第7話 義理の兄妹の初登校
「……違和感しかないな」
姿見を見て、口から出たのは自らを否定する言葉だった。
ついに高校入学前の春休みが終わってしまったので、今鏡に映っている僕は学校指定の紺色のブレザーとスラックスの格好。
まあ、中学は学ランだったし仕方ないよな。それにこれから徐々に見慣れていくはずだ。
数回結んだだけの割に綺麗に結ばれているネクタイにも違和感を感じているあたり、その慣れが訪れるのは遥か未来のことかもしれないが。
新入生の証の赤いネクタイを僅かに緩めながら、部屋から出る。
「あ、おはようございます」
リビングでは既に梨空が色々と活動を始めていて、テーブルの上には完成した朝食が僕の分も置かれている。
「ああ」
短く返し、顔を洗いに洗面所へ。
冷たい水を何度か顔に叩き付けると、どこかぼんやりしていた頭がようやく覚醒したような気分になった。
「その制服、似合ってますね」
洗面所から戻ってきた僕を見て、梨空がエプロンを外しながら言った。
「そりゃどうも」
お世辞なのか本当に似合っていると思っているのか知らないが、まあどっちだっていいだろう。
特にそれ以上話すこともないので、朝食を食べる為に梨空の横をすり抜けようとすると、袖になにかが引っかかる感触があった。
見ると、梨空俯きがちに袖を摘んでいる。
「そ、その……私はどうでしょうか?」
どこが不安気に俯いていた梨空はこっちをうかがうように上目遣いで聞いてきた。
話の流れ的に、自分に制服が似合っているかどうかってことだよな。
「……ふむ」
頭には梨空の趣味で集められている数ある内の1つのヘアピン。
当然、僕と同じで紺色のブレザーにスカートはチェック柄のプリーツスカート。
胸元には赤色のリボンがひらりと踊っていた。
確か、女子はネクタイがリボンかが選べるんだったか?
そして足はタイツで覆われている。
僕は上から順に梨空の身体を眺めていき、結論を出した。
「なんの面白味もないな」
「な、なんですかその感想! 似合ってるか似合ってないかで言ってくださいよ!」
似合っている似合っていないで言えば、間違いなく似合っている。
見た目だけなら身内びいきを抜きに整っていて、黙っていれば大人っぽく見える容姿。
そこに制服が合わさって、余計に清楚然として見えているわけだが……。
だからこそまとまりすぎている上に、ちゃんと似合っているからなんの面白味もないという意味だ。
まあ似合ってると言うのもなんとなく癪だったから、あえて言葉を濁しておいた。
「兄さんのそういうとこほんっとにダメだと思います!」
「うるさい落ち着け。クールの皮が剥がれてるぞ」
指摘するとぐぬぬ、と歯噛みして納得がいっていないようだったが、なぜかクール振ろうとしている今の梨空にとってその言葉はクリティカルヒットだったようで、それ以上はなにも言ってこなかった。
「あ、ここですよ。陽くん」
梨空が立ち止まり、見上げた先にあるプレートには1-Aと記されている。
学校の方針で春休み中にクラス分けは通達されていた。
どうやら入学時の成績を基準に考えられているらしく、特待生で近しい学力を持っていた僕と梨空はそれで同じクラスになったらしい。
「みたいだな」
僕は特にそれ以外なにも感じなかったが、梨空にとってはそうでもなかったらしく、胸元で握りしめた手には力が入っていた。
澄まし顔を維持して表情をコントロールしているのは大したもんだが、そういう部分はまだまだ詰めが甘いな。
「どうした、緊張しているのか? 高校デビュー」
「……なんのことですか?」
からかうように言ってはみたが、澄まし顔のままとぼけられた。
どうやらこいつにとってのロールプレイというやつは既に始まっているらしい。
その割には朝の時点で化けの皮が剥がれていたけどな。
勇むような足取りで先に教室に入っていく梨空を見て、僅かに肩をすくめながらあとを追い、教室に入った。
すぐに好奇心の乗った視線が教室中のあちこちから飛んでくるが、注目の大半を集めているのは僕じゃなく、前にいる梨空だろう。
