蛇身と化した女(巻四「婚姻の夜女の蛇身を見て聟逃帰る事 こんいんのよおんなのじゃしんをみてむこにげかえること」)
加賀国の金沢の何某と云う者に一人娘がいた。
容顔美麗にして、肩に髪が垂れかかった様からして大層魅力的で、輝いて見えない日はなく、父母の寵愛も並一通りではなかった。
その近くに、久保田何某と云う、世に聞こえ高い美男子が住んでいた。
この在所には、往古に移し奉った初瀬観音があり、三十三年に一度開帳し、人々に拝ませていた。
その年は御開帳にあたり、人々は身分を問わず、袖を連ねて参詣した。
娘も一際風流を尽くし、人を数多を連れて参詣した。
久保田何某も参詣し、そこで娘と互いを見初め、想い合うところとなった。
帰りの道中、久保田は茶屋に立ち寄ったが、そこには娘が先に来店していて、奥の座敷で酒を飲み、遊んでいた。
久保田が来店したことに気づいた娘は、乳母に囁き声で、
「表におわします御方に酒をひとつ参らせてはいかがでしょうか」
頬を赤く染めながら、微笑んで云った。
「何が不快なことがございましょう。それこそ野点の興のあることでございます」
そう云って酒を送ると、久保田も磐木ではないので、照れながらも奥の座敷へと入り、彼方此方と互いに盃を巡らせると、娘も面映ゆげに盃を交わした。
その後は人目も憚らず、二人は仲睦まじくなり、互いに心打ち解け、慕い合い、
「末永く添い遂げましょう」
などと戯れていたのだが、日没の鐘の音が鳴り、名残の尽きない別れを知らせる鶏鳴を恨みながら枕を交わし、共寝にかけた互いの着物を身に着け、袖を絞ってそれぞれの家へと帰った。
それから娘はすっかり患いついた。
あらゆる医術を尽くし、更に良薬を用いたのだが
「理解のできない病状である」
と医者は云い合った。
娘の両親は乳母を呼んで、
「娘のことについて、何でも知っていることを話してくれ」
そう尋ねれば、
「そういうことであれば、今は何を隠し立てしましょう。命には替えようがありません」
(ページ損失のため不明)
……を語り続けて、
「
久保田がひそひそ話すと、女はひどく泣いて、
「今こそ、かくは仰せになるとも、頼みにできないのが男心でございます。終には飛鳥川の渕瀬のように変わっていくのです。秋風が立つことがもしあれば、袖についた白露の深き恨みとなることでしょう」
そう嘆き、思い煩ってすがりついてくるので、久保田は、
「それは思いも寄らないことだ。おかしなことを云うものではない。今宵交わした新枕がありながら、何故そのように考え、お疑いになるのですか」
そう云って娘の顔をしみじみ見れば、大層艶やかで美しい顔ではあるが、見返す眼差しには光があり、恐ろしく感じたので、
「たとえこの世の人であったとしても、このようなことを云うだろうか。このような者がいるだろうか。今すぐにここから逃げるべきだろう」
想う心も尽きて、そう考えた久保田は、娘をよくよくなだめすかして、用があると云って、閨を出て、壁を越えて逃げ出した。
衆道の知音を頼り、彼の屋敷へやっとのことでたどり着き、戸を叩き、
「このようなことがありまして、伺いました」
そう説明して、早速奥に隠してもらった。
娘の屋敷では、そうとは知らず、夜が明けて、日が沈んでも、娘が閨から起き出てこない。
事情を心得ている乳母は、二人を起こそうと密かに閨に行ってみたが、男の姿はなく、娘の口は耳の付け根まで裂けており、その口の端からは男が着ていた衣類の切れ端が見えた。
眼も同様に耳の付け根まで裂け、髪は羅刹のようであり、恐ろしさは云いようがない。
親も驚いて、
「我が子がしでかしたことには力を落としたが、他人の子を失わせたとしたら、どうしよう」
そう云って慌てて、徹底的に捜索すれば、久保田は無事に逃げおおせたとの連絡があったので安堵した。
しかし、久保田は患いついて、昼夜問わず、蜥蜴の形をした虫を口から五つ六つ吐き出した。吐き出された虫たちは素早く走り去った。
これは只事ではないと云うことで、医術を尽くし、神仏に加持祈祷をしたが、験はなく、六十日間苦しんで儚くなった。
寛永年中(1624~1643)の事件である。
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