「まったく……」

と言って、老人は面を顔から取った。未だに正座する八百音に近付いていく。

「……古々河殿は、書物で読んでから忍者に憧れており、是非とも弟子入りを志願したいと、そういうことであったな」

「は、はい!」

 八百音は太股に手を置いて伸び上がった。

「お主の熱意は分かった。……じゃが、忍者の存在は公に知られてはならん。お主ならそのことも分かるな?」

「……」

 返答の代わりに、八百音は小さく頷いた。

「本来、我々は存在を知られてはならん。ただ修行中を見られただけなら、姿をくらますでもいいように誤魔化すでも、何でもやりようがあったのじゃが……」

 チラリと祖父が視線を向けてきたので、千雄はまたそっぽを向いた。

「あの……」と八百音が口を開き、頭を下げた。

「その、見ちゃって、ごめんなさい……」

 謝られたことが、青年の心を傷つけたことを女は知る由もない。

「お二人が忍者だってことは、誰にも、誰にも言いませんから!」

「当然じゃ。でなければ処罰じゃ」

「しょばっ!?」

 八百音は千雄に手裏剣を投げられた時のことを思い出す。

「そ、それはちょっと……」

が、すぐに口元に手を当ててこう続けた。

「……で、でも、憧れの忍者さんの秘密を知ったことで処罰されるなら、それもそれで有り、か……」

「ねぇよ」

 千雄はすかさず言い放った。

「っていうかあんた、仕事で天隠ここに来てるんじゃないのかよ。こんなとこでサボってて大丈夫なのか?」

「ま、まぁ……。私、あんまり期待されてないみたいなんで……」

「ドジっぽいもんな」

「ひどいっ! 今日初めて会った人に良くそんなこと言えますね!」

「俺、敬語とか礼儀とかそういうの、できねぇ人なんだ、すまんな。さっきも言っちまった。すまんな」

 千雄は顔の前で手刀を切った。

「……自身の命や職務を差し置いても、弟子入りしたいと」

と、若者二人のやり取りを聞いていた老人が、納得するように言った。

「……ふむ、面白い」

「「え!?」」

 二人は同時に老人を向いて聞き返した。

「弟子入りを許そう!」

「本当ですか!?」

 思いがけない了承に、八百音は長いポニーテールを揺らして飛び跳ねんばかりだ。

 その横で千雄は怒鳴る。

「はっ!? 何言ってんだ、じじい!」

「千雄、元はと言えばお主が悪い。お主が姿を見られ、それだけでなく家まで連れてきたんじゃ。責任持って彼女を見るんじゃぞ」

「はっ!?」

「何、彼女の忍者への想いは本物のようじゃ。簡単には口を漏らさんじゃろう」

「だ、だからって……!」

「恐らく仕事でここへ来ている間だけじゃろう。それが終わったらトウキョウへ帰るのじゃろう?」

 後半は八百音に向けられた問いと思い、彼女は、「はい!」と返事した。

「必ず、秘密は守って帰ります」

 満足そうに老人は首を縦に振った。

「ここらに宿泊できるような場所もない。寝泊まりはうちを使えば良かろう」

「え、それは悪いですよ……!」

 そう言いながらも、今夜の泊まる宛がないのは事実。「ちょっと待て!」と言っている男は置いておいて、泊まらせてもらえるならこんなに好都合なことはない。

「構わん構わん。わしへの礼は、梨、一個で良い。いや、二個……ううん、やはり三個が良い」

 老人は八百音の前で人差し指を立てた後、中指を立て、すぐ薬指も立てて『三』を作った。

「梨……?」

「トウキョウの梨は、天隠の梨とはまた違った美味さがあるのじゃろうなぁ……」

 恍惚とした表情で宙を見るその姿を見て、八百音は、きっと梨が好物なのだろうと察した。自分が忍者を夢見るそれと重なったから。

「分かりました! 戻ったら、きっと高級な梨を探してみせます。三個とは言わず、一箱どうですか?」

「素晴らしい! ますます気に入った。わざわざ来ずとも、わし宛に送ってくれれば良いからな。……そうじゃそうじゃ、まだ名乗っておらんかったな。わしは九頭龍九竜くずりゅうくりゅう。ここ天隠の村長にして、天隠流忍者の現当主じゃ」

 九竜は小柄な身体なりに目一杯、胸を張った。

「そ、村長さん!? そ、そそそ、それよりも、に、忍者の当主さんだったんですか!?」

 八百音は口を覆う。その瞳は今日一番に輝いている。

「いかにも」

「わぁぁぁ……握手、握手してください!」

「構わんぞ」

「きゃあぁっ」

 右手を差し出し合う二人の間に割って入るのは、すっかり蚊帳の外になってしまっている多賀良千雄である。

「だーかーらー、俺抜きでどんどん話を進めるんじゃねぇって」

「何じゃ千雄、いたのか」

「いるわ! ずっといるわ! むしろ俺の方がことの発端だわ!」

「忘れてはおらんようじゃな」

「うっ……」

 ニヤリと微笑んだ九竜の顔を見て、千雄はもう何も言えなくなってしまった。祖父も都会の女もすっかり乗り気の展開である。

「はぁ……」

 千雄は額に手を当てて目を瞑った。


「……あの、忍者さん」

 

 八百音は、腕組みする忍者の男を見上げた。

「よ、宜しくお願いします!」

 そう言って頭を下げる。本当は立ち上がって言いたいところだったが、己の足がそうさせてくれない。やむなし。

 千雄は鼻から深く息を出した。

「……千雄だ。多賀良、千雄」

「たから……さん」

「外で『忍者さん』なんて呼ばれたら、モロバレだからな」

「た、確かに、良く考えたらそうですよね……!」

 八百音は、頷いてから千雄に改めて右手を出した。

 しぶしぶ千雄も身体を屈めて右手を動かした時、九竜が彼の耳元で囁いた。

「調査に来ているという数日だけ、何とか相手するんじゃ」

「……」


「……くれぐれも、アレには近付けるんじゃないぞ」


「……分かってるよ」

 自分にだけ聞こえるほど小さな声で、千雄はそう答えた。仮にも弟子となる彼女を握り返す手に、どこか力が入らなかった。

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