第22話 血塗られた魔女の目覚め
村から少し離れた館の寝室、少女は床につく。この一帯を治める領主である騎士の別荘だ。貴族趣味とは程遠い、石造りの質素な館ではあるが、村の一般的な住宅とは比べ物にならない。
ここを知るものは少女と彼女の両親以外に誰も知らない。幻のような楽園だった。
だから、それはいつもと変わらない夜になるはずだった。星々の祝福を受け、森の息吹を感じ、虫の合奏を聞いて、いつも通りに眠るはずだった。何にも侵されること無い、聖域にいるのだと少女は信じていた。
何かが割れる音がして目を覚ましたが、気にするようなことではないに決まっている。ここには誰も敵は来ないのだから。だが、隣の部屋から響いた母親の悲鳴で何かが起きたのだと少女は理解した。
少女は飛び起きて、部屋を出る。騎士の娘として育てられた彼女なら当然のことで、恐怖はなかった。
両親の部屋に飛び込むと、父親が血を流して倒れていた。部屋の奥にベッドには複数の男が屍を貪るハイエナのように群がっている。
「なにを……しているの……」
「ああ、娘さんか。ちょっと前にお前のお父さんが俺たちの仲間を皆殺しにしてくれてな。その御礼さ」
そう言って薄汚れた男が少女に血の滴る剣を突き付ける。少女は反射的に一歩後退りし、足元に落ちている剣が視界に入った。父親の愛剣だ。それを手にし、少女は男の懐に潜り込んで剣を力の限り振り上げた。男は平然とそれを受け流す。
「私と……私と勝負しろ!」
やり返すように少女は男に剣を向けた。少女が扱うにはかなり大きいものだ。片手で突き出すにも腕力が及ばないのか重力に耐えるように震えている。
「くはははっ、いいだろう。頑張れよ。お父さんが見てるぞ。お母さんは……それどころじゃないか」
下婢た笑いを浮かべながら、男は部屋奥、後方のベッドを振り返って見た。その瞬間、少女が男に斬りかかる。それを見ずに男は受け止めた。
薄いネグリジェ姿の彼女にその豪奢に飾り付けられた剣は似合わない。小さな体はむしろ剣に振り回されるかのようにおぼつかず、だが、形振り構わず少女は憎しみを剣に込めるよう男に襲いかかる。それをいとも簡単に男は受け流し続ける。その最中も剣戟の音に紛れて、奥から母親の悲鳴が漏れてくる。
「ほらほら、早くお母さんを助けてやれよ」
少女の剣を受けながら男が笑う。腕力に見合わない大きな剣では満足に振り回すことも出来ず、威力も速さも発揮されることはない。
「黙れ! 殺す、殺してやる!」
少女の憎悪の叫びに女性の悲壮な泣き声が答えた。部屋の中で反響し、男たちがその二重唱に歓声を上げる。
「だったら早く殺してみせろよ。後3人も残っているんだぜ?」
「死ね! 死ねええ!!」
技術も何も無い振り方であった。武器を鈍器に置き換えても何一つ変わらない。相手に叩きつけることだけ考えた、力と感情に任せた太刀筋。偶然にもそれは男の頬に届き、切っ先が血で濡れた。思わず少女の表情が緩む。その瞬間、男の剣が腹を突き破った。
「え……う、そ……」
男の剣が引き抜かれると同時に少女は膝から崩れ落ちる。
「やっべえ……こいつも犯すつもりだったのに……まあ、いいか」
男はそう言って座り込んでいる男に近づき、笑った。
「どうだ、騎士様。愛しの娘が死んじまったぞ? ヤラれる前に死んで幸運だったかぁ? ははははは」
薄れゆく意識の中で少女はそんな声を聞いた。意味を考えることはできなかった。少女にそんな理性など残っていなかった。残っていたのは生への執着だけ。それは憎悪と同義だった。
死んでしまえば切り裂けない。刺し貫けない。この憎しみをどうやって表現すればいいのか。
動け。立て。剣を持て。振り下ろせ。父を傷つけ、母を穢すこいつらを殺すのだ。
体が炎に飲み込まれたようだった。熱くて熱くて熱くて、体が焼き尽くされるようで、そして力が戻ったのを少女は感じた。おとぎ話の不死鳥は死ぬときに燃え尽き、そして灰の中から再び生まれ変わるという話を少女は思い出していた。自分は不死鳥ではないけれど。この炎も普通の火ではない。憎しみの業火だ。
「おっと、刺し所が良かった……いや、悪かったのか」
男は少女の気配に気付き、振り向いて構えた。
陽炎のようにゆらりと立ち上がった少女は何かを確かめるかのよう顔の前で右手を握り、開き、握り、それを繰り返す。
「おいおい、剣を取れよ。もう一度勝負するんだろう?」
「……そうだね。だけどこれは必要ないよ」
全てが燃え尽きた焼け野原のように静かな声だった。そして、少女が前に手を掲げると灰の様に白い剣がいくつも彼女の頭上に形成されていく。
「なっ、何だこれは!?」
驚愕の声を上げ、男が一歩引く。
「なんだろうね。でも、これからどうなるかはわかるよね?」
少女の手にも剣が収まる。そして彼女は男と距離を保ったままそれを振り上げ、敵を指し示した。
無数の剣が男に放たれる。1本、2本、男が弾けたのはそこまでだった。3本目は右膝、4本目は左膝を貫く。男の体は衝撃で後ろによろめく。だが、地面に崩れ落ちることはなかった。貫通した剣は斜めに床へ突き刺さり、控柱のように男の体を支える。耳を覆う様な絶叫が響いた。
「ぎゃああああ!!!!! 俺の!! 俺の脚がああああああ!!!!!!」
少女はそれに動じることもなく男に近づき、手に持った剣で男の手首を切り裂く。本物の剣が落ち、血が跳ねた。
男の悲鳴に反応して奥のベッドから半裸の男たちが出てくる。少女は男たちを睨みつけると、磔にされた背中越しに男を刺した。彼の肩に穴が空いたが、少女にとってはどこに刺さろうが関係なかった。
「ほら、早く助けてあげなよ。ふふっ、仲間なんでしょ?」
乾いた笑みを浮かべ少女は剣を捻る。苦しませることだけを目的として。
男たちはその異常な様子の少女と現実離れした光景に恐怖と戸惑いを禁じ得ないようだったが、各々武器を取ると少女に立ち向かった。悪魔から仲間を救うために。
だが、刃は少女に届かなかった。再び無から作られた剣によって男たちは貫かれ、壁に縫い付けられる。奏者を変えて、今度は部屋の中に悲痛な悲鳴が響く。
それもいつまでも続くものではない。だが、男達の声も小さくなれば 少女は剣で指揮を取り、笑いながら男達の悲痛な歌を鑑賞し続けた。
やがて男たちが息絶え血が滴る音すらも聞こえるほどの静寂が訪れるころには少女の怒りも燃え尽きていた。
「……お父様」
うわ言のようにつぶやき、少女は父親の元に近づく。歩くたびに血の水たまりを揺らすが気にかける様子はない。
少女の父親はすでに息絶えていた。彼女はその傍らにしゃがみ込み、手をかざす。そうすれば自分と同じように死から目覚めることを祈って。
だが、手の先が僅か光るだけだった。彼女にはこれが癒やしの光であるとわかったが、この空間に満ちた死と絶望を振り払うには儚すぎることも理解できてしまった。
少女の頬から雫が落ち、血溜まりに飲まれる。
「お母様は……?」
少女は立ち上がると母親がいるであろうベッドに向かう。ベッドを囲むカーテンは赤黒く染まり、中の様子は見えない。つまり、少女は自分の手で汚された母親の姿を曝さなくてはならなくてはならなかった。
少女は湿り気のあるそれをつかみ、ゆっくりと引き開けた。中には少女の母親が人形のようにベッドに横たわっていた。彼女の虚ろな視線が少女に向く。
「もう……殺して……」
母親は懇願するように言った。その相手が誰なのかも分かっていないようだ。
少女は蹂躙され、穢され尽くした母親の体を見下ろし、ゆっくりと近づく。その手には鋭利な短剣が握られている。絶望の淵では死が安らぎになることがあることを少女は知っていた。それ故に彼女は盗賊たちを殺したくはなかったのだから。
「大丈夫です。お母様。私が、救ってあげますから」
充満した血の匂いは死への距離感を縮め、実に短絡的な解決方法を彼女に提案した。
「あなた……リリー……なの?」
その問いに少女は一瞬だけ戸惑ったが、柔らかな口調で答えた。
「はい。だから、安心してください。お母様」
少女は涙を流しながら母親の首元に短剣をかざす。
「……ごめんなさいね。でも、私……」
「わかっています。今はゆっくりとお休みになってください。私が、いますから」
「……そうね。お休みなさい。灯りを消してくださる?」
「……はい」
少女の手がまた返り血で染まる。どんなに泣こうともそれが薄まることはなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます