第6話 義妹はコッソリ……?

「——しまった」


 冷蔵庫を開けた陽くんの呟きが私の耳朶を打った。

 そっちを見ると、陽くんは冷蔵庫の中を見ながら眉を顰めていました。


「どうしたんですか?」


「ゲームを買ったことでテンションが上がって直帰してきたが、今日の晩飯のメインになりそうな食材がないんだよ」


 そう言えば、今日出かけたついでに買って帰る予定だったのをすっかり忘れてました。 

 引っ越してきて間もない私たちは、まだ作り置きをするということが出来ていません。

 その日の分の食材だけを買い、その日の内に食べる。

 これが今の私たちの食生活。


 そもそも子供だけで暮らすというのが初めてのことで、生活のノウハウみたいなものが身に付いていないのです。


 2人暮らしを始めてから、日にちはとても浅いですが、毎日家事をしていたお母さんは凄いと思いました。


「一応野菜は各種類あるし、今日は米と野菜炒めだけで済ますか?」


 まだ17時を回ったぐらいだけど、陽くんの目は今から出かけるのは面倒だということと買ってきたゲームをしたいと語っています。


「……これを機に買い置きと作り置きをしてしまう癖を付けた方がよくないでしょうか?」


「確かにそれはそうだけどな……」


 唸るようにしている陽くんの様子からは、脳内でゲームと私の言葉を天秤にかけているのがありありと伝わってくる。


 ——まあ、買い置きだの作り置きだのは建前なんですが。

 私の本音としては、ただ2人で買い出しに行きたい。この一言に尽きる。


「……どうせ明日も買い物に出ないと行けなくなるなら、今の内に行ってしまった方がいいか」


 どうやら陽くんの脳内の天秤は買い物に傾いたようです。

 よしっ、これで2人で買い出しに行ける!

 せっかくこうして親元を暮らしてるんですし、こういう場面でどんどん2人きりになってアピールしていかないとですよね!


「じゃあ面倒だが、行ってくる。米を炊いといてくれ」


「え?」


 行ってくるって、もしかして1人で行くつもりですか!? 


 恐らく財布やスマホなどを取りに部屋に戻っていく陽くんの背中を見て、呆けていた私はようやく再起動しました。

 

「兄さ——陽くん、ちょっと待ってください」


 危ない。咄嗟に兄さんと呼んでしまうところでした。

 いけませんね、どうにもテンパると私は以前までの私に戻ってしまいます。

 今の私はクーデレ、目指すべきはクーデレ、アイムクーデレ、です。


「なんだ? なにか買ってきて欲しいものでもあるのか?」


「そうじゃなくて、私も一緒に行きますよ」


「いや、1人で大丈夫だ」


「行きますって」


「だから必要ないって」


「行きます」


「……」


「行きますからね」


「………………もう勝手にしてくれ」


 よしっ、言質は取りましたし、私も準備するとしましょうか。

 私はスキップしそうになるのを堪えて部屋に急いだ。





「買い置きするにしても、買い過ぎて余って使い切れないなんてことにしないといけないよな」


「あー、節約しようとして1度にたくさん買って、結局無駄にして節約にならなかったって話、よく聞きますからね」

 

 カートを押す陽くんの横に並んで、食材を見ていく。

 なんだかこうしていると、ほんとに新婚夫婦かカップルになったみたいです……!


 私がちょっとした高揚を覚えていると、陽くんが精肉コーナーで立ち止まった。


「……今日は生姜焼きにするか。ちょうど割引されてるみたいだし」


「いいですね。お手軽に作れますし」


「作り置き出来そうなメニューは明日からってことでいいよな」


 カートに生姜焼き用のお肉を放り込んでから、またゆっくりと歩き始める。


「そんなにレトルト食品とか冷凍食品とかカップ麺とかいりますか?」


 カート内に積まれていくインスタント食品の数々に私は首を傾げました。


「別にいいだろ」


「そればかりだと身体に悪いじゃないですか。ただでさえ身体を動かす機会が少ないんですから、食生活に気を遣わないでどうするんですか」


 私たちはインドアな人間ですし。

 部活は入らないと思いますが、仮に入部をするなら絶対に運動部は選ばないと断言出来ますからね。


 私は体型維持の為に運動をするようには心がけていますが、陽くんは自分から進んで運動をするようなタイプじゃないですし。

 

「君は僕の母親か。若い内から食生活に細かく気を遣って好きなもの食べられないなんて、ストレスで逆に身体壊すぞ」

 

 むっ、私は陽くんの身体を気遣って言ってるのに……。

 

「それにこればかり食べようってわけじゃない。出掛けたくても出掛けられない時とか料理をしたくない時だとか色々あるだろうが」


 陽くんはそこで言葉を区切り、口を開くことを一瞬だけ躊躇してから、


「女の君は特にな」


 と、ややぶっきらぼうに呟いた。


「……? どういうことですか?」


「さあな。あとちゃんとした食糧も買うから、それでいいだろ。行くぞ」


 歩き出した陽くんの後ろ姿を眺めながら、私はぼんやりと言われたことについて考え始めました。


 私は特に身体が弱くて体調を崩しがちだとか、そんなことはないですし……女の私は特にって?

