紐なんて要らない。

 僕は困っている。

 困らせているのは、丁寧な文字が記されている一片の紙切れ。ノートをちぎったものだ。

 一時間目の授業が始まり、ペンケースのジッパーを開けた。

 そしたら、これが入っていたのだ。

 謎の紙片が。

 いつ、だれが入れた?

 怖くて内容は読めていない。

 丁寧な文字だ。それは一瞬見ただけでわかった。

 内容を知りたくない。

 嫌な言葉が書いてあったらと思うと、読めないのだ。

 誤って読んでしまうことのないように、紙片を裏返した。

 すると、小さな紙片の端の方に、ぽつんと書かれた文字があった。

 恐らくは差し出し人の名前だろうと思い、僕は目を通す。

 赤城、と書かれている。

 あかぎ、あかぎ…。

 男子ではない、気がする。

 女子……。

 ああ!

 赤城さん。赤城糸音さん。

 柔らかい雰囲気の女の子なのだけれど、友だちがいないのかいつもひとりで過ごしている子だ。

 と、いうか。

 僕の真後ろの席の女の子だ。

 赤城さんが書いたものなら、見ても大丈夫だろう。

 そう考えて、紙片の表を見る。

 とても整った字が、罫線に沿って列になっている。

 まだ少しの警戒心を抱きながらも、内容を読む。

「いつも書いているのは詩ですか?授業中に書いているの、この席からだと見えてしまう時があるので…。ノートよかったら見せてください」

 クエスチョンマークや三点リーダに至るまで、とても丁寧に書かれていた。

 そうか。

 見られてしまっていたんだ。

 まあ、別に気にしないけれど。

 ノートを見たいと言われても…。僕は別にいいのだけれど。

 でも、見たって何もないぞ、というのが正直なところ。

 赤城さんにならいいか、と僕はそう判断して、一時間目と二時間目の間の休憩時間にノートを渡すことにした。

 一時間目が終わったと同時に僕は後ろを振り向いた。

 赤城さんは一瞬、びくりとして動きを止めた。

 そしてそろそろと僕の方を見た。僕はノートを彼女の前に差し出す。

「明日には返してほしいんだけど、いいかな」

 赤城さんは深く頷いて、ノートを受け取った。

 それから自分のノートを開いて、シャーペンをさささと走らせる。

 それからびりびりとノートをちぎって、紙片を僕に差し出した。

 受け取って、それを読む。

「ありがとう!嬉しいです。明日には絶対返します」

 僕が読んでいる間に、彼女は更に新しくノートに何かを書いていた。そうしてまたちぎって、紙片を僕に差し出してくる。

「ほうかごじかんがあったらとしょしつにきてください」

 書く時間を短縮するためなのか、全ての言葉が平仮名になっていた。

 赤城さんは申し訳無さそうな顔をして、僕を見ている。

「わかった。行くよ」

 僕がそう答えると、赤城さんは笑顔になった。

 チャイムが鳴って授業担当の教師が入室してきた。僕は慌てて黒板の方に向き直った。

 赤城さんについて、思い出したことがある。

 彼女が人と話している場面を、僕は見たことがないのだ。

 友だちがいないから、とかではなく。

 おはよう、ごめん、ありがとう。ここらへんの言葉は、クラスの中にいれば特別親しい仲ではなくても使うだろう。

 だけれど赤城さんは、このような言葉も一切使わない。

 彼女の声を聞くことができるのは、授業中のみだ。

 出欠確認の「はい」と、問題を当てられた時の「わかりません」。

 彼女が他の言葉を発音しているのを、僕は聞いたことがない。

 さっきだって、彼女は一言も発さなかった。全て文面で僕に伝えた。

 話すことが苦手なのだろうか…。

 一瞬、書き留めるべき思考が浮かんできたけれど、明確に形になる前に霧散してしまった。

 何を残そうとしたのか、もう思い出せない。

 

 結局今日の授業中は何も書き留めることはなかった。

 赤城さんにノートを渡しているからではない。予備のノートを二冊持ってきている。

 でも、じゃあ授業をきちんと受けられたのかと言うと、そうではない。

 浮かびそうで浮かばない、霞のような思考の一端を掴もうと一生懸命だった。普段より、更に授業に集中できていなかった気さえする。

 掃除を終えて、放課後。

 図書室へと足を向ける。

 引き戸を開けて室内に入る。赤城さんはまだ来ていなかった。

 席も近かったんだし、一緒に来ればよかったのかな…。

 一番奥の端の椅子に座って、赤城さんを待つことにした。

 文庫本を開く。図書室の物ではなく、自宅から持参した物だ。

 六頁ほど読み進めたところで、僕の向かいの椅子に誰かが腰を下ろした。

 予想はつくけれど、一応顔を上げて確認する。

 赤城さんだ。

 彼女は早速ノートとシャーペンを取り出して、さささと何かを書いている。

 差し出された紙片を受け取った。

「遅くなってごめんなさい。先生と話していました」

「いいよ、別に。気にしないで」

「ノート、昼休みに少し読みました。すごいです。きれいな言葉がたくさんありました」

 そんなことを言われると少し照れる。

 僕はありがとうとだけ返した。

「作詞家になるんですか?」

 違うよ、と僕は首を振る。

「では、趣味ですか?」

「趣味…。なのかな。よくわからないや。でも、楽しんでやっていることは確かだね」

 さささ、と音が響く。

 赤城さんが喋っている。

「硲くんの言葉が好きです」

「………ありがとう」

 嬉しいけど…。

「特にこれが好きです」

 赤城さんはそう書いた紙片と共に、開いた僕のノートを提示してくる。

 いつか、女の子目線になって書いたものだった。


白いブラウスに膝丈のスカート

憧れていたけど、今ではこのリボンが邪魔


限られた自由の中

この紐が鎖に思える

型にはまった小鳥たちは

羽ばたけずにもがくのか?


どこへだってゆけるし

何だってできるはず

そう きっと 私たちは

飛べない小鳥なんかじゃない

そう 絶対 僕たちは

鳴けない小鳥なんかじゃない


だから ほら

紐なんて要らない


お仕着せの制服 翻すスカート

窮屈な第一ボタンはどこかに落としてきた

お仕着せの制服 はためくブラウス

さあ次に捨てるものは何だい?


型を壊した小鳥たちは

自力で大空を駆ける

そう だから ほら

紐なんて要らない。


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