シュレーディンガーの亡霊

愛野ニナ

第1話




 忘れていた時間のその人は生きてもいなければ死んでもいなかった。

 シュレーディンガーの猫とやらと似たようなもの。あの有名な、箱の中の猫は生きているか死んでいるかというやつ。

 つまり観測者がいてはじめて確定する生死。

 箱の中にいる状態では生きてもいないし死んでもいない。

 忘れていた人の生死は確認するまでわからない。そもそも忘れていたから生死を確認しようとさえ思うわけもない。

 世界は無情だ。

 そして、無情なのは私。




 久しく疎遠になってた知人から突然連絡があった。

 彼女は十代の頃よく一緒に遊んでいた人のひとりで、なぜか突然私のことを思い出したらしい。

 私は過去を黒歴史として切り捨ててきたから、過去を回想するの苦手ではあったが話は自然と昔の共通の知人の話になった。

 今となればただの過去ではあれど、私の十代はかなりめちゃくちゃで日々なげやりに過ごしていた。

 中学も高校も不登校で高校は中退した。アルバイトは何をしても続かなくて働いては辞めてを繰り返していた。

 当時の私の趣味はライブハウスに行くことで、いわゆるV系インディーズのバンドのライブに毎週のように行っていたから、私のまわりにいたのはそんなバンドのミュージシャンだったり私と同じようないわゆるバンギャの子だったり。半分くらいはいつも誰だかもよくわからない集まりの中に私はいた。

 社会から逸脱していたからといって、そこが居場所かと問われればそれも違うと思いながら、若く愚かだった私の毎日は、もてあました眠れない夜をくたくたになるまでの乱痴気騒ぎの果てに朝になってやっと倒れ込むように眠るという日々だった。

 そんな私が傍目にはどう見えていたかわからないが、当時いつも常に得体の知れない不安がつきまとい、生きていることじたいがただひたすらに苦しかった。

 二十歳で運よく就職できた私はそんな過去の記憶は切り捨てた。

 就職してからは生活も変わって趣味も変わったからV系のバンドやバンギャの子とも自然に疎遠になっていき、

 その当時の人間関係は月日を重ねるごとに次第に忘れてしまっていた。

 当時の遊び仲間だった彼女から連絡が来るまでは。

 忘れていた。…そんな人がいたことさえも。

 その彼女からきいて知った。

 当時いた周囲の人間関係の中で2人、死んでいたこと。

 当時の周辺のバンドの中で何人か死んだ人はいたが、私が直接関わっていた人ではなかった。

 彼女からもたらされたのは2人が(仮にAとBとしておこう)すでに生きてはいないという事実。

 ショックだった。長らく忘れてもいたし当時から特別親しかったというわけでもないけれど、すっかり忘れていた知らない時間の中でそんなことが起きていたということ。

 この気持ちをうまく表現できないのがもどかしい。(もしこれを表現できるくらいなら物書きの末席にいる必要などないのかも…などということは今ひとまずおいておくけれど)




 死んでしまったAは当時からなんとなく危うい感じの人だった。クスリをやってるという噂もあったけど、彼とはさほど親しくなかったから本当のところはわからない。よくいろんなライブの打ち上げや飲み会で一緒になったけれど彼のバンドのライブは見たことがなかったと思う。個人的に親しくなかったAとのことで唯一思い出すのは、何かのライブのあと例のごとく朝までのんで誰かの家になだれこんでみんなが寝てた時に、Aと私と2人だけ眠れなくてお酒が残ったまま外に出て朝の公園まで散歩したことがあった。その時どんな話しをしたか残念ながら覚えていない。たぶん意味はなかったような気がする。

 Bもライブの打ち上げ等でよく一緒になった。私はBのバンドのファンではなかったけど好きなバンドの対バンなどでライブも数回見たことがある。派手な見た目のイメージとは違って、Bはお酒も飲まない穏やかな優しい人だった。Bとは数回デートもしたけど付き合うには至らなかった。当時の私にはその穏やかな性格が物足りなくて退屈に感じた。3回めか4回めのデートで八景島シーパラダイスに一緒に行った時に、この人といてもつまらないなとはっきり思って以来、個人的に会うのはやめたのだった。




 まもなく私は就職して、趣味も変わってV系のライブに行かなくなったから次第に忘れてしまったのだ。AのこともBのことも、当時周辺にいた人達のこともみんな。

 もちろんその人達だって私のことなんて忘れているだろう。

 そして当然ながら、忘れられた私にも、私が忘れてしまった人達にもそれぞれの時間が流れている。

 だけど死んでしまったAとBにはもう時間は流れない。

 それを思うとやるせない。




 当時のことは本当はあまり思いだしたくない。思い出すと今でも当時の苦しみがよみがえってしまう。今にして思えばあの頃の私は自分を痛めつけるように生きていた。極限まで自分を追い込めばいずれ何も感じなくって死んでしまうのだろうと思っていた。

 それでも私の時間は止まらず流れて続けて、今も私は生きている。

 今も苦しいけどいいことだっていくつかあった。

 死んでしまったら苦しくもないけど楽しくもないし何も感じることができない。

 時々忘れそうになるけれど、今生きているということは当たり前ではない。

 明日が今日の続きとは限らないから。

 今生きてる時間を大切にしよう。

 生きているからこそ一瞬一秒さえ愛しいと感じる時間が確かにあるのだから。この私にも。





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シュレーディンガーの亡霊 愛野ニナ @nina_laurant

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