陸
「……お姉さん、誰」
「ひっ――!」
唐突に、真横から声がした。八百音は反射的に、声とは逆方向に身体を仰け反らした。
いつの間にか、金髪の少年が立っているではないか。
「え、誰!?」
「……聞いてるのはこっち」
「え、うん、お、おっしゃる通りですが……えっ?」
もしやと思い八百音は、少年の顔の高さにまで腰を屈め、その顔の作りをまじまじと眺めた。
金髪の少女と似た顔付きだ。いや、似ているどころではない。八百音には全く同じ顔に見えた。
「え、誰!?」
「このやりとりもう一回する?」
「ひっ、ごめんなさいっ」
「弟」
「弟!? え、誰の!?」
「……お姉さんマジで言ってるの?」
「えっと……」
少年は面倒くさそうに目を伏せる。誰の弟だ、そんなこと、問わなくても答えの想像がつく。
「双子……?」
八百音は、腕を組んで目も合わせてくれない少女と、目を伏せたことで長い睫毛が露わになった少年とを見比べた。背格好も大体同じだ。若干少女の背の方が高く見えるのは、女に先に成長期が来ているからだろう。
八百音の自問自答が済んだと見え、少年は頭の後ろで腕を組んだ。
「……で、話を戻して悪いけど、お姉さんは誰なの? この辺の人じゃないでしょ」
「わ、私、古々河って言います。トウキョウから来ました」
「へぇ、わざわざこんな山奥に。物好きな人もいるもんだね。何、仕事?」
「か、観光かな……へへへ」
「……お姉さんって、嘘が下手って言われない?」
「うっ」
なかなか鋭い少年である。
「観光が目的なら、
「確かにっ」
不覚にも十一歳の少年に諭されてしまった。
「そ、そう! 私、多賀良さんの友だちなの!」
「友だち? 初めて見る顔だけど」
「ボクはこの辺の人かな?」
「そう聞いちゃってる時点で、お姉さんは千雄の友だちじゃないって断定できそうだね」
「……」
二の句が継げない。つくづく自分は誤魔化しが苦手だと実感する。これ以上話すのは止めよう、八百音はそう思って少年から目を背けた。
(多賀良さーん、助けてーっ)
八百音の心の叫びが通じたのか、屋敷の方から家主、多賀良千雄が歩いてきた。
「ついて来ねぇって思ったら、こんなとこで油売ってたのか」
「多賀良さんっ」
千雄は喜びの声を上げる八百音以外の二人を目に留め、渋い顔を作った。
「
「度々面倒かけてごめんね」
そう答える少年の顔もまた、面倒くさそうである。
その理由を、八百音はすぐ知ることとなった。
「ちぃぃぃぃおぉぉぉぉさぁぁぁぁまぁぁぁぁっ」
声高に叫びながら、少女が千雄に走り寄っていっているではないか。いつの間にか靴も履いている。
千雄との距離が一メートルくらいになった時、何と少女は、細い右足をワンピースごと千雄の顔の高さにまで振り上げた。
そして、下ろす――
だが、足を振り下ろした先に多賀良千雄の姿は無かった。少女は己の足先が地面に着くか着かないかのところでそれに気付く。
八百音には見えていた。千雄は、少女のワンピースの裾に隠れるように身を屈めると、白壁の塀を足蹴にし、塀の上まで上ってしまったのだ。
「大振り過ぎ」
塀の上でしゃがんだ姿勢で、千雄は小さく呟いた。
「千雄様っ!? 何でそんな所に!?」
「気付くのがおせーよ」
「そんな所にいるなんて卑怯よっ!」
少女は両腕を上げて反抗する。
(いや貴方もさっき塀の上からやってきませんでしたか!?)というのは八百音の心の声である。
きっとさっきは、姉弟二人で肩車でもして、塀の上から覗いたりのり越えてきたりしたのだろう。バランスを崩して二人して塀の向こうに倒れた光景が想像できた。
「千雄様ーっ! 下りてきなさーいっ!」
「やなこった。めんどくせぇ」
「ルールを決めたのは千雄様じゃないっ!」
「逃げちゃダメってルールは無いだろ」
ハラハラした気持ちで見ている八百音には内容の分からない会話だったが、横の少年がしゃがんで、指で地面に幾何学模様を描いていることから、そう大ごとでもないらしい。
「あの……止めなくてもいいの?」
八百音は一応確認しておく。
「大丈夫、いつものことだから」
「へぇ……」
身体全体でイライラを表現していた金髪少女は、やがて静かに棒立ちになった。ややうつむき加減になる。
疲れてしまったのだろうか。そう思ったすぐ後に八百音は、少女の発する独特なオーラを感じ取った。
(これは……)
少女は右手を天高く掲げた。己の左足を軸に、右足と身体をコンパスのようにぐるりと回す。続いて一歩ステップを踏み、今度は逆足を軸に一回転。伏し目がちに両手の指先、手の平、手首、全てを滑らかにくねくねと動かす様は、まるで天女が舞を踊っているかようだった。
小柄な少女の舞に、八百音はいつの間にか見入ってしまっていた。
彼女の指先にオレンジ色の光の塊ができ始める。
「これが……あの子の魔力……」
魔力――人の潜在能力を引き出す方法は、人によって様々だ。多いのは、詠唱や文様や文字を描くなどして、潜在意識を集中しやすくさせる方法だ。魔力の扱い方には個性があるので、必ずしもそうでなくてはいけない決まりなどない。言ってしまえば何でもいい。八百音はそれを見つけ出せなかった側の人間だった。少女の場合、それが舞を踊ることなのだろう。
八百音の見守る前で、光の塊はみるみる大きくなり、赤色のゆらりと揺れ動く物体になった。
(火……!?)
八百音は本で読んだ知識を呼び起こした。隕石による磁場で、空気中の成分も変容を遂げている。気体中から燃焼反応を起こし得るものをより集め、強制的に発火させるのだ。少女の舞も、そのための動作なのかもしれない。
これが、魔力。
私には備わっていないものを、十歳程度の子がいとも簡単に――
八百音は少しの悔しさを感じながら、火の行方を追った。
「千雄様、覚悟っ!」
少女が声を上げながら右手で塀の上の千雄を差した。火は渦を巻きつつ、千雄の顔面めがけて真っ直ぐ飛んでいく。まるで火そのものが生きているようだ。
火は弾丸のごとく千雄の脳天を、射抜――かなかった。
千雄はギリギリまで火を引きつけてから、身を屈めて塀を飛び降りた。猫のように軽やかだった。
そして、やった、と拳を作っていた少女に向かって、手の平サイズの黒いボールのようなものを投げた。
ボールは少女の足元に着弾すると、小さく爆発した。爆風と共に、無数の小石が飛散する。
「きゃあっ!」
小石が飛んでくる。少女は両手で顔を覆った。
彼女の視界が遮られてしまったことで、勝負はついた。
千雄は地面を強く蹴って少女に接近すると、何処から出したのか、少女をロープで縛り上げてしまった。
「な、何これっ!」
少女が気付いて暴れた時にはもう遅い。捕らわれ人の一丁上がりである。
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