弐
百年近く前のことだ。
この国、『ニッポン』の中心に隕石が落ちた。
人の暮らす地域からは離れた山中だったため、人的被害はほとんど無かった。が、落下した隕石の影響で特殊な磁場が発生し、電気が使えなくなった。
隕石の周りの生き物に変化も生まれ始めた。水を嫌っていた生き物が水辺で暮らすようになったり、空を飛んでいた生き物が地を歩けるようになったりしたのだ。研究を進めるうちに、人間にも同様の効果が得られそうだと分かった。人々は電気に代わる新エネルギーを生み出す試行錯誤の末、『魔力』に行き着いた。
魔力により人々の生活は潤い、それが生活の根本にもなった。人々は幼少期より、魔力を潜在意識から引き出す訓練をするようになった。魔力を込めることで機械は動き、水や火を生み出すこともできた。
やがて、魔力にも遺伝・血統で能力差があるということが分かってきた。そのため、魔力なくして過ごせない現在では、魔力の強い家系が特別扱いされるのだった。
古々河八百音は、魔力に恵まれない家系の子どもだった。幼少期は本人も気にしていなかったが、義務教育課程に入って魔力を学ぶようになってから、彼女は自分が他と違うのだと自覚するようになった。魔力の強い弱いの差は同級生の中でもあったが、全く無いのは自分ただ一人だけだった。週に一度の魔力の授業が憂鬱だった。幸いなことに周りが温かく、魔力が無いからといってからかわれることは無かったが、彼女の中では強いコンプレックスになっていた。
代わりに彼女は、勉学に力を注いだ。魔力に勝る学力をつけようとした。勉強はむしろ好きな方だったので、学校で習う以上の知識を彼女は身につけていった。魔力が就職の必須条件になっている昨今、今の職場に入社できたのもそのおかげだろう。
特に夢中になったのは、本を読むことだった。物語、詩集、百科事典、図鑑、歴史学、写真集……ジャンルは問わなかった。図書館へ通い詰める毎日だった。読む速度が特別早くなかった代わりに、読んだ書物の内容は全て記憶しようと努めた。
その中で八百音は、『忍者』と呼ばれる者たちに興味を持った。
忍者の主な仕事は情報収集をすること。様々な情報を得るため、敵に知られないよう、目立たずに行動する必要のあった彼らは、常に歴史の裏側に存在していたというのだ。もちろん教科書などの公の資料にも登場しない。証拠を残すことはしないため、裏の世界で活躍していた彼らの存在は未だ秘めた部分が多かった。
八百音が注目したのは、彼らの使う『忍術』だった。建物に忍び込んだり人から情報を引き出したりするために、忍者は変装術、歩術、飛術、伝達術などを使用した。また、火器、水器などを使うための火術、水術も扱っていた。中でも忍者は、火術を得意としていたという。
魔力が生まれる前から忍術を使っていた彼ら――忍者は、八百音にとって憧れの存在だった。何度も何度も本を読み返し、一人でいる時は忍者になりきって遊んだ。
書庫の中の書物にしか記述のない、忍者。彼らが用いていたとされる道具――『忍具』。その一つである『手裏剣』を扱う人間が目の前に現れたならば、目を輝かせずにはいられない――
「――というわけなんです!」
八百音は右手を高らかに挙げて言い放った。掛け軸が壁に下がる、四十畳のだだっぴろい和室のほぼ真ん中で。座布団があるとはいえ、久しぶりに正座などしたのでもう足が痺れ始めている。
「いや、というわけなんです! って言われても……」
八百音の前に畳二畳分離れてあぐらをかくのは、巨石に手裏剣を投げていた男――
『弟子にしてください』
初対面の人間に意味の分からないことを言われ、千雄の頭の中は混乱状態だった。
飛び道具の訓練中、何者かの気配を感じ、威嚇のつもりで手裏剣を投げただけだった。その何者かが女の人だと分かると、怪我をしていないかが心配になった。ギリギリのところで身体に当たってはいないと、自分の腕には自信があったのだが。確認のために近寄ったところで、先ほどの台詞である。
「……は?」
数秒の間の後、千雄はそう言うしかなかった。
妙な人間が多賀良家の敷地に入ってきたものだと、千雄は思った。変に関わらず、このまま追い払ってしまった方が得策かもしれない。手裏剣がかすめて、女も怯えているはずだった。
「……何をしに来たか分かりませんが、ここはうちの敷地なんで、帰っていただけると嬉しいっす」
そう言って踵を返した。
が、ことはそれで終わらなかった。
「……家までついてきちゃうんだもんなぁ」
千雄は座布団の上に座る女をチラと見て、また溜め息をついた。
帰るよう話した後、あろうことか彼女は千雄の後をついてきた。巨石の前に落ちた手裏剣を千雄が拾った時は、「さ、触っちゃダメですか?」と言っていた。千雄はそれを無視した。
彼は歩くスピードを早めてみた。舗装されていない道をひたすら。ズボンのポケットに手をつっこみながらではあるが、足には自信がある。そのまま逃げようと思った。が、どんなに距離が広がろうが女はずっとついてきた。足場の悪い山道に、何度も転び、幾度も悲鳴をあげながら。ブーツでは歩きにくいだろうに。
何が彼女をそこまでさせるのか。彼女を突き動かすものは何なのか。
彼女が自分の姿を見失わないよう、千雄がスピードを調節していたのも、そんな疑問があったからなのかもしれない。
家の門扉まで来てしまうと、流れに任せて誘い入れ、流れに任せて玄関へ招き入れ、流れに任せてこの大広間へ案内し、流れに任せて客人用座布団まで出してしまった。もう追い返せない。
「あの……」と、目を瞑って考え込んでしまった男に、八百音は口を開いた。
「弟子入りの件は……」
「ない!」
「ひぃっ」
八百音は身体を小さくさせた。
「大体……何で弟子入りさせてくれって話になるんだ?」
「ずっと憧れていたんです。さっき話したじゃないですか!」
「すまん、ほとんど聞いてなかったんだ」
「そんなぁ」
八百音の声が情けなくなる。
見ず知らずの女を家に上げてしまった事実に頭がいっぱいで、千雄は話の半分も聞いていなかった。魔力がどうのこうので、読書が好きだった、そんな程度の解釈である。
「ここまで連れてきて頂いたので、了承して下さったのだと思ったのですが……」
「……そう思いますよねぇ」
千雄は頭を抱えた。最初から自慢の足で引き離してしまえば良かったと後悔する。やがて、改めて八百音を正面から見て、こう続けた。
「……あんたは、俺が何だと思って、弟子入りしたいなんて言ってるんだ?」
「忍者、です」
「……ほぅ」
千雄はドキリとした。
「何に憧れて、弟子入りしたいって?」
「忍者、です」
「……何て言いました?」
「忍者、です」
「…………ほぅ」
「忍者……です」
「もういいです」
千雄は八百音の発言を静止させるよう、手の平を突き出した。そうしながら千雄の心を支配したのは、
(まずい……)
ということだった。
手裏剣を投げるところを一般人に見られたことは構わない。初めてのことではない。だがたいてい、彼らは多賀良千雄たちの正体を知らない。手裏剣を知らない。だから姿を隠すだけで良かった。面倒は避けられた。
だが、今ここにいる女は違う。『忍者』という存在を知っている。その上で、『忍者』に憧れていた、だから弟子にしてくれとほざいている。
千雄は眉間に皺を寄せて腕を組んだ。
その時、八百音の背後の襖が跳ね返る勢いで開いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます