現実
しかし、現実というものはいつだって非常なものである。
各国の研究者がその内容について裏付けを行ったところ、人体に悪影響を及ぼすのは紛れもない事実だと結論づけたのである。
もちろん多くの人々の予想どおり、それはすぐに悪影響を及ぼすものではなかった。その悪影響とは、電波を継続的に浴び続けると、将来的に”認知症”になる確率が上がってしまうというものであった。
この事実が世間に知れ渡った時、それにもっとも怯えたのは当然というべきか老人達であった。
21世紀の初頭には”若年性認知症”という言葉も広く認知されており、老人に限らず若者でも認知症を患う可能性があることは世間的な常識にはなっていたものの、やはり認知症を発症するのは歳を取った老人に多いのは紛れもない事実であった。
21世紀の初頭ごろに生まれた彼らは、子供の頃から携帯電話に慣れ親しんでいて依存症というレベルで手放せない人も多かったが、さすがに自分が認知症になるのは恐ろしいと考え、多くの老人たちが携帯電話を手放した。認知症になってはソシャゲも出来ない、などとすでに認知症になっているのではと疑われる人も中にはいたが。
そこからJ国においては、街なかにおいて電波を規制していく法案が可決された。
直ちに影響がないとは言え、人体に有害であると判明したものを、社会インフラとは言えそのまま放置しておくわけにはいかなかったのである。もちろん、それは後期高齢者社会において老人達の声をもっとも重視しなければならないという、政治的判断も大いに絡んでいるであろうことは国民の目からも明らかではあったが。
また、それを後押ししたのは”電磁波過敏症”を訴えるグループでもあった。
電磁波過敏症は、身の回りにある微弱な電磁波をあびただけで頭痛や吐き気などの症状とされていた。”されていた”というのは科学的根拠が無かったためであるが、なぜか症状とは無縁な一定数の人々もそれを信じていた。
それは、携帯電話の通信規格が変わるたびに起こる一種のお祭りのような様相を呈していた。
「3Gはまだ大丈夫だったが、4Gはやばいぞ」
「5Gは4Gに比べて100倍も危険だ」
「6Gは子供の成長にも影響を与える」
といった具合に”今度のは本当にやばい”と騒ぎ立てられていたのだった。
この一連の流れについて「ボジョレー・ヌーヴォーの毎年の出来についてのレビュー」との関連性が認められるとして真面目に論文を発表した研究者もいたが、残念ながらイグノーベル賞は受賞できなかったようだ。
閑話休題。
そうしたわけで電波の危険性を以前から訴えてきた連中は「だから、我々はずっと以前から危険だと訴えてきたじゃないですか」と、それこそ鬼の首を取ったような次第であった。たしかに人体に悪影響のある事実は判明したが、その内容は彼らが以前から訴えてきた内容とは明らかに異なっているものであったが、そのことは忘れて押し切ることにしたらしい。
しかし、これらのグループによる発信が世論に影響を与えたのは紛れもない事実であった。人は事実を含む発言には非常に敏感なのだ。
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