UNHAPPY BIRTHDAY / アンハッピー・バースデイ

フジ ハルヒ

プロローグ

 その瞬間、私の誕生日は人生で最も不幸な日になった。


 私は22回目の誕生日の夜を幼馴染である丸岡香織と共にレストランで過ごしていた。昔からお互いの誕生日には2人で過ごすことが定番になっていたが、別々の大学へ進学したタイミングでお互いに新しく彼氏ができたことで、それから3年間の誕生日は彼氏と過ごしていた。


 その彼氏とはそれなりに上手くいっていたが、互いに就活が忙しかった時期に些細な喧嘩をしたことから少しずつ気持ちがすれ違ってしまい、誕生日から3ヵ月ほど前に別れていた。そんな経緯もあって、私は久しぶりに親友と過ごす誕生日を心から楽しんでいた。


「これ、誕生日プレゼント」


デザートを食べ終わった辺りで、香織が私に白い封筒を差し出してきた。表面にはご丁寧に『早川琴乃様』と私のフルネームが書かれていて、それまで主に服や雑貨だった香織からの歴代プレゼントと比べると、明らかに異様なプレゼントだった。


「なにこれ。まさか、現金?」

「そんな生々しいプレゼントないでしょ」


間髪入れずにツッコミを入れてくる香織に、別にボケたつもりじゃないんだけどな、と苦笑いしつつプレゼントを受け取った。封筒の口を広げて中を見ると、細長い紙が2枚入っていた。レストランの薄暗い照明ではっきりとは見えず、それを指で掴んで引っ張り出した。


「え?これって......」

「うん。行きたがってたから」


それは、翌日から始まる年末のロックフェスのチケットだった。


 12月29日から3日間にわたって開催されるそのフェスには、大勢のアーティストが出演し、朝から晩まで演奏をする。それまで特に興味はなかったが、その年はどうしても行きたい理由があった。しかし、残念ながらチケット争奪戦に敗れ、泣く泣くフェスへの参加を諦めていたところだった。


 私がそのフェスに行きたがっていることを知っていた香織は、私に内緒でチケット争奪戦に参加。見事2人分のチケットを手に入れ、私の誕生日まで内緒にしていようと考えていたらしい。12月28日が誕生日である私にとってはあまりに急な話ではあったが、幸い年末の予定も特にはなく、フェスに行くことは可能だった。勿論、何か予定があってもフェスを優先させるつもりではあったのだが。


 チケットに記載されたフェスの詳細情報を眺めながら喜んでいた私に、香織が少し不安そうに切り出した。


「実は、明日の分は取れなくてさ。30と31しか行けないんだけど、琴乃が好きな歌手っていつ出るのかな?えっと......まつ......」

「真月佑奈」

「そう!真月佑奈。いつ出るのか分かる?」

「30日」


ネットで情報を確認することもせずに即答した。真月佑奈の出演が発表された直後に、彼女が出演するステージと時間を調べていた記憶が残っていたのだ。


 真月佑奈。


 当時25歳のシンガーソングライター。彼女の音楽が大好きだった私は、全てのアルバムを揃え、ライブにも数多く足を運んでいた。


 初めて真月佑奈の曲を聴いたのは大学に入学したばかりの頃。定額制音楽配信サービスのアプリのAIにおすすめされたのが彼女の楽曲だった。なんとなく再生した私は、一気にその世界観に引き込まれた。


 すぐにネットで彼女の名前を検索した。そこに表示された画像が、また私の心を捉えた。


 クリーム色の大きなボディに黒いピックガードが貼られているシンプルなデザインのアコースティックギターを抱えた、赤い服の女の子。


 真っ黒で長い髪を頭の後ろで束ねていて、綺麗に揃った前髪の少し下から真っすぐこちらを見つめる大きくて丸い瞳に吸い込まれそうになった。


 こんな女の子が、あの曲を歌っているのか。


 そのまま彼女が演奏する動画を片っ端から再生した。


 アコースティックギターでの弾き語りだけではなく、バンドスタイルでの演奏では赤いエレキギターをかき鳴らす。


 次から次へと彼女の動画を見ているうちに、私はすっかり真月佑奈の虜になっていた。


 調べると、彼女は高校時代から自主的に音楽活動を始め、20歳でメジャーデビューをしたという。メジャーで活動してはいるものの、まだ知名度はそこまで高くはなかったようで、メディア出演もほとんど無かった。それに加えて、SNSやブログなども一切やっていなかったという点も、真月佑奈のミステリアスな雰囲気を演出していた。


 そんな彼女の曲を聴けば聴くほど、私はどんどん真月佑奈が生み出す世界にのめり込んでいった。


 聴き手の頭の中に情景を描くような歌詞は、曲によって主人公が代わるように、様々な世界観の歌詞を生み出す。前向きで明るい歌詞もあれば、反対にネガティブな歌詞もある。


 また、その歌詞に合わせて変化する歌声も特徴のひとつだった。艶やかで伸びのある声に、透き通るような透明感のある声も出す。時には冷たく低い歌声で、私をゾクリとさせる。


 その歌声が重なる曲も多彩だ。独特なコード進行の上に生み出されるメロディはどれも印象深く、予想を裏切るようなタイミングでの転調や変拍子が生み出す効果によって、彼女の曲は1度聴いただけで耳に焼き付いて離れない。


