますので楽しみにしてください」
「結構よ、私達に関わらないのが何よりのお礼よ」
「あらあら、随分と嫌われてしまいましたね。私は美月さんにもシンパシーを感じてましたのに」
恐ろしい事を言う目の前の女を無視して帰り支度を始める。
「姉さん、そんなに急がなくても」
「ごめん、気持ち悪くて、早く外の空気を吸いたいの」
「そうなの? ごめん気付かなくて、それじゃあ急いで支度するね」
悠貴の私を気遣ってくれる気持ちが一抹の清涼剤となって澱んだ心を清ましてくれる。
そんな私達の様子を見世物を楽しむかのように最後まで笑顔で見ていた天童寺紫。
私は彼女に目を合わせることなく逃げるようにその場を去った。
かなり遅い時間帯になっていたのでタクシーで家まで戻る。
ようやく張り詰めた気持ちが和らぐ、そんな様子を心配そうに見ていた悠貴にお願いして少しだけ抱きしめさせてもらった。
そこでようやく私は私を取り戻すことが出来た。
悠貴の姉としての私を。
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