第21話 脱獄

 結局どうするべきだったのか。答えは出ずとも自分が何をすればいいのかくらいはわかる。祐治は当初の目的通りリルリーシャの牢へたどり着いていた。わざとらしくヴィクトリアが城の中を案内してくれていたおかげで、祐治はさほど迷わずにたどり着けていた。


「リルリーシャ? 起きているか?」


 鍵のかけられた牢の奥に座り込んでいるリルリーシャに声をかける。。


「ん……祐治?」

「鍵を持ってきた。ここから出るぞ」


 祐治は鍵を差し込んでそれをひねる。中で錆びついているのか少し抵抗あったが、戸はすんなりと開いた。それを見ると意図せずため息が出た。


「おお……やったのじゃな」


 リルリーシャは腰を上げて、祐治に近づく。


「ありがとう。誰かに助けられるというのはこんなに……嬉しいことなのじゃな」


 解放された喜びにはしゃぐわけでもなく、小さく笑ってリルリーシャは祐治を見上げた。

 上品なその笑みは、幽閉されていた姫君を演じているようで、ならば祐治はそれを助け出す勇者だろうか。


「早く出よう」


 祐治は短くそう言ってリルリーシャに背を向けた。その勇者に足る行いを何一つしていない自分も腹立たしくて仕方がなかった。

 祐治はリルリーシャの言葉を待たずに地下牢の扉を開け、階段を登り始める。その時間を利用して祐治は簡単に経過を説明する。ヴィクトリアの目的のことや、クリスティーネと二人の行動、領主であるテオドールについて。ところがリルリーシャはすでに知っているようだった。


