鼬になった女の生霊(巻一「依加持力女執心顕事 かぢのちからによっておんなのしゅうしんあらわるること」)

 何某の大納言の御子は、東山南禅寺のあたりに出家なさっていた。

 その御子は一山にも他の山にも稀な美僧でありました。


 寛文十二年(1672)三月十八日、この美僧は向かいの寺に行く用事があったのだが、その時、若い女とすれ違いざまに袖が触れ合った。

 その隙に、女が頻りに美僧の顔を見てくるのを怪訝に思い、門をくぐった後に女の方を振り返って見れば、目と目が合った。

 美僧は気味悪く思ったが、寺に入り、しばらくして用事が済んだので帰ろうとすれば、先の女が門の敷居に腰を掛けて、内の様子を窺っているではないか。

「これは私を待っているに違いない」

 鬱陶しく思ったので、気乗りしないが、時間を潰すことにした。


 日も西山に傾いた頃まで、女は立ち上がらず座り込んでいるので、寺の下部が出てきて門を閉じる際に、

「帰れ、帰れ」

と荒々しく云えば、恨めし気にじっと見つめて、帰っていった。


 それから月日が過ぎて、翌年の三月十八日、

「去年の今日は気味が悪いことがあったナア」

 美僧がかの女の件を思い出していると、それから急に寒気がしてきて、尋常でない心地になったかと思えば、熱病にかかり、大変な苦しみとなった。

 医術を尽くしたのだが、そのしるしも見えない。


 ここに、大納言殿の御家の所縁のある山に、密言院という僧がいた。

 密言院が来て、

「山の行者に加持の協力を頼みましょう。もしや人の霊などの成す業かもしれません。そうであれば、験も見えるでしょう」

 そう勧められたのを幸いと思い、密言院を御使に立てて、無動寺の一条院聖教坊の修験者を喚び寄せ、頼ることにした。


 しかし、密言院と修験者は、七日間加持し続けたが何の験もなかったので、空しく山へと帰っていった。

 美僧の苦しみはさらに増すばかり。

「今一度、七日の加持をしてくだされ」

 大納言殿の家の者が頼むので、密言院は、

「元より大法秘法を修すれば、憑き物が退くこともあるだろう。但し御子の御命は危うくなるかもしれません」

 そう云って渋る。

「何も苦しいとは思いません。憑き物が落ちるのであれば」

 大納言殿が頻りに頼むこと二度三度に及んだので、

「そこまでおっしゃるなら」

 密言院は承諾し、再び修験者を喚び寄せた。


 大修法の加持を開始して三日、美僧の病は少し持ち直した。

 そこで二人の僧は、

「何でも御心当たりのあることを、包み隠さずおっしゃってください」

 しつこく問うたので、美僧は去年の女の件を語った。

「その女が憑き物の正体であること、疑いありません」

 密言院と修験者が肝胆を砕いて祈祷すれば、

「あな苦しや、堪えがたや、今は何を隠そう、我は六角通の何某という、糸屋の娘でございます。去年の春頃、ふと彼をお見掛けしてから、心乱れて、枠形がない糸筋のように絡み合って解けない気持ちに明け暮れて、流れる涙の淵に伏し沈み、はや年も越えて行き、新玉の春の日の長き恋衣、一夜枕を重ねれば、焦がれし胸の煙りも少しは晴らす方もありましょう。されどこの心を報せ奉ることさえできず、心の誘われるまま、今ここに迷い出ていたのです。御祈祷のあまりの恐ろしさに、今より後は参るまじ」

 乗り移られた美僧は、涙をはらはらと流して語っていたが、程なく憑き物から覚めた。

 二人の僧はこれに力を得て。病人の部屋にひしひしと札を貼り、部屋の一方を開けて、また来るのを待ち構えた。


 案の定、美僧はまた一層物狂いとなったので、開けていた一方にも札を貼って逃げ道を塞ぎ、祈祷によって責めに責め苛めば、

「堪えがたや、悲しや、今ここを離れれば、我が命も切れてしまいます」

 美僧の口を借りてさめざめと泣く。

「真の姿を顕せ。従わねば、何と云おうが帰すまいぞ」

 二人の僧が厳しく責めれば、

「あな恥ずかしや、それだけはお許しくださいませ」

「いいや、ならぬ」

 女の霊が何と許しを乞おうが、厳しく責め立てた。

「この上は力なし。そうであれば、我が姿をお見せしましょう」

 ついに観念すると、美僧の懐から鼬が走り出て、部屋の方々を走り回る。

 そこで部屋の一方の札を剥がせば、そこから鼬は出て行った。

 逃げた跡にまた札を貼れば、病悩は忽ちに平癒した。

 美僧は一時ばかり寝てから、夢の覚めたような心地になって本復した。


 六角通に人を遣って尋ねてみれば、その日その時に例の女は儚くなったとのことであった。

 誠に仏法の妙術はありがたきことである。

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