陰の者と化した僕は素早く黒板に目をやり、自分の席の位置を確認して、さっさと着席した。
「……」
「……」
梨空が僕の後ろに遅れて静かに座る。
鳴瀬の苗字で並んだ時、はから始まる僕が前でりから始まる梨空が僕の後ろになるのは必然のこと。
そのせいで梨空に集まった視線が固定され、完全に僕にはとばっちりで針のむしろ状態だ。
珍獣でも眺めるような周囲の目はまるで動物園の檻の中にいる動物のような気分を味わわせてくれる。
「みんな君に興味があるらしいぞ。話してきたらどうだ?」
恐らく友達作りのための観察と、梨空の容姿が人目を惹くものだったことによる注目だ。
早く僕から離れてこの居心地の悪さから解放してほしい。
「別に今行かなくてもあとで話す時間なんて取れますよ」
そう言うと梨空は鞄の中から紙を数枚取り出して、真剣な様子で目を通し始めた。
真面目な顔の梨空を邪魔する気は起きず、仕方なく周囲の観察に移る。
……よく見ると、男女共にもう既にいくつかグループが出来つつあるな。
中学が同じだったのかもしれない。
そうでなければコミュ力がヤバすぎる。
梨空がなにかしらの作業を始めたことにより、ようやく周囲の視線が霧散した。
対して僕も観察をそこそこにして打ち切り、やることもないので右手で頬杖をつきながら、今プレイしているゲームのことについて考えていると、机がこんこんと視界の外から叩かれた。
緩慢な動作でそっちに視線を投げる。
「あっ、やっぱり! ねねっ、私のこと覚えてるかなっ」
そこには、表情をぱあっと輝かせたちょっとつり目気味であどけない顔付きの女子が立っていた。
胡乱な目で女子の方を見ていると、その女子はこてんと首を傾げる。
「えっ、あれ? 覚えてない?」
わたわたと1人で慌てている女子を見ながら、脳内で知り合いかどうかの検索を行う。
「……いや、覚えがないな。声のかけ方からしてナンパか? だとしたら悪い。今日会ったばかりのクラスメイトとどうこうなるつもりはないんだ」
やがて僕の脳はそうやって言うべきだと結論づける。
女子は虚を突かれたように、何度かぱちぱちと瞬きを繰り返し、声を上げた。
「……って、覚えてるじゃん! 酷くない!? 私てっきり知らない人に会ったことないって聞いちゃう恥ずかしい人になるところだったよ!」
「初対面の客をナンパと間違える時点で十分に恥ずかしい人だろ」
「うっ……たしかに……」
女子は胸を抑え、痛いところを突かれたーみたいなリアクションを取る。
さっきからころころと変わる表情といい、動作といい、なんとなく見てて飽きないタイプだ。
「同じ学校の同じクラスか。偶然っていうのは恐ろしいほど続くもんだな」
「だねっ。あ、私は
自己紹介するだけでなにがそんなに楽しいのかと聞きたくなるような眩い笑顔を浮かべ、環は僕の顔をジッと見つめてくる。
まあ、名乗れってことだよな。
「僕は——」
「――陽くん。先生が来ましたよ」
口を開いたところで、梨空に遮られてしまう。
言葉に従って前を見ると、そこには嘘偽りなく、教師の姿があった。
こうなってはしまっては談笑を続けるわけにもいかずに、環ともども前を向く、
「……君、どうして拗ねてるんだ?」
直前に梨空に尋ねる。
相も変わらずに澄まし顔を気取っていて、表情からは感情の機微など読み取れないが、声に乗った感情がなんとなくそんな感じだった。
「別に拗ねてませんよ? ほら、早く前を向いてください」
そう言われてしまえば、これ以上の追及も出来ないのでもう一度軽く訝しんでから前を向いたところで……。
——カツン。
と軽く椅子の裏を蹴られた。
思わず身体を捻り、後ろを見る。
そこには相も変わらず澄まし顔の梨空がいた。
「……だからなんだよ」
「……いえ、別に」
短いやりとりだったが、やっぱり機嫌が悪いらしいということだけは分かった。
今の数分でなぜこいつが機嫌を損ねることがあるのかは分からないままなわけだが。
……考えても答えなんて出ないか。
思考を打ち切り、僕は教師の話に耳を傾けた。
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