第3話 『桃太郎と温羅童子』

「鬼よ! お前が逃した手下供は、お前の後には死ぬことになるぞ!」


「桃太郎様、温羅はそこらの鬼たぁちょっと違いますぜ。油断しちゃならねえ。あいつは心して掛からないと。俺たちの力ではとても駄目ですが、役にくらいは立ってみせます! 桃太郎様に俺たちの妖力を送りますよっ!!」


 何やら三人が唱えると、桃太郎に妖力が集まる。更に力の向上を感じた桃太郎は、弓を取り、矢を放った。


 温羅もまた弓を取り放ち、過たず桃太郎の矢の中心を射抜いて受け止め、真っ二つに切り裂いた。


『桃太郎とやら、朝廷の犬、お前では俺を救うことなぞ出来ぬぞ。結局巡り巡って帰するのだ。不変などないが、遍く全てが変わるまで、我らは不変なのだ。お前も今に分かるだろう』


「抜かせっ、私は鬼を倒す! 宝を返してもらうぞ!」


 ニヤリと笑って温羅は言った。


『おい、桃太郎よ、俺がお前に何をしたという。お前の町の宝が盗まれたとして、お前の襤褸屋に何の関わりがある。どうせ人から搾取して溜め込んだ宝だ。俺が持ったところで何も変わらん』


「そんなことはない!町の物である宝は、盗れば盗人と等しいのだ!」


『ふんっ。町の宝だ? 笑わせるな。町の宝な訳が無いだろう。それならお前の家から何か取られたか? 取られるものも無いだろう。何故か? それは町の一部の金持ちが溜め込んでいるからだろう」


「それなら町の娘や若者は!」


『お前たちは食べるために生き物を殺さないか? いいや殺す。それも殺すのは決まって自分たちより劣った生き物だろう。お前は魚を、鳥を、牛を、食べたことがないのか? いいや、そんな事はない。人間の食らう野の草だろうと生きているのだ。それと同じだ。俺たちは俺たちより生き物として劣る人間を喰らったまでだ。まあ俺だけなら食わなくとも良いがな』


「この国を治めているのは人間なんだ! 鬼はそれを脅かす存在、許しはしない!」


『何をそこまで正義感に囚われているのだ。お前は言ったな、治めているのは人間だと。それがもう自分たちが偉いと、強いと思う証拠だろう。俺たちは朝廷にまで弓引いてなどいない。どうだ、そこまで正義を貫きたいのなら、俺たちはもう人を襲わないと約束しよう。その代わり、お前はここで一生を過ごすのだ』


 鬼の言っている事は確かに正しい。獣王たちも動物を食べるために殺めているので共感するところは大きいのだ。3人は桃太郎の答えに耳を澄ます。


「私は、私には待っている人がいるんだ! 一度人を殺めたお前を許すわけにはいかない!!」


『クックック、そうだろうなあ。自分可愛さに他者を虐げ殺め苦しめ阻害する。それが人間、それが朝廷、それが世界だ。こい、桃太郎、いずれ全てが無駄だったと気付くだろう』


 桃太郎は矢を射かける。温羅も同じ速度で矢を放ち、矢は空中で交わり意味をなさない。矢が無くなり弦の切れた桃太郎に、雉の羽と犬の牙、猿の毛の力を合わせ獣王が弓矢を作り渡す。


 桃太郎は二本の矢を重ね放つと、温羅の放った1本の矢を防ぎ、残る一本は過たず温羅の左目を貫いた。


『くっ、桃太郎め!! 分からぬかっ』


 怯んだと見える温羅は雉へと姿を変え、開けた場所へ飛んで行くと、桃太郎は獣王の妖力を使って鷹に変じ、これを追いかける。洞窟を抜けると次に温羅は鯉に変じて川へと入るが、桃太郎は鵜に変じて捕まえ放り投げた。


 再び元の姿に戻った温羅と桃太郎は刀を構えて飛びかかる。お互いに、およそ普通の刀では耐えられないほどの打ち合いをする。さしもの獣王とて、その刀に恐れを抱いた。


 温羅の大太刀からは、悪しき力の奔流が流れ出し、辺りを冷たく包み込む。一振りごとに、刀というものを超越した<備前長船斜陽>の魔の手から逃れる事は難しくなってくる。風立ち暗雲がたなびき、相対する者の生命を刈り取る大太刀は、ゆっくりと、だが確実に桃太郎を追い詰めているのだ。


 戦いは熾烈を極めた。無心になり、相手を斬ることだけを考えて打ち合う事数百合、どちらが相手を斬って生き残るか。それだけを一心に刀を振り続ける。人間と鬼の戦いよりも、最早鬼の領域に踏み込んだ桃太郎からは、生き物の温度は失われつつ、常の人間ならば向けられただけで意識を失い逃げ惑う程の殺気が立ち込める。