 性別を強調した、ということは男性にはなくて女性にはあるもの、という解釈でいいんでしょうか。


 女性、体調、崩しがち……あっ。

 とある考えに至った私は、その場でピタリと足を止めた。


「どうした?」


「あ、い、いえ……なんでもありません」


 そう告げると、陽くんは無言でまた歩き始めました。

 

 もしかして、女性の忌まわしき生理のことを気遣ってくれたんですかね?

 俗に言う、あの日と言葉を濁されがちな全女性の敵と言っても過言ではない、避けたくても避けられない現象。

 かく言う私も既に何度も経験しています。


 実家にいた頃、私が具合悪そうにしているのを陽くんは何度も見ていると思いますし……なにより今は体調が悪くてもなにかをしてくれるお母さんはいません。


 確証はないですし、勘違いかもしれませんが……だけどもし、それで気を遣ってくれているのだとしたら……すっごく嬉しいです……!


 なにか心地のよい温かなものが身体全体に広がっていくのが分かりました。


 もーっ! この人こういうとこがほんとにズルいんですよ!

 優しい癖にそういうのをわざわざ分かりづらくしてこっちに気付かれないようにしようとするところとか!

 いちいちツボなんですよほんとにもーっ!

 

 身悶えないように必死に自分を抑え込みながら、前を歩いている陽くんにバレないように私はこっそりと笑みをこぼしたのでした。





「風呂、上がったぞ」


 お皿洗いが終わって、リビングで届いたばかりのテレビを見ていると、頭にタオルを被せたままの陽くんが声をかけてきた。


 髪はしっとりと濡れ、なんだか不思議な色気が漂う陽くんの姿は眼福以外のなにものでもありませんね。


「テレビは点けたままでいい。今から使うから」


「はい、分かりました」


 分かりにくいですが、どこか弾むような足取りで自分の部屋に入っていくのを見ると、間違いなく今から買ったゲームをするつもりなのでしょう。


 可愛いですけど、ちゃんと髪を乾かすのかどうかが心配ですね。

 お風呂から上がったらしっかりと確認しなくては!

 決して私が少しでも長く陽くんと一緒にいる時間を増やす為なんかじゃありませんとも、ええ!

 ほら、私たちって2人だけで暮らしてるわけですから相手の体調を管理するのも大事なことですからね!

 まあ全部嘘ですが! なんなら寝落ちする瞬間まで傍にいたいですが!


 ちょっと自分でもよく分からないテンションになってしまったことを自覚しつつ、私は脱衣所で服と下着を脱いで、浴室に滑り込んだ。


「——ふう……」


 今日も1日色々とありましたね。

 やっぱり初めて親元を離れて生活するということは大変なことが多いです。


 家事のこと、生活面での知恵、エトセトラエトセトラ、です。


 そんな気疲れもお気に入りのシャンプーとトリートメントとボディソープの香りでほわりと霧散してしまった。


 シャワーを止めた私は、鏡でふと自分の姿を見つめてみました。


「……もしかしてちょっと太りましたかね」


 ふにり、と自分のお腹や二の腕を軽く摘んでみますが、正直そこまで些細な変化は感じません。

 運動を心がけていると言っても、所詮はインドア派の軽度なもの。

 

「……ま、まあここ最近は色々と忙しかったのもありますし、見た目は変化してませんから……」


 陽くんに気づかれる前には絶対に痩せましょう。

 でも体重計に乗ると現実と向き合わないといけなくなるので、そっちには乗らないでおきましょう。

 

「どうせなら栄養が胸にいって、それで体重が増えたのなら嬉しいんですけど」


 ……いや、大きくなって体重が変わらないのが1番いいですね。

 

