第19話 兄弟水入りディナー
ウェンツェル様、夕飯のお時間です。食堂へ案内いたします」
軟禁生活から2日ほど経った頃、ヴィクトリアが祐治に告げた。
この期間は何の成果もなかった。部屋に持ってこられた食事を食べ、ただぼうっと部屋の中で過ごすだけ。結局リルリーシャに会うことも許されず、脱出についての作戦を考えようにも、部屋の外の状況が全くわからなければそれもただの妄想でしかない。無意味に時間を失い、状況が変わるのをただひたすら待つ。酷い拷問のようだった。そんな祐治にとっては願ってもない偵察の機会であった。
「それからあなたの弟、今の当主のテオドール様も一緒です。とやかく言ってくると思いますが、適当に流してください。記憶喪失ということにしておきましたので」
それだけ言うとヴィクトリアは祐治に背を向けた。付いてこいということなのだろう。彼女に次いで祐治は廊下に出る。
そのままヴィクトリアの後ろを歩いていると、祐治にはなんとなく城の構造のイメージがつかめてきた。環状の廊下をベースにして規則正しく配置された部屋や階段。中心側に付いている扉は極端に少なく、大きいホールとかでスペースを取っているのかもしれない。
それからすれ違うメイドたちの反応で自分がどんな立ち位置なのかを否応なしに祐治は実感させられた。驚きと落胆、そして嫌悪を隠そうともしない。害虫の方がまだ優しい視線を向けられていそうだ。ヴィクトリアの言う通り本当に自分がここの主人であったと言うのなら恐ろしいまでの嫌われようだ。
祐治にそんな分析を許すほどヴィクトリアは城の中を練り歩いている。同じフロアで3回程階段を通り過ぎたこともあった。
「もしかしてわざと遠回りしていないか?」
「そう思うのでしたら少しでも間取りを覚えたらどうですか? ああ、ちなみに牢屋は外の城壁の地下ですので」
ヴィクトリアは振り向きもせずにそう答える。どういう意図なのだろうか。彼女の金色の髪を後ろから眺めてもわかるはずもなく、祐治は言われたとおりに周囲を観察しながらヴィクトリアの後ろを歩いていった。
結局階段の上り下りを繰り返し、元々居た部屋から一つ下のフロアの食堂にたどり着いた。
ヴィクトリアに扉を開けてもらい部屋に入ると中心には10人くらいは座れそうなテーブルが置いてあった。そんな食卓の割には集まっている人間は少なく、すでに席についているのが一人。その2,3歩後ろで控えるメイドが一人。
メイドは軟禁初日にヴィクトリアに胸を揉まされた、クリスティーネだった。親の敵を見るような憎悪の視線を隠そうともしていない。
「申し訳ありません。遅れました」
ただ事実を報告するように言ってヴィクトリアが席についた男に頭を下げる。
「さあ、ウェンツェル様も席へ」
そう言ってヴィクトリアは男の正面の椅子を引いた。空いている席はそこにしかなく、料理も席と同じく2人分しかない。ここに集まったみんなで仲良く会食、というわけではないようだ。流石に祐治もそんな考えは持っていなかったが。
「あ、ああ……」
言われるがままに祐治は席につく。正面の男はどこか鏡で見た自分の姿に似ていた。歳は同じく、20前後くらいだろうか。
「お久しぶりです。兄上。いえ、記憶が無いのでしたね。そこのヴィクトリアから報告は受けています」
その発言から判断するに彼が弟のテオドールなのだろう。爽やかな好青年。初めに祐治が受けた印象はそれだった。少なくとも自分のように城の中で嫌われているようなこともなさそうだ。
「まあ、再開を祝してまずは食べましょうか」
そう言ってテオドールは微笑むとグラスに入った赤紫色の飲み物を口に運ぶ。ぶどう酒か何かだろうか。祐治は少し躊躇ったが、出されるということは法的にも飲んでも許されるのだろうと彼にならってグラスに手を伸ばした。が、祐治の手は空を切った。
「お待ち下さい。ご主人さま。私、すごく喉が乾いているんです。頂いてもよろしいですか?」
急に口を挟んだヴィクトリアが祐治から掠め取るようにグラスを手に取っていた。祐治の言葉を聞くまでもなく、顔の前でグラスを揺らしその香りを確かめる。
「お、おい!」
「ん……中々の香りで。これは私がいただきますね。ご主人さまのは今私が取って参りますので」
誰もが言葉を失っている中、ヴィクトリアは代わりの飲み物を用意するためか平然と替えのワインボトルが置いてあるサイドテーブルまで歩く。
「ヴィクトリア! な、何考えているの!?」
初めに声を出したのはクリスティーネだった。単に彼女を咎めるというようよりも驚愕しているようだ。
「喉が渇いて、どうしてもこれが欲しくなったのよ。いいですよね? ご主人様」
「はぁ……もう遅いだろ。好きにしてくれ」
「ですって。今の私の主人はウェンツェル様ですから問題ありませんね」
ちらりとヴィクトリアはテオドールに視線を向け、グラスを持ったまま逆の手で瓶を持ち、空いたグラスに注ぎ始める。手に持ったグラスは油断すれば溢れそうなくらいには満たされているが液面が乱れる様子はない。ただ飲み物を注いでいるだけなのに、絵画のモデルのように洗練されている姿だった。
「……ヴィクトリア。何を考えているのかは知らないが邪魔するのなら君は席を外してもらえないか?」
微笑みを保ちながらテオドールが言った。
「私もそうしたいのは山々なのですが、まだご主人様は記憶を無くして、お体の様子も優れないようで……従者として目を離すことはできませんわ。はい、ご主人様」