 そこまで達しながら、さすがの桃太郎も腕が重くなってきた。


『どうだ桃太郎、もう腕が上がらないだろう。宣言してやる、お前はあともう少しで左腕を失う。これは決まっている事だ!』


「わ、私は負けないっ! 絶対にお前の首を討ち取ってやる!」


 感情を高ぶらせた桃太郎の踏み込みに隙ができる。すかさずその長い大太刀で温羅が斬り上げると、桃太郎の左腕が宙を舞った。


 苦痛に顔を歪め、傷口を咄嗟に右手で抑えた桃太郎を見て、慌てて猿王が治癒の妖術を唱える。


『見ろ、俺の言った事は全て正しい。俺も百年前に同じことを思った。俺ならば奴を倒せる。俺ならばきっと攫われた人を救える。必ずしも鬼を退治してみせる』


 傷つく桃太郎を見下ろし、鬼の頭領は語りかける。


『この刀が血を吸えば、あと少し、あと少し人間を喰らえば、神代の温羅が目を覚ます』


「っ、お、温羅っ! そんなもの、私が断ち切ってみせる!! こっ、この国は、この国の民は鬼などに負けはしないっ! これからも変わらずに在り続けるだろう!」


『自惚れるな、人間。かつて首を斬られて尚、生き続けた温羅に今の人間が叶うはずもない。国を見てみろ。誰が200を数えるまで生きている。誰が真の刀を振るえる。時代は移りゆく。いずれ、刀が廃れる時が来るかもしれない。力の均衡が崩れるかもしれない。お前如きが国を語るな。ちっぽけな人間に、国を守ることなぞ出来ぬっ!』


「俺がお前を斬るっ」


『それだ桃太郎。私、私と表面を取り繕うことはもうやめろ。正義漢ぶるな。お前はただ自分が楽しく過ごせれば良いという、浅ましい人間の塊、権現である。しかし難儀なことよ。俺の力では、まだ無理なのだ。お前はーー』


 全ての力を以って、桃太郎が鬼の首へと刃を走らせ、左腕ごと首を斬った。桃太郎は鬼を斬ったのだ。桃太郎の刀は折れて弾け飛ぶ。


「どうだ温羅っ! 人間の力を舐めるなよ!」


 斬り飛ばされた温羅の首が呟く。


『ーーお前は、俺を斬る。お前は、俺はまた、失敗した。己が目にしかと焼き付けろ。これが温羅の顔であるっ!!』


 温羅の首から色が抜ける。静寂の中、落ちてくる温羅の顔は、桃太郎だった。


「う、うわぁぁあああ!!!」


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 桃太郎は島の宝を纏めて帰って行った。丸薬の力で人にまでなった獣王たちと、町へ帰って行く。攫われた娘や若者はみな、死んでいた。


 町の人たちは大層喜んで迎え、桃太郎はお爺さんお婆さんの元へと帰った。誰も桃太郎の心に暗雲が垂れ込めているのも知らずに。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 日も暮れて辺りが暗くなった頃。


「あっしの予想通りでしたね。あなた様も予想がついていたのでは無いですか?」


「まあな。だからこそお前のような身元不明だが仕事は出来る奴に頼んだのよ」


 黒装束に頭巾の男と貴族風の男が屋敷の隠し部屋で話している。黒装束は何やら長い包みを解く。


「これが温羅の備前長船斜陽でさぁ」


「本当か? 些か長すぎないか」


「いえいえ、鬼の頭領が持ってた刀ですからね。それに、長船派の実の祖であり神の手を持つ斜陽の最期の一振りで」


「これがそうなのか。鬼の大きさに相応しいが。長船派にはどう渡るだろうな」


「あっしはそこまでは知りませんがね。桃太郎が帰ってきた最初の鬼ですぜ。しばらくは、桃太郎が死ぬまでは安泰でしょう。それまであっしもゆっくり暮らしたいもんですね」


「お前は使えるからな。此方側としても前線にいてもらうぞ」


「分かってます分かってます。全く休めませんなあ」


「それもそうだろう、お前の中の一人が斜陽なのだろう。関わってもらうぞ」


「はあ。全く平家の亡霊も休ませてくれませんね。温羅だって一度死んでるのに平家の亡霊と同化するなんざ誰も思いませんでしたよ。あなた様の父上も同じことを言ってましたが」


「仕方がないな。鬼の時代遅れに対応せねば我らが滅ぼされかねん」


「全く温羅童子も大和朝廷の時代じゃあないって言うのに、朝廷の犬朝廷の犬って五月蝿いですよ」


「ま、あの島にまさか平家の亡霊が居るとも知らずに温羅の首を投げ込んだ当時の上にも責任はあるだろう。それに今回の温羅も死体に触ることはできなかったのだろうな?」


「そうでさぁ。結局また繰り返すんです」


「終わらない、か。難儀なものよ」

 

「そんなもんですかね。それじゃあっしは今回の報酬だけ受け取っていなくなりますぜ。また暫くしたら会いましょう」


 金を受け取り、黒装束が消える。残された男は髭を撫でながら悪態を吐く。


「ああ、面倒だ。父上も早くに私に色々と押し付けて隠居されてしまった。公的な役職でないのがまた気が滅入るな」


 手を二度叩くとすぐさま使いの者が現れる。男は使いに指示を出す。


「備前長船斜陽に似せた大太刀を打たせて、吉備津神社へ奉納せよ。それを鬼を討ち取った刀と伝えよ。それから桃太郎については箝口令を敷け。出来るだけ優遇しておけばいい。取り返した宝をそのまま老夫婦に渡しておけ」


「はっ」


 使いがいなくなると男はそのまま酒を飲み始める。だんだんと夜は更けて行った。

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