 小学生の頃に、少しの間だけピアノを習っていた程度の私にも分かる。


 真月佑奈は、間違いなく天才だ。


 それから2か月後、初めて彼女のライブに行った。小さなライブハウスのフロアに、私を含めても100人に満たない程度の観客がステージの方向を向いて立っていた。フロアの照明が落とされ、スポットライトで照らされたステージにひょっこりと現れた真月佑奈は、マイクに向かって「こんばんは」と呟くと、あの日に見た写真で抱えていた物と同じアコースティックギターで弾き語りを始めた。たった1本のギターと歌声だけで展開されるパフォーマンスに魅了されていると、1時間半のステージはあっという間に過ぎ去った。


 それから私は、なるべく沢山のライブに行った。アルバムをリリースしてツアーを行う度に、少しずつ観客が増えているように感じた。数年が経つと、ときどきテレビやラジオでも彼女が紹介されるようになり、着実に知名度が上がっているようだった。


 私が企業との面接で忙しい時期に突入していた大学4年の6月頃。彼女のツアーが開催されることが発表された。しかし、それは彼女1人のライブではなく、同じ事務所に所属するシンガーソングライターと共演する対バンツアーだった。就活のスケジュールとそのライブを天秤にかけた結果、私は就活を優先した。無理をすれば行けないこともなかったが、ライブの翌日には私が第一志望にしていた企業の面接が控えていた。それまでも入念に準備はしていたつもりだったが、心配性の私はギリギリまで準備に時間を使いたくて、ライブは諦めた。


 たとえライブに行ったとしても、真月佑奈のソロライブではない。


 また近いうちにアルバムがリリースされて、彼女のソロツアーもあるだろう。


 その頃には就活も落ち着いて、地方でのライブに遠征することだってできるかもしれない。


 この分は、その時に埋め合わせよう。


 そう自分を納得させて、私はライブへの参加を見送った。


 無事に第一志望の企業に内定を貰った直後に、真月佑奈が初めて年末のフェスに出演することが発表された。これは逃せないとチケット争奪戦に臨んだ私は、見事に惨敗したのだった。


 そんな私にとって香織から貰ったそのチケットは、何よりも嬉しいプレゼントだった。


「本当にありがとう!2枚あるってことは......」

「私も行くよ!」


にこりと香織が笑った。香織は私よりも音楽に詳しく、何度かフェスにも参加したことがあるようだったが、真月佑奈の音楽はあまり聴いたことがなく、そこまで好みでもないようだった。


 何度か香織に真月佑奈の魅力を熱弁したことがあったが、香織は「そんなに好きなの?恋してるんじゃない?」などと私を揶揄うだけだった。あまり芳しくない反応を見た私は、すぐに真月佑奈の音楽を香織に勧めることは諦めた。基本的に気の合う私たちだったけど、音楽の好みに関しては正反対と言っても良いほどバラバラで、私は逆に香織が好きなパンクやヘビメタなどの音楽が苦手だった。


 それでも香織は「絶対、その真月さんっていう人は見ようね。夜中から並ぼうよ」なんて言ってくれていた。真月佑奈の他には特別見たいアーティストがいなかった私は、その時間以外のスケジュール立ては香織に任せようと決めた。


 ほろ酔い状態で家に帰った私は、その2枚のチケットを引き出しの中にしまってから、CDプレーヤーに真月佑奈のアルバムをセットした。


 彼女がメジャーでリリースした最初のアルバム。どのアルバムも好きだったが、このファーストアルバムが特にお気に入りだった。部屋に響く彼女の歌声に包まれながら、いつの間にか私は眠りに引き込まれていた。


 翌朝、香織からの電話で目が覚め、自分が眠っていたことに気づいた。


「どうしたの?香織」


寝ぼけ眼を擦りながらそう尋ねると、香織は『琴乃......』と言ったきり黙ってしまった。起き抜けの私にも分かるほど神妙なトーンで名前を呼ばれ、慌てて体を起こした。


「もしもし?」

『......琴乃。フェスのホームページ見た?』

「見てない」

『......真月佑奈のホームページとかは?』

「見てないよ。なに、どうしたの?」


私のその言葉を最後に、また数秒間の沈黙が流れた。その時点で、少し嫌な予感がしたのを覚えている。


もしかして、出演キャンセルとか?


そんな事が頭を過ぎった次の瞬間に香織から告げられた事実は、その想像を遥かに超える残酷な物だった。



『真月佑奈が亡くなったって』



香織が何を言っているのか、全く理解できなかった。


「......誰が?なんだって?」

『真月佑奈。琴乃が好きな真月佑奈が......死んじゃった』


その言葉たちを何度も頭の中で繰り返し組み立てた。


 ようやくその意味を理解した頃には、私の頬を涙が伝っていた。


 それからのことはよく覚えていない。どうやって香織との電話を切り上げたのかも記憶にない。断片的に覚えているのは、フェスには行かなかったことと、真月佑奈のホームページに表示されていた彼女の訃報だけだ。



──真月佑奈は12月28日に永眠致しました。享年25歳でした。これまで故人を応援してくださった皆様に感謝申し上げます。



 悪い冗談なら良かったのに。


 その訃報は、紛れもなく事実だった。


 原因も書かれていなかった。


 真月佑奈が死んでしまった。


 それも、私の誕生日に。


 全身の力が抜けてしまった私はベッドに籠ったまま数日を過ごし、いつの間にか年を越していた。


 毎日のように聴いていた彼女の歌声は、一切聴かないままで。

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