J国政府

 そうして、少しずつ街なかでも電波が規制されるようになった。


 最初の取り組みとして始められたのは、公共の場での携帯電話の利用の原則禁止であった。


 その頃には WiFi もインフラとして整備されていたこともあり、無線通信を利用したければ WiFi が利用可能なスポットないし飲食店を利用して下さい、ということだった。携帯電話の通信に比べれば WiFi は無視できるほどの健康被害で済むことが分かっていたためだ。



 しかし、そんなものを守る人間はごく少数であった。


 今まで湯水の如く利用してきたものを「今からは禁止です」と言われて、すぐにそれを飲み込めるような人間は少ない。人が習慣になった行動をやめるのは大変なのだ。


「ダメなのは分かってるけどさー、みんな使ってしいいじゃん」と渋谷の女子高生。


 J国において、高速道路の法定速度は80kmになっているもののそれは事実上守られていない。そうしたことを考えると、”ルール的には一応NGってことにはなってるからね”ということで全員が納得していればそれで良かったのかもしれなかったが、老人や前述のグループからの苦情が殺到したために政府は規制を進めざるを得なくなった。



 各自治体は「ルールを守りましょう」というお決まりの文句の看板を各地に設置し、「これが守られないと自治体が提供している WiFi も止めることになります」という一種の脅し文句をそこに添えた。


 それで効果が出たかというとそれは予想どおり微々たるもので、ほとんどすべての人々はそれまでどおりに携帯電話を使い続けた。


 一部の自治体はそれが脅し文句でないことを示すために実際に WiFi を止めるところもあったが、それも効果はいまひとつどころか無いに等しく、それどころか「ルールを守らない人が居るせいで WiFi 止められた。ふざけんな」と各種 SNS に書き込む人が殺到して、それはかえって混乱を増長させたと言える。



 結局、人々の”良心”に頼ってもどうしようもないと気づいた政府は、公衆の携帯電話網を止める決断をすることになった。しかし、いきなり止めると騒ぎになるということで、最初は1日のうち1時間だけ携帯電話網を使えなくするという、悪影響を抑えるのに効果があるのか分からない地味な施策から始めることにした。


 しかし、世論の反発は凄まじいもので、”自由を返せ”という大規模なデモ活動まで行われる始末であった。



 <政府の某部署にて>


「もう批判の嵐ですよ。これどうしたらいいんですか」と職員の一人。


「俺が聞きたいくらいだよ」と疲れ果てた表情をした上司。


「排気ガスだって吸い込みすぎれば健康に悪いけれど放置されてるじゃないですか。どうせ同じようにすぐに悪影響を及ぼすものではないんですし、いっそのこと規制をやめましょうよ。一部の声の大きい人達が騒いでるだけじゃないですか」


「仕方ないだろ!」と怒鳴りつつ上司は続けた。


「タバコに対しても同じように規制をしてきたのに、今さら電波だけ特別扱いできるわけないだろ!」



 その部署の入り口のプレートにはこう書かれていた。



『J国政府健康促進課』



 ー了ー

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健康第一 戸画美角 @togabikaku

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