ヴィクトリアはそう言って祐治の前に新しく注いだグラスを置くと料理の品定めをするかのようにじっと見つめた。
「……食べたいのか?」
「ええ。スープを一口」
悪びれた様子もなくヴィクトリアは言った。この場にはテオドールと祐治の分の料理しか用意されておらず、ここは二人の食事の場であることは明白だ。そこに割って入るヴィクトリアの胆力に祐治は心のなかで称賛し、スプーンを渡した。
「別にいいぞ。ほら」
ヴィクトリアは祐治からスプーンを受け取り、白くてとろみの付いたそのスープを掬う。そして鼻先にそれを近づけて注意深く匂いを嗅ぐと、舐めるようにほんの少しだけ口に含んだ。
「ん……問題ありませんね。いいお味で」
ヴィクトリアはスプーンに残ったスープを少しだけ観察するように眺めた後、満足気に残りも口に含んだ。
「ごちそうさまでした。ご主人様、失礼いたしました」
「全くだよ。俺は気にしないけど……」
祐治はちらりと今回の立食相手を見る。テオドールの顔には仮面のように笑顔が張り付いているものの、ポーカーフェイスにしか思えない。
「お前……自分が何をしているのかわかっているのか? 邪魔するなら問答無用で追い出すぞ?」
「それは申し訳ありません。ですが、欲しいものは頂けたのでもう邪魔はいたしません」
ヴィクトリアは見せつけるようにグラスを揺らした。そんなにあのぶどう酒が好物なのだろうか。だが、香りを嗅いだだけで口にしていないようだ。祐治はそんなことを少し疑問にも思ったが、深く考えないことにした。きっと香りを楽しむくらい高価なのだろう。そんなことよりももっと大事なことがある。
祐治はテオドールに視線を向ける。この男は一体どんなやつなのだろう。自分の弟で、ここの領主なのはわかっている。だが、リルリーシャと脱出する上での障害になるのだろうか。
「……では気を取り直して。兄上、いくつかお聞きしたいのですが、どうして魔女といたのですか?」
上品な手付きで肉料理を一口運ぶと、テオドールは祐治に問いかけた。
相手がどういう存在なのか。それこの会話を通して掴むしかない。祐治はゆっくりと言葉を選ぶようにテオドールの問に答える。
「気付いたらあいつに助けられたのか、家で介抱されていた。それで一緒にいただけだ」
どういう答えが正解なのかは祐治はわからなかったが、無闇に偽ろうとも思わなかった。嘘が下手な自身はあるのだ。
「なるほど……。魔女の住処はどこだったのですか?」
「さあ? 森の奥としか。正確な位置はわからない」
これも事実だった。祐治はこの街に来るときも前を歩くリルリーシャに付いて来ただけである、現に一人で帰ることもできない。
「魔女とはどのように過ごしていましたか?」
微笑みは絶やさず、淡々とテオドールは祐治に質問をぶつける。祐治に次第にこの食事がどんな場なのかが理解できていた。ここは法廷だ。ウェンツェルが魔女の下僕へと成り下がったのか、この場で見極めようというのだ。秤に一つ一つおもりを乗せるように、問を積み重ねながら証言を聞き、裁くのだ。
「……散歩したり、ボードゲームをしたり、楽しくやっていたよ」
祐治ははっきりと言い放つ。それは偽ることのできない紛れもない事実だった。狂気的な言動に恐怖を覚えたり、刺されたりもしたが、そんなことはどうでも良くなってしまう程の魅力が彼女にはある。そんな子と一緒に過ごせて、辛かったなどとは口が裂けても言えなかった。
「俺からも聞かせてもらいたいんだが、どうして魔女はそんなに憎まれるんだ?」
その問にテオドールは祐治に見下すような視線を向け、大げさなため息を吐いた。
「魔女は不幸をもたらす存在なのですよ。膨大な魔力があるのをいいことに自分勝手に世界を歪めて魔法を使い、そしてそのしわ寄せが僕たちに来る。存在してはならないのです」
テオドールは教科書に書いてある常識を言い聞かせるように言う。
違う世界から人の魂を呼び寄せるためにどれくらい世の中を歪めなくてはならないのか。それは祐治にはわからない。だが、それが直接の原因で不幸になった人間なんて見ていないし、リルリーシャは人を救おうとしていた。テオドールに説き伏せられるつもりはなかった。
「だけど、それで人を助けることだってできるだろ。リルリーシャは……」
「そんなことないと? 魔女に飼いならされましたか。まあ、いいでしょう。そんなことより……」
テオドールは興味なさそうに祐治の言葉を遮りヴィクトリアに視線を向けた。
「ヴィクトリア、気が触れたのでもないならそのグラスを兄上に返すんだ。それは兄上のための最高の一杯だからな」
「ええ、わかっています。死んでしまいそうなくらい素敵な香りがしますから」
ヴィクトリアは仰々しい動作で匂いを嗅ぐと、顔をしかめる。
「しかし、流石に濃すぎませんか? 致死量の2、3倍どころではありませんね。毒殺するなんて話聞いてませんよ?」
「毒殺!?」
祐治の驚きの声はヴィクトリアに放り投げられてグラスが砕けた音にかき消された。
「ふふっ、なるほど。わかったよ。クリスティーネ、予定変更だ。全部片付けておいてくれ。僕は部屋に戻る」
「えっ、でも……」
「彼女は兄上に操られているようだ。正気に戻してやれ」
そう言ってテオドールは表情を変えずに席を立つ。ここまで徹底されては無表情と同じだ。祐治はその感情のない笑みを呆然と見送った。その瞬間だった。影が飛んだ。
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