「あのメイドに聞かれたのじゃよ。お主を殺したことがあるかとな」


 当然答えはノー。それを信じたヴィクトリアは今回の復讐の実行を決意したとのことだ。

 自分の全く知らないところで話が動いていたことを知り、釈然としないまま祐治が階段を登っていると、出口の手前でリルリーシャに止められる。


「待て。待ち伏せされているようじゃ。気配がする。少し下がった方がいいじゃろう」

「気付かれたとは思わなかったんだけどな……」

「だとすれば元々知っていたかのう」

「それなら俺はとっくに止められてたんじゃ……もしかして泳がされていた?」

「ありえるのう。地下からの出口はここだけ。変に捕らえようとしてどこかに逃げられるより待ち伏せする方が楽と見たのかもしれぬな」

「俺は全然それに気付かずに……」

「その判断が正しいかは別じゃがな。早く逃げるとするかのう。祐治、扉を開けてくれ。1、2の3で頼む。私が飛び込むからな。静かになったらお主も入ってくれ」

「鍵をかけて閉じ込めているっていう可能性は?」

「ないとは思うが、それなら……まあ、どうにかすれば無理やりこじ開けることもできよう」


 こんな分厚い鉄の扉を破れるというのならあの牢も簡単に中から破れたのか、そんな言葉を飲み込んで祐治は飲み込んだ。


「……わかった」


 今は自分のできることをするだけ。少しだけ強めに返事をして、祐治は自分にそう言い聞かせた。例えそれが前線に立つ少女の補助のような情けない役目であっても。

 祐治は扉に張り付くと取っ手を両手で握り締めた。背中にひんやりと鉄の冷たさを感じる。祐治がリルリーシャの方を向くと視線で合図が飛んできた。

『いくぞ』

 リルリーシャが指で数を数え上げる。1、2の――


「3!!」


 全力で取っ手を引き、扉を開けた。その瞬間、リルリーシャが獣のように疾く、その向こう側に飛び込んでいた。そして悲鳴。

 祐治が急いで扉の奥を覗き込むと二人の男が倒れていた。リルリーシャはその間に立っている。


「……二人だけ?」


 魔女の脱獄を食い止めるというにはいささか戦力不足だろう。思わず疑問が漏れる。祐治は城の兵士総動員くらいはされるものだと思い込んでいた。


「こんな狭いところに何人もいても意味ないじゃろう。あわよくば不意をついてここで仕留めるが、私の予想では本命はあっちじゃな」


 リルリーシャは前方を指差した。城壁の外への出口だ。入ってきたときと同じ、つまり城の中庭へと出ることになる。そこに人影は見えない。


「そうは見えないけれどな……」

「……出口の真横に張り付いているのが二人。上から狙っているのか屋根に一人。他にはここから見えないように散らばっておる。7,8人か」

「そこまでわかるのか?」

「魔力と気配でなんとなくな。では、私が片付けてくるからお主はそこで待っておれ」

「ちょっと待てっ……」


 祐治の声が届く前にリルリーシャはゆっくりと扉の外に出た。リルリーシャの予想は正しく、左右から槍が伸び、上から大きな影が落ちる。


「リルリーシャ!!」


 気が付けばば彼女の言葉を無視して走り出していた。そして、彼女の達人的な技術を目にした。

 左から来た槍を腕で絡めるようにして背中越しに操り、右からの槍を受ける。そして上から飛び降りてきた兵士の太刀筋を紙一重で避け、片刃と見るや剣先を踏みつけた。兵士たちの攻めの手は一瞬で奪われ、リルリーシャはその一瞬の膠着の中で周囲の状況を把握し終えた。

 弓や銃を持っている兵士がいないことを確認したリルリーシャは右手に魔力の剣を生成し、右の槍の穂先を切り落とす。そしてそのまま体を回転させるように逆袈裟で正面の兵士を掠め切って退かせ、剣を捨てさせると同時に左腕に絡めた槍を強く引き込んで槍を奪った。

 くるりと一回転するだけで兵士たちを無力化した彼女を3人は恐れおののいて見ていた。彼らを見下し、しかし諭すようにリルリーシャは言った。


「素手でやるつもりか? 得策ではないと思うぞ」


 男たちは転がるようにリルリーシャから背を向けると背を向けて逃げていった。


「そう、それでいいのじゃ」


 リルリーシャは奪った槍を投げ捨て、空中で両断すると再び周囲を見回す。軽装の兵士が7人に、ゴテゴテの全身鎧が一つ。


「くっははははは。魔女と言うからにはもっと卑劣な手で抜けてくると思いましたが、中々やりますな。尊敬に値しますぞ」


 鎧がガシャガシャと音を立てて近づいてくる。リルリーシャはそれを無視して残りの兵士たちの装備を観察する。

 兵士たちの装備は槍か長剣と盾のセット。防具は革製の鎧だろうか。城での警備担当という故か戦場での防御力より普段の業務での動きやすさを重視しているようだった

 一方で目の前に歩み出てきた銀色の全身鎧は正反対である。全体的に柔らかな印象を与える丸い鎧は攻撃を受け流すのに優れており、関節と目元以外は全てを覆い隠している。それに加えて手には首元から足元までは届きそうな長方形の盾。逆の手には大きな斧槍。

 リルリーシャはそれを頭から足にかけて視線を一往復させ、小さくため息を吐いた。


「私たちを逃してくれる気はないか? 皆殺しにされたくはないであろう?」

「もちろんそれはゴメンですな。だが、私も部下を殺させたくはありませぬ」

「であれば、一騎打ちとでも行くか?」

「ふっ、受けましょう。私に勝ったらその後ろの臆病者、失礼。ウェンツェル様と一緒に逃げるがいいでしょう。ま、そこまでするその価値があるとは思えませんがな」


 バケツ状の兜の奥から侮蔑するような視線が祐治に向けられる。


「祐治は私の大切な……友人じゃ。侮辱することは許さんぞ」

「あなたのような小さな女の後ろに隠れるような男を友人と呼びますか。魔女というより聖女ですな」

「きさっ……」

「いいんだ。リルリーシャ。そいつの言う通りだ」


 リルリーシャの言葉を祐治が遮った。そして言葉を繋げながらリルリーシャの前へと出る。


「俺はクズだよ。これでも俺がお前も守ってやるとか決心したつもりだったんだぞ? それなのに、自分では何一つ行動せずに他人の駒になって。ここに来るまでだって俺は何一つ自分で道を歩んでいない。誰かに使われるか、後ろに隠れているだけさ」


