遊女の後追い自殺未遂(巻五「遊女心中にて死する事 ゆうじょしんじゅうにてしすること」)
難波の堀江の辺りに、両替屋の何某兵衛と云う、富貴な人物がいた。
手代が数多いる中に、小兵衛と云う譜代の者がいた。
世に二心なく、利口だと思われて、可愛がられていた。
他の手代たちより優れていたので、商売事も多く任されていた。
いつの頃からか、友達に誘われて新町へと遊びに行き、越後町のみな川と云う女郎と馴れ初めた。
いつしか互いの関係も深くなり、人知れず心変わりをしないという約束を云い交わし、情けの色に濃く染まり、小兵衛、今は身の程を忘れ、心がどうにかなってしまった。
そして、妄りに銀を浪費してしまい、主人方への支払いが難しくなってしまった。
「もうしばらくお待ちください」
そう隠し立てして、期限を先延ばしにしていたが、終に極月となった。
今はもはや借金の当てもなく、死ぬしかないと思い詰め、みな川の所へ暇乞いにと訪ねたのだが、折悪しく、彼女は客に呼ばれていて会うことはできなかった。
「これこれの事情で今宵死のうと思う。これほどの短い期間になるとも知らずに、将来を約束したとはなんと儚いことか。必ず私のために仏名の一句でも唱えてください。君からの手向水があれば浮ばれもしましょう。もし朽ちぬ契りであれば、来世でも逢えるはずです。ああ、なんと名残惜しいことだ」
数多くの悲しく辛い想いを細々と綴った文を置いて、小兵衛はみな川の部屋から去った。
みな川は後でこの文を見て、心ここにあらずの体で、見えるところ、隠れたところに人を走らせ、小兵衛の様子を調べさせたところ、なんと哀れなことか、彼は昨晩のうちに自宅の二階で腹を切って自害したということであった。
この噂を聞きつけた遣いが、みな川に残りなく語ると、彼女は嘆く素振りもなく、かえっていつもよりも屈託なく笑うなどして、機嫌がよさそうであった。
翌晩の四つ時(午後十時ごろ)を過ぎた頃、みな川は新町の辺りにある川へ身を投げた。
折しも引き潮の時分で、思いのほか水が浅く、死ぬことはできなかった。
水中でばたばたとしているうちに、
「不審な水音がするぞ」
近くの人々がこれを聞きつけて、松明を灯して集まって来た。
「ここに人が流されているぞ」
そうしてみな川は引き揚げられたのだった。
「ただこのまま、どうにでもなってしまいたいのです。どうぞ見捨てて、
云いようがないほど悲しそうなみな川は、そう云って泣いた。
とは云え、このままにはしておけないので、人々は薬などを用いてみな川を助けてやった。
人々の中にみな川を知っている人もいたので、越後町に人を走らせれば、店から大勢が迎えに来た。
とりあえず彼女を連れて帰り、しばらく様子を見ることにしたのだが、何も物を云わず、語らず、薬なども飲まない。
友人の女郎や禿が、
「どうして何もおっしゃらないのですか」
そう困惑しながら尋ねると、みな川は苦し気に顔を上げて、
「小兵衛殿は確かにお亡くなりになったのですか」
と云った。
「そうでございます。本日の夕方、荼毘に付されました」
禿が答えると、
「今はこれまで」
みな川はそう云ったきり、起き上がらなくなった。
店の主人も扱いに困り、河内にいるみな川の父母を呼び寄せて、様々に世の道理などを云い聞かせたが、その甲斐なく、後には目も全く開けなくなった。
七日後、とうとう餓死してしまった。
店の主人や父母の言葉も聞き入れず、約束した男だけを想って死ぬことは、女としてあるべきことだろうか。いわんや遊女であれば猶更である。
情が深いと云うにも程がある。
当時を見聞きした人が語ったことである。
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