女死霊、赤蛇となって自らの弔いを頼む(巻五「女の死霊弔を頼む事 おんなのしりょうとむらいをたのむこと」)
そのため、殿は局の下に忍んで通うようになり、程なくして懐妊した。
家老衆は局のために密かに別の家屋を建て、そこに住まわせた。
やがて局は玉のような男子を出産したので、局は家老の養女とし、他所の家中の者と婚姻させた。
その後、年月が経ち、局は三人の子を儲け、明暦元年(1655)十一月十八日に身罷った。
それから更に八年経って、寛文二年(1662)の秋頃、何某守の奥方は、何の病か、酷い発作を起こすようになった。
発作が起こるときは、
「赤い蛇が来た」
と云って身を硬直させるのであった。
そんな中、腰元のはつせと云う女が物狂いになり、こう口走った。
「我は局である。元より不義の身であれば、憎まれるのも当然ではあるが、年月を経て、他所の家中となり、子も多く儲けたので、今は何の妬みもない。しかし、幼い奥方様を育て上げました縁故はどのようにお考えでしょうか。せめて捨文のひとつでもお送りいただいてもよろしいのではないか、そう思ってしまい、その罪に堕ち、浮ばれません。この恨みを仕返してやろうとは思っていないのですが、浮ばれぬ身の苦しさから、自然と奥方様を病にしてしまいました。願わくば、御勘当をお許しいただき、後生を弔ってはいただけないでしょうか。そうすれば奥方様の病はたちまち平癒することでしょう」
局の霊に切実に訴えられたので、奥方の年寄衆が集まって殿に訴え出れば、御勘当は許されることとなった。
また、弔いの件については、口走りの際に、
「弔事の施主は誰がよいか。望みがあれば申せ」
と尋ねれば、
「
局の霊はそう答えた。
「江南寺とは何処の寺だろうか」
人を大勢遣わして捜索し、小日向の奥にあるということをようやく突き止め、仏事を依頼したのは九月八日のことであった。
「法事は局の命日である十八日に行うべし」
江南寺からの使いは、このような返事を伝えた。
その夜、何某守から江南寺へもう一度使いが来て、
「十八日まではまだまだ日がある。明くる九日に法事を執り行ってください。奥方の病状も重くなってきて猶予もないので、このようにお願いしております」
そう申し伝えた。
そこで江南寺では、一晩かけて僧徒をかき集め、尊き法事を諸々執り行ったので、たちどころに奥方の病は平癒した。
明暦元
其一
其二
寛文二
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます