幕間-メイドの企み-

 城のある小部屋、上品に飾られた黒檀の机を覆い隠すように積まれた書類に向かって一人の男が座っていた。20歳そこそこの若さと芸術品のような美貌に見合わず、支配者の雰囲気を醸し出す彼はこの城の主、テオドール・デル・クラウス・エイザルアルフであった。

 6年前に両親を病で亡くし、その次の年には兄を魔女に殺された彼はアーゼルフの統治者となった。成人したばかりとは思えないその貫禄と先見により安定した治世を行うと民衆からも慕われる存在である。


「テオドール様、ご報告があります」


 無機質な声とともに部屋のドアが叩かれた。


「入ってくれ」


 手に持った書類から視線を移すこともなくテオドールがドアに向かって言った。それに応えるようにドアが開き、入ってきたのはメイドのヴィクトリアだった。


「門番から報告のあったウェンツェル様と接触、これと……魔女を捉えました。血色の瞳の。現在、ウェンツェル様は元々の自室に軟禁。魔女は地下牢に閉じ込めています」


 淡々と読み上げるようにヴィクトリアはテオドールに向かって戦果を報告する。それを聞いてテオドールは深く息を吐いて書類を置くと、背もたれに体を預けて考え込むように瞳を閉じた。


「……魔女の様子は?」

「特に何も。大人しく牢に入っています。脱出する気はないようです」

「兄上は?」

「記憶を失い、何らかの魔女の魔法を受けているようですが、本人なのは間違いないかと」

「どうしてそう言い切れる?」

「記憶がなくなろうともその本性が変わるものではありません。早くもクリスティーネが……いえ、これ以上は私から言えませんが、あの邪悪さはウェンツェル様特有のものかと」


 表情を全く変えず、ヴィクトリアは言い放った。


「一番近くにいた君が言うなら間違いないか……」


 死んだ兄がその殺した張本人とともに戻ってくる。突拍子もないことであるが、テオドールが動揺する様子はない。


「ハインリヒが戻り次第、二人を殺す。君が兄上と魔女の監視に当たれ」


 森近くの村から魔女出没の知らせを受け、テオドールは城の騎士団を派遣していた。その隊長がハインリッヒ・フォン・シュッツバール。アーゼルフの真の城壁とも呼ばれる、この都市最強の騎士である。


「かしこまりました。……ところで、2度目だと慣れたものですか?」


 仰々しく頭を下げたヴィクトリアの瞳に僅かに感情が宿った。


「……何?」

「いえ、独り言が漏れてしまいました。それにしてもいささか急だと思いますが」

「魔女はその存在が罪だ。それと関わりを持ってしまったのなら、兄上も同じだろう。彼らは敵だ。始末しなければならない」


 テオドールの仮面が欠け、彼の感情が微かに表に現れる。それは焦燥にも似た憎しみのようだった。


「ふふっ、領主様はご立派ですね。私は、身近な敵にしか目に入りませんから」


 わざとらしくヴィクトリアが笑う。


「この街を良くするためにはたくさんの敵を排除せねばならないのだよ。君の主人もその一人だ」

「一人だった、ではなくて? いえ、失礼しました。これも独り言でございます。わたくし、ウェンツェル様に仕えていたせいか、随分と他のメイドより……劣っているそうなのでご容赦くださいませ」


 ヴィクトリアはそう言って、スカートの裾を両手で持ち上げると、片足を引きながら深々と頭を下げた。自動人形のように正確だが、拙い動作だった。


「……知っているさ。元々君にそんなものは期待していない。兵士たちより粗暴じゃないだけかなりマシだ。これで話は終わりだ。仕事に戻れ」


 テオドールはもう苛立ちを隠そうともせずそう言い放ち、積んである書類の一枚を手に取った。

 ヴィクトリアはくるりと振り返り、礼もせずに部屋から出る。

 外にはクリスティーネが立っていた。ヴィクトリアは口を開きかけたクリスティーネを制し、先導するように歩き始める。

 いつものサボり場、4階の廊下の角に着くや否や、窓枠に腰掛けてヴィクトリアは呟いた。


「盗み聞きとは感心しないわね。メイドとしてどうなのかしら?」

「それ、ヴィクトリアが言うの?」


 クリスティーネが呆れたように返す。


「って、そんなのどうでもよくて……ヴィクトリアはテオドール様がウェンツェル様を殺したと思ってるの?」

「だとしたら?」


 ヴィクトリアのその言葉にクリスティーネは体をすくめ、禁忌に触れようとするかのように慎重に尋ねる。


「……わかんない。でも、今回は間違いなく」

「そうみたいね」


 他人事のようにヴィクトリアは言った。


「ヴィクトリアはどうするの?」

「もちろん指示に従うわよ」

「私、聞いたことがあるよ。昔、ウェンツェル様がスラムから連れてきたメイドがいたって」

「あなた、噂話好きだものね」

「情があるわけじゃないんだよね?」


 ヴィクトリアは答える代わりに空虚に笑って言った。


「可愛らしいから手元に置きたくなったんですって。まるでペットね」


 クリスティーネはその笑いから答えを見出したようだった。ヴィクトリアの瞳を見据えて決意を口にする

 。

「……いくらあの人が酷い人でもヴィクトリアにとっては違うのかなって思ってた。でも、違うんだよね。私、ヴィクトリアを手伝っていいんだよね?」


 ヴィクトリアは少し驚いたように目を見開き、やましそうに彼女から目を逸した。


「そう、それなら……私も助かるわ」


 それは空々しいくらいに無感情な言葉だったがクリスティーネはそれに気にする様子もない。いつものことなのだ。


「で、テオドール様に口添えしてくれない? 立ち聞きしたなんて言えないし……」

「いいわよ。『私と組んでいるクリスティーネは多少性格に難があるけど実力は確かで信頼もできる。戦力の一人としていかがでしょう』とでも言ってきてあげる」

「その勧め方はどうなのかな?」


 クリスティーネが不満げに口を尖らせる。だが、自分にもその自覚があるのか強く反発する様子はない。


「ごめんなさいね。ま、とりあえず話してみるわ」

「……うん。よろしくね!」


 ヴィクトリアは立ち上がり、再びテオドールの部屋へと歩き始める。そして角を曲がりクリスティーネの視線が切れると一人呟いた。


「本当に、ごめんなさいね」


 微かな足音にもかき消されるその言葉は彼女には届くことはなかった。

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