第2話 付け焼き刃はやはり上手くいかない

♦鳴瀬梨空♦


「――おい」


「……」


「――おいってば」


「へ? ……ああ、陽くん。どうかしましたか?」


 強めの問いかけと肩を揺すられたことで、私の意識が自分の身体の中に戻ってきたように、視界が鮮明になっていく。

 目の前には眉をひそめ、こっちを覗き込んでいる陽くんの姿。


「どうかしましたかって……君、手が止まってたぞ? 布巾を握り締めたまま棚の前に立ちつくす趣味でもあるのか?」


 ふん、と軽めに鼻を鳴らしながら皮肉めいた言い回しをしてくる。

 そんな小憎たらしいところも陽くんがやると絵になってしまいますね。


 陽くんは本人が容姿に無頓着なせいで、周りからは地味に見られがちだけど、実は目鼻立ちの位置はかなり整っているんです。

 いやーしかし、改めてこうして近くで見るとやっぱりとてもイケメンですね……。


「ふへへ」


「な、なんだ急に笑い出して……気持ち悪いな……」


 顔の良さについうっかり笑みを浮かべ始めた私を見て、陽くんが理知的な顔を僅かに引き攣らせて、私から距離を取った。


 おっと、いけないいけない。私はクールな女を目指しているんでした。

 でも、そういう嫌そうな表情もまた……いい……!


 今のままでも十分にかっこいいのですが、私としては是非、一度はオシャレをした陽くんというのも見てみたい。

 あーでもでも、オシャレをしてイケメンになった陽くんを見て、陽くんのかっこよさに周りが気付くのは困りますね……。


「陽くん。どうかそのまま地味でいてくださいね」


 結論。オシャレをするにしても私の前だけにしておいてほしい。


「なんなんだ本当に……。君がおかしいのはいつものことだが、ちゃんと手を動かさないといつまで経っても片付けが終わらないだろ。しっかりしてくれ」


「だ、誰がいつもおかしいんですかっ」


「君だ、君。急に締まりのない顔で笑い出したりする奴は少なくともまともじゃない」


「むぐっ……! に、兄さんだってそういうところあるじゃないですか!」


「それは認める。が、僕の場合はちゃんと時と場所をわきまえてるし、なによりも、人の顔を眺めてて急に笑い出したりなんてことは絶対にしない」


 むぐぐっ……正論過ぎる……。

 感情に乏しいように見える兄さんは、ゲームや本など、自分の好きなものをやっている時表情が柔らかく、面白い場面を見ている時なんかは特に口角がちょっと上がっている。

 確かにそれはちゃんと周りに人がいなくて、1人の時です。


 私を言い負かせて満足したのか、兄さんはまるでゲームで私に勝った時のような勝ち誇った表情で、にやりと笑いながら言った。


「あと、キャラと呼び方が戻ってるぞ。なぜか高校デビューでクール系を目指すことに決めた鳴瀬梨空さん?」


「っ~~~~! 兄さんのバカァ!」


 私は叫び、自分の部屋への撤退を余儀なくされることとなった。

 ああいう嫌味な表情と言い方でもサマになってしまうのが反則なんですよ! あの人は!

 ムカつくことに! ムカつくことに! かっこいいのがまた余計に腹立たしいんです!





♦鳴瀬陽♦


「さすがにやりすぎたか……?」


 猛然とリビングを走り去っていった義妹の姿を見送り、残された僕は独りごちる。

 なんと言うか、梨空とは昔からいろんなことで競り合ってきた間柄でもあるわけで、こういう風に言い合いですらもどっちが上なのか無意識に勝ち負けを付けようとしてしまう。


「まあいいか。いつものことだし、時間を置いたらあいつもケロッとしてるだろ」


 自分に納得させるように、あえて言葉を口から出すと、僅かながらに感じていた梨空への罪悪感染みたものが霧散していく。

 