「むむむ……どうやらこっちは変化がないようですね」


 自分の胸を鏡で確認したり、軽く手で触ってみたけれど、どうやら成長していないようです。

 決して小さいわけではないはずですが、大きくもない。 

 まあ、私はまだ高校1年生になるばかり。これからの成長に期待です。

 一応揉めるだけはあるわけですし。


「そういえば、陽くんは大きいのと小さいの、どっちが好きなんですかね」


 浴槽へと身体を沈めながら、私はそんなことを思いました。

 もし、大きいのが好きだと言われたら……あ、ダメですこれ。考えただけで泣きそうです。

 まあ陽くんは小さいだとか大きいだとかで人を好きになったりはしない人ですけども。


 いや、でも、陽くんだって男子なわけですし、実際に見られて小さいとがっかりされるのは……あ、やっぱり考えるだけで泣きそう。

 

 たとえば男子の考えているCと下着に表記されているCには大きな違いがある。

 世の中の男性はそのことをもう少し理解してほしい。

 見た目そのままの大きさじゃなく、トップとアンダー差という概念を理解してもろて、です。


 それから30分程度お湯に浸かり、私は浴室から出た。


 身体から滴り落ちる水滴を丁寧に拭き取って、パジャマを着て、スキンケアと髪のケアをおこなっていく。


 正直、スキンケアも髪のケアも面倒に思ってしまうことが多いのですが、好きな人と常に1つ屋根の下という状況な今、そんなことは言っていられません。


 好きな人にはいつだって可愛く見られたいですからね。陽くんが私をまだそういう風に見ていないのは百も承知ですけど。


「そう思っていても、やっぱり面倒なことは面倒ですよね」


 でもやっておかないと肌が荒れたりしたら嫌ですし。

 肌が綺麗と言われて、特になにもしていないと返す女性は絶対裏でなにかしていると思います。

 なにもせずに綺麗な肌が保たれてるなんて、それはもう妖怪の類では?


 最後に髪を毛先の方で緩く結んで、私はリビングに戻った。


「あれ? 陽くん?」


 リビングへと戻った私は、買ったばかりのソファに座っている陽くんを見て、声を漏らしました。

 ゲームをしているのはしているのですが、さっきから画面に映るキャラクターは同じ位置から動いていないのです。


 もしかして……


「やっぱり寝てしまってますね」


 顔が見えるように前に回り込むと陽くんはコントローラーを握ったまま静かに寝息を立てていました。


「もーっ、風邪引いちゃいますよ。結局髪もちゃんと乾かしてないみたいですし」


 とはいえ、起こすのもなんだが気が引けてしまい、私はタオルケットを取り出してきて、陽くんにかけた。


 それにしても、あどけなくてとても可愛い寝顔ですね……ごくり。


「こ、これくらいならいいですよね?」


 妙な冒険心に駆られた私は、陽くんにかかったタオルケットをゆっくりとめくり、身体を静かに滑り込ませました。


 ふわっ……うわわわわっ……!

 私ったらなんて恥ずかしい真似を……! 

 陽くんの温もりと香りが近っ……うわわわっ!


 さすがに恥ずかしくなってきたので静かにタオルケットから抜けようとしたのですが、


「んん……すぅ……」


 陽くんが私の肩にこてんと寄りかかってきてしまいました。


「っ———!」


 あ、あああ頭が!? 近い近い近い!

 よく咄嗟に声を上げませんでした! えらいですよ私!


 そ、そうだっ! こんなチャンス滅多にあることではないし、写真を……!


 スマホのインカメを起動して、素早く、しかしブレないようにシャッターを切る。


 ——パシャッ!


 あ、マズイです! シャッター音消してませんでした!


「んん……寝てたのか……」


 私が自分史上最高の速度で音もなくタオルケットから抜け出すのと、陽くんが身じろぎしながら起きたのはほぼ同時でした。


 あ、危なかった……! あんなところを見られたら絶対に誤魔化せなくなるところでした……!


 やがて、辺りをゆっくりと見渡し始めた陽くんのややぼんやりとした目が私を捉えました。


「君、そんなところでなにしてるんだ?」


「タオルケットをかけたので飲み物でもと思ったら陽くんが急に声を出して、振り返ってしまったんですよ」


「ふうん……そうか、悪い。面倒をかけたみたいだな」


 自分にかけられたタオルケットを見て、陽くんは特に疑ってくることはありませんでした。


「……なんかこれ、君の匂いがするような——」


「——お風呂から上がってすぐに抱えてきたので、そのせいじゃないですか?」


 やや食い気味に返してしまい、陽くんは少し眉を顰めて、疑わしげに私を見ましたが、すぐに興味を失って、ゲームが写ったままのテレビに視線を向けた。


 あ、危ないところでしたが、リスクを冒したかいは十二分にありました……!


 私は冷蔵庫に用事がある振りをして、陽くんに背中を向けたところで、スマホをぎゅっと胸に抱きしめた。

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