第18話 劣らぬクズ

 確かにヴィクトリアとは全くの別物だった。その豊かな体は、全てを慈悲で包み込む聖母のようでありながら、男を誘い堕落させる娼婦のようでもある。ヴィクトリアと同じデザインのメイド服を着ているものの、胸元のリボンの下にはスリットが入っており、白い肌が露出している。


「……ごめんなさいね。クリスティーネ。私のせいで……」

「ううん、ヴィクトリアのせいじゃないよ。悪いのは……」


 クリスティーネと呼ばれたメイドが祐治へ向けているのは、慈愛でも媚びでもない。嫌悪だった。だが、それを向けるべきは自分ではない。横で悲しそうにうつむいている、そのメイドが全ての元凶なのだ。と、口に出せるはずもなく祐治は心の中で悪態を吐いた。

 クリスティーネは祐治の隣に座ると、少し弓なりに体を逸らし、祐治を睨んだ。


「どうぞ、早くしてください」


 見知らぬ女性に憎悪のこもった瞳で睨まれながら正面から胸を触る勇気は祐治には無い。無いのだが、奥に立っているヴィクトリアがクリスティーネから見えないことをいいことに視線で脅しをかけてきている。わかっている。これもリルリーシャのためなのだ。ここから脱出するためなのだ。そう自分を言い聞かせても、自分から性犯罪者に堕ちるなんてできはしない。それなら――


「手を動かす労力が惜しい。ヴィクトリア、さっきみたいに俺の手を持て」


 呼ばれたヴィクトリアもこの返しは全く予想していなかったようだったが、祐治の意図することを理解したのか、一瞬だけ嬉しそうに微笑んだ。


「はい。ウェンツェル様」


 ヴィクトリアは祐治の隣に座る。そして、子供にするように祐治の手を取り、クリスティーネの胸元に運んだ。

 これならば自分で彼女の胸を揉むことなく、なおかつヴィクトリアからの要求をこなすことができる。しかも、行為の責任を他者に押し付けるという意味では更にクズ度が増しているかもしれない。祐治は自分の機転の利き具合を称賛した。

 後は目の前から浴びせられる、呪いのこもった視線に耐えるだけだ。クリスティーネは羞恥から怒りからか、顔を真っ赤にして涙を浮かべながら祐治を睨みつけている。興奮した獣のように口からは空気を切る音が漏れ、ギュッと握った拳はプルプルと震え、体が勝手に祐治を殴りだすのを必死に止めているようだ。


「こんなことを使用人にさせて、恥ずかしくないの……!?」


 せめてもの抵抗のようにクリスティーネが言う。もちろん恥ずかしく、良心という良心が身体の中で暴れまわり、祐治の全身が張り裂けそうだった。だが、きっとここの主人はそんなことを霞も思わないのだろう。そんな素振りを見せるわけにはいかなかった。


「どうしてだ? メイドをどう使おうが俺の自由だろう?」


 祐治はできるだけ平然と、これが自分の正当な権利を行使するかのように言った。その瞬間、クリスティーネの拳が祐治の耳元を掠めた。


「……うっ、……ごめん、なさい……」

 自分がヴィクトリアの代わりだということを思い出したのか、その拳の根本を抑えるように反対の手で掴む。


「いいや、気にするな。それぐらいの方が、そそるからな……」


 祐治は自分の心の悲鳴を聞きながら、できるだけ下卑た笑いを浮かべた。もう限界である。


「ウェンツェル様、今日はこのくらいにして頂けないかと……」


 顔にそれが出ていたのかヴィクトリアがここぞとばかりに助け舟を出した。祐治は全力でこれに乗ることにした。


「ま、まあ、お前がそう言うならな。いいだろう。下がっていいぞ」


 それを聞くとクリスティーネは、挨拶もなしに逃げるように部屋から出ていった。バタンと閉じられた、その憎悪を一身に受け止めたドアが心配になってしまう。

 それを黙って見送ったヴィクトリアがポツリと呟く。


「あまり私の友人をいじめないでくださいませんか?」

「お前がやれって言ったんだろ」

「それはそうですが……あそこまで気持ち悪いことするは思っても見なかったもので。ですが見事でした。これで勝手に噂は広まるでしょう。『クズのウェンツェル様、記憶を失っても健在なり』と」


 性格の悪そうな笑みを浮かべるヴィクトリアを見て祐治はため息を吐いた。何が目的かは知らないが、自分の計画のために友人の体を売るのも大概だ。いや、やはり自分の言動の方がどうかしていたかもしれない。手には柔らかい感触が呪いのように残っている。人として大切な何かを失った気分だった。


「さてと、私は彼女の様子を見てきます。ウェンツェル様はごゆっくりしていてくださいね」


 そう言ってヴィクトリアは静かに部屋を出て、ガチャリという音がした。軟禁された、ということだろう。

 考えてみれば部屋をよく見ていなかったことに気付き、祐治は体を起こして辺りを見回す。

 真っ白の壁には豪華さ、という一点のみを共通点として様々な装飾品が備え付けられている。まず祐治の目についたのは大きな楕円形の鏡。枠は黄金のように輝き、何かの紋章の様に幾何学的で美しい形に整えられている。それから動物の頭の剥製。盾状の板を間に挟み壁に飾られているそれは鹿の用に見えるがその角は長く、禍々しくねじ曲がっており、悪魔の遣いのようにも見えた。部屋の隅には重そうな全身鎧が立っており、大きな剣と盾を持っている。剣の鍔はそれだけでも一つの金細工の作品として成立しそうな程であり、その中心には赤い宝石が鎮座している。盾のは芸術家が描いたような獅子の絵が彫られており、祐治の目にはどちらも機能性を求めたものには見えなかった。

 他にも数多くの品物が置いてあるが、それでも部屋を狭くは感じない。この部屋だけで暮らせと言われても、一人なら絶対に持て余すくらいの部屋だ。

 祐治は何気なく外の様子を確認しようと窓に近寄った。部屋に比べるとかなり小さく、人が身を乗り出せる程度の大きさしかない。採光に関しては数で窓の数で補っているような印象が感じられた。

 窓を開けて外を覗くと遥か彼方の山の向こうまで続く青空が目に入った。視線を下ろしていくと大きな壁と塔、みっしりと詰められた建物、また別の大きな壁、申し訳程度の庭、建物の天井。ここは大分高いところのようだ。そして外の城壁の見え方から察するに、街の中心のようだ。


「つまりはあの城の中か……」


 祐治は物憂げに呟いた。こんな城に囚われるのならリルリーシャの方がよほど似合っているだろうに。その彼女は地下牢だとヴィクトリアは言っていた。

 約束を反故にしても助けに行くべきなのだろうか。ここから飛び降りて3~4階分の高さだろう。これくらいの高さなら死にはしない。だが、その後はどうしたものか。庭には手入れをしているのか白い服の人がいるし、城の周りの城壁の上にも同じ格好の人が立っている。メイドだろうか。それならば強行突破を、と考えた瞬間に祐治はここに運ばれる前のことを思い出した。自分はメイドにやられたのだ。

 そもそも、地下牢の位置だってわかりはしない。城に入るなんて初めてのことだ。見つけ出す前に警備に捕まる可能性の方が高い。今はまだその時ではない。城の中の様子を把握してからの方がいい。

 祐治はため息をついて脱出を断念した。

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