 さて、これからどうしようか。

 朝一番でこっちの方に移動してきて、片付けを続けていたから、時刻は既に昼を過ぎている。

 ……となると、やっぱり昼食だよな。


 実家にいる頃に親が買ってくれた餞別の1つである冷蔵庫の方に視線を向ける。


「引っ越してきたばかりで、当然冷蔵庫の中には食材なんてないし……外食か?」


 いや、正直往来のインドア気質が相まって、引っ越しの荷解きでそこそこに疲れてるわけだし、見知らぬ土地の近場の飲食店を今から探しながら歩く、なんてのは効率が悪い。

 そもそもこの時間だとどこも混んでるだろう。


「かと言って、コンビニとかスーパーって気分じゃない」


 普段はあまり食には拘りがないが、せっかく新生活がスタートするという当日にコンビニ弁当やスーパーの惣菜なんていささか雰囲気に欠ける。


 ……そう言えば、父さんと母さんがくれた蕎麦があったような……それでいいか。


「……それでいいか、とは思ったものの――どの段ボールの中だ」


 リビングには、まだ封が開けられていない段ボールがそれこそ山のように存在している。

 この中から探すのか……? 1つ1つ開けて中を確認していって……?

 そんなもんさっきまでやっていた荷物の整理となにも変わらないじゃないか。


「……はあ」


 山みたいにある段ボールと、先ほど梨空が走っていった方を見比べて、ため息をついた。

 僕は梨空の部屋の前まで移動して、扉を軽くノックする。


「おい、梨空。聞こえている体で話すぞ。昼食に父さんたちが持たせてくれた蕎麦を作ろうと思うんだが、どの箱に入っているかが分からん。手伝ってくれ」


 こいつに頼るのはなんか負けた気がして、なるべく頼りたくないんだが……今から1人であの箱を全部開けて中を確認していく労力に比べればこっちの方がましだ。


『――私が必要ですか?』


 反応を待っていると、中からそんな声が聞こえてきた。


「はあ? だから手伝ってくれって言ってるだろ」


『――私がいないと、ダメなんですか?』


「いや、だから……」


『――ダメですか?』


「…………頼むから手伝ってくださいお願いします」


 心を無にして、早口で告げる。

 すると、扉がようやく開かれて、中から澄まし顔の梨空が出てきた。


「もうしょうがないですね、陽くんは。私がいないとなにも出来ないんですから」


 うっざ。

 口をついてそう出そうになったのを咄嗟に食い止めた。

 ここでまた変にへそを曲げられて、また部屋に引きこもられたりしたら面倒だからな。


「ふふっ。いつも素直じゃない陽くんがこうして私を頼ってくれるというのは、なんだか悪くないですね」


「そもそも君も食うものなんだから、君も手伝うのが当たり前だろうが」


 ダメだった。言い返すのはなるべく控えようと思ったが、うざすぎて我慢出来なかった。

 僕としてはあのまま部屋に放置して、自分の分だけの食材を買ってきてさっさと昼食を済ませてもよかったんだ。

 一応家族で同居人のことまで配慮出来る僕の優しさに感謝しろ。


「はいはい。そうですね、ふふふっ」

 

 棘を隠さずに言ったのだが、なおも機嫌が良さそうに箱を漁り始めた、梨空の薄っぺらい付け焼き刃にすら達していない仮面を、今度は剥がすことすら敵わなかった。 

 

 その後も、言い合い小競り合いを繰り返しながら段ボールを1つずつ開けていくこと数分。

 ようやくお目当ての蕎麦を見つけることが出来た。


「――あれ? 蕎麦を見つけられたのはいいですが、めんつゆとかってありましたっけ?」


「……君、めんつゆを買いに行くのと部屋で蕎麦を茹でるの、どっちがいい?」


 2人して、沈黙。

 梨空もインドア派の傾向が強い以上、こいつも僕と同じ考えだろう。


 ――今から外に行くのは面倒くさい。

 こうなった以上、僕たちの間で物事を決めるのは……。


「いいでしょう。さっきは辛酸を舐めることとなりましたが、今度は勝たせてもらいます」


 梨空が近くに置いていた自分の鞄からゲーム機を取り出して、不敵に笑う。

 

「また泣かせてやろう。かかってこい」


 対して僕も、自分の鞄からゲーム機を取り出して、応戦の構えを取った。

 僕たちのこういう時は、大体ゲームで勝った方の意見が採用されるわけだ。


「だ、だから泣いてませんし」

 

 梨空のバレバレな嘘を皮切りに、僕たちの決戦が幕を開けた。

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