 祐治の心は凍りついた湖のように穏やかだった。先のリルリーシャの動きを見て全て理解してしまった。自分は彼女にとって何の価値も無いのだと。

 魔女と呼ばれる彼女はあまりにも万能で、それでも所々に欠けたところのある存在であった。それを埋めるために、彼女を支えるために祐治は一緒にこの街に来たつもりだった。だが、そんなものはただの思い上がりだった。魔角虎と森で戦い、たった一度、彼女が弱りきっているところを助けただけで勘違いしてしまったのだ。例え彼女に欠けているところがあろうとも、自分にそれを埋められるかは別の話なのだ。


「そんなこと無い! 私は……」

「そう言ってくれると思ったよ。でも、信じられないんだ。俺にはそんな価値なんてない」

「敵の前で痴話喧嘩ですか?」


 鎧が腹立たしげに言った。


「そんなんじゃないさ。……だから、ここは俺が戦う」


 祐治はリルリーシャの剣を真似て生成し、鎧に向けた。剣先は震えていた。


「お前……いえ、失礼。ウェンツェル様が? くははははは、準備運動にもなりませんな。いくら魔女の外法に手を染めても剣術が上達するものとは思えませんぞ?」

「やってみなくちゃわからないだろ!」


 祐治は去勢を張るように声を張り上げた。


「待て! 何を言っているかわかっておるのか!? お主がそんなことせずとも、私が戦えば……」

「ダメなんだ。ここで引いたら俺はきっと一生お前の後ろに隠れることになる気がする。そんなのは嫌なんだ」


 そう言いながら祐治は一度現世で死んだときのことを思い出していた。

 勝手に世界や未来に絶望して、自分のやりたいことすらも見失って、自分の生に何の意味もないと思い込んでいた。それならばいっそ誰かを庇って死ぬのがよほどいい命の使い方だなんて妄想して、そしてあの場面が訪れた。その時自分を突き動かしたのは何だったのかは今までよくわかっていなかった。

 だが、今の祐治は確信していた。あれは人のためになるだとか、そんな素晴らしい感情じゃない。ただの恐怖と意地だ。毎日妄想するくらいに思い描いていることすらもできないと言うなら他に何ができることがあるというのか。何もない。危ないから。弱いから。役に立たないから。そんな正当な理由の元に自分の意志を柔軟に曲げ続けるだろう。

 それはたまらなく恐ろしいことだろう。自分自身との約束を反故にしつづけ、自分に不信を抱き、そして絶望する。けれど一生それと付き合い続けなくてはならない。そんな呪われた人生を送るのを無意識に自分は避けたのだ。


「私はそれでもいいのじゃが……」


 リルリーシャが悪魔のような誘惑をしてくる。だが祐治はその誘惑を一瞬で振り切る。

 今がまた意地を張るときなのだ。もう確信してしまったのだ。理解してしまったのだ。ここで前に出なければ一生リルリーシャの後ろに隠れ続け、自己嫌悪を抱き続けながらもそれに甘んじ、飼われるように過ごし続けると。


「俺がダメなんだ。頼む」

「……死ぬかもしれんぞ。その体も不死身ではないはずじゃ」

「それは……嫌だな」


 強がりも全て捨てた正直な感想だった。自分が死んでもきっとリルリーシャは一人で切り抜けるだろう。一度死んだ時は違い、これは誰かを助けるためではない。これはただ自分が満たされるための戦いなのだ。だから死んでは本当に全てが無意味になる。それに単純に目の前の彼女と分かれるのが嫌だった。それだけでも大きな理由だ。あのときとは違う。


「お主、人と殺し合いをしたことはあるのか? 剣を習ったことは?」

「ない。だけど、それを理由にしちゃいけないんだ」

「そうか……私だってお主が死ぬのは嫌じゃ。だから、少し鍛えさせてもらうぞ」


 リルリーシャはそう言うと、背伸びをして祐治の頭に手をかける。 祐治は反応するまもなく彼女の元へ抱き寄せられ、気が遠くなるほど長い口づけを受けたような気がした。

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