千雄は両手の平を払って、まるで芋虫になってしまった少女を見下ろした。

「覚悟、とか言ってなかったっけ? 一億年早いわ」

「また変な魔力使ってぇぇ! きぃぃっ!」

 少女はロープで縛られた身体をバタつかせて憤慨した。陸に上げられた魚のように空しい。

(魔力? いえ、違う)

 一連を見ていた八百音は確信した。あの子は忍者のことを知らないだけ。

(今のは忍具だ――)

 八百音はまた脳内にある書物のページを開いた。

 黒いボールのようなもの――『宝録ほうろく』は、素焼きの陶器ほうろくを二個合わせて球状にし、その中に火薬と鉄片や小石などを交ぜ入れて作った、言わば手榴弾である。中に入れるもので爆破の規模も変わってくる。恐らく今回のは、少女が大怪我をしないよう火薬の威力を抑え、小石の量を減らしたものなのだろう。

 彼女と一戦を交えることを予想して準備していた?

 その配慮、優しさ。忍具の使い方。タイミング。全てに感動した。


(やっぱり忍者ってかっこいい……!)


 八百音は目を輝かせた。

虎春こはる。縄、ほどいてやれよ」

 千雄は金髪少年の方を向いて言った。虎春と呼ばれた少年は、ニヤリと笑ってそれに応える。

「もうしばらくあのままで置いておこうよ」

「……お前も相変わらず嫌なやつだな」

「意地悪でそう言ってるわけじゃないよ。さっき僕を踏み台にした罰だ」

「そういう考え方をするやつを嫌なやつって言ってんだよ」

「もう褒め言葉だね」

「……さいですか」

 会話が一段落しても、言葉通り虎春は動こうともしなかった。

 わざと乾いた笑いを虎春に聞かせてから、千雄は八百音に近寄った。

「いつの間にか後ろにいねぇから、何処で油売ってんのかって……まて、この話するの二回目だな」

「あの子、大丈夫なんですか? そ、それよりも、何で多賀良さんに向かって魔力を使ったり……」

鶉梅うずめのことなら気にすんな。いつものことだから」

「それ、虎春くん? も言っていたけれど、こっちは何が何だか分からないんですよぉ。靴は頭の上に落ちてくるし、あの子はいきなり怒り出すし!」

「あー……俺の口から言うのもめんどくせぇ」

 頭を抱える千雄に、

「千雄様ひどいっ!」

という悲しげな叫び声がかかる。八百音は、鶉梅という名らしいぐるぐる巻き少女を振り返った。

「千雄様は約束してくれたのよ! 千雄様と勝負して、一度でもあたしが勝つことができたら、ご褒美にあたしと結婚してくれるって!」

「け、結婚!?」

 仰天する八百音の前で千雄は、何も聞こえないと言わんばかりに両耳を両手で押さえていた。目を瞑り「あーーー」と声も出している。

 彼のそんな様子を見て、八百音はいぶかしげな目を見せるのだった。こんな古典的な現実逃避しかできない男のどこがいいのだろう、と。口も悪いし態度も悪い。彼が忍者でなかったら近付きたくない人種だ。先ほど素直にかっこいいと思ったことは棚に上げ。

「それなのに、全然勝たせてくれないんだからっ!」

「当たり前だろ! 俺が負けたら結婚する羽目になるんだから、誰が負けるかよ」

 耳を塞いでいたのに、しっかり鶉梅の台詞は千雄に届いていたらしい。

「あたしと千雄様の仲なんだから、わざと負けてくれたっていいのに!」

「あーうるさいうるさい」

 千雄は再び両耳を押さえ始めた。

 八百音は、恋心を悟られ顔を真っ赤にした鶉梅の姿を思い出す。彼女の想いは本物だろう。女性同士だからこそ分かるものもある。

 恐らくあしらいの意味もあって千雄はそんな約束をしたのだろう。約束を健気に信じている鶉梅が不憫でならなかった。

「そんな約束しなきゃいいのに……」

「勝てっこないんだからいいんだよ」

「耳塞いでいてもちゃんと聞こえてるんですね……。本当に鶉梅ちゃんが可哀想……」

 哀れみの表情で八百音は鶉梅を見る。それがいけなかったのだろう。

「あんたには負けないからっ!」

 鶉梅は歯を剥き出しにして八百音を威嚇した。紐で縛られていなければ狂犬のように飛びかかってきたことだろう。

 彼女は千雄と八百音の関係を勘違いしたままだ。確かに八百音は千雄に好意を抱いている。だがそれは、『忍者』としての多賀良千雄に対してである。決して仲良さそうになどしていない。後できちんと弁明しなければならないだろう。興奮状態にある今の鶉梅に何を言っても火に油だろうから。

「用事が増えちゃったなぁ……」

「あいつなんかほっとけほっとけ。さっさと行くぞ」

 変わらず耳に手を当てたまま、千雄は家の方へ歩き出した。慌てて八百音もついていく。

「え、今私、心の声が出ちゃってました!?」

「何を意味の分からないことを」

「じゃあ、多賀良さんは人の心でも読めるんですか?」

「読めたらまずいことでもあるのかー」

「そ、そういう意味で聞いてるんじゃないですっ! もう……」

 忍者の術があれば人の心も読めるかもしれない。内心ではドキリとしながら、八百音は忍者の背中を追いかけた。

 双子の姉弟の横を通る時に一瞬、睨みつけられたような気がしたのは、文字通り気のせいだろうか。それも姉からではなく、弟の方から。

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