第16話 襲いかかるメイド

 街の中は賑やかだった。門を出た先の広い道は石畳で舗装され、その上を無秩序に人や馬車、それから動力がよくわからない荷車が動き回っている。それらを縫うように祐治はリルリーシャの手を引いて進んでいく。様々な店が立ち並んでいるようだが、祐治には看板も読めず、リルリーシャに一つ一つ聞く時間も惜しかった。追いかけられている様な気がするのだ。

 しばらく通りを歩くと、祐治は目についた路地に入った。うって変わって狭い道で土がむき出しになっている。道を囲う石造りの背の高い建物は住居だろうか。狭いのも相まって、その圧迫感はかなりのもので、迷宮に迷い込んだように感じてしまう。それでも、祐治は悩むことも無く、勘で選んだ道を進んでいく。

 そして行き止まりにぶつかった。3方向全てが建物の壁だ。


「行き止まりじゃな」


 大人しく手を引かれていたリルリーシャがそんなわかりきったことを言った。


「……すまん」

「何、気にするな。私もあそこから早く離れたいとは思ったからな。それよりむしろ、お礼を言いたいくらいじゃ。お主のおかげで助かった。ありがとう、お兄ちゃん」


 リルリーシャがいやに強調して言う。感謝するとか言っておきながら祐治には確かにトゲを感じた。


「仕方ないだろ。必死だったんだから」

「何がじゃ? 私はただ『お兄ちゃん』に感謝をしているだけだが?」


 リルリーシャが口を尖らせた。妹扱いがそれ程に気に入らなかったようだ。

 だが、必死に嘘を繕って何とか危機を抜け出したのにこんな言外に非難するような態度を取られれば祐治も愉快ではない。

「とりあえずこの街にいるときはずっとこの設定でいくからな」

「それは嫌じゃ!」

「はっきり言うなよ……」

「まあ、姉弟というのは確かに良い設定かもしれんな。お主が門で話したとおり、2人で目を隠している理由にもなろう。だから私が姉になろう」


 祐治は思わずリルリーシャを見下ろした。自分の肩くらいの高さしか無い。祐治が大きいのではない。リルリーシャが小さいのだ。思いついたことがそのまま口に出そうだったが祐治はどうにか留めた。


「姉は弟を守るものじゃ。となれば、お主が私の弟になるのが道理であろう?」


 リルリーシャが偉そうに言った。カールに警告していたときと同じだ。有無を言わせない圧力がある。

 祐治は少し考え、彼女の弟になるのを甘んじて受け入れることにした。言い争えば負かすことができるかもしれないが、それも少し大人げない。


「わかったよ。『お姉ちゃん』」


 それでもせめて嫌味っぽく言ってみたが、口にした瞬間、体が羞恥心に蹂躙されてしまった。鳥肌が立ちそうだ。リルリーシャは祐治の意図に気付いてもいないのか嬉しそうに茶番を演じる。


「うむ、可愛い弟は私が守ってやるからな。では、行くか」


 そう言ってリルリーシャは祐治の手を引いた。

 守られるかどうかはともかく、祐治も発つのには同感だった。のんびりお喋りに勤しむ時間がないだろう。

 180度進路を変え、先程までとは逆にリルリーシャに手を引かれて歩く。リルリーシャは確信を持っているかのようにどんどん分かれ道を進んでいき、祐治は黙って彼女についていく。完全に立場は逆転してしまった。

 だが、それは祐治が思ったよりも悪いものではなかった。元気な妹のわがままを聞くのはこのような感じなのだろうか。放っておけないところだって子供みたいだし、なんて想像していると彼女の言うことは全部聞いてやってもいいような気がしてきてしまう。

 すれ違う人たちは皆、奇怪なものを見るような視線を向けてきていた。それはこんな子供に引っ張られている自分に対してなのか、それとも自分たちの風貌そのものに対してなのか。リルリーシャに誘導されている分、祐治にはそんな風に周りの様子を伺う余裕があった。

 他人の様子だけではない。景色だって同様だ。だから、祐治は何回か同じ通りを歩いたのを見逃しはしなかった。左右の住居の扉の位置関係や、建物の外壁の色や欠けている建物の外壁、全く同じあった。


「リルリーシャ。迷ってないか?」

「そ、そんなことないぞ?」


 そう言ってリルリーシャは歩く速度を落とした。だが振り返ろうとはしない。


「そうか。まあ森では迷ってなかったしな。当然といえば当然か」


 リルリーシャに連れられて森の中から館に帰るときは、ほぼ直線で歩いているようだった。林檎が重力に引かれて地に落ちるように、迷うことなくリルリーシャは館まで導いてみせたのだ。


「流石に長く住んでいれば魔力の感じで方向は特定できるからな。だが、こうも慣れない地でさらに迷路みたいだし……あっ、べ、別に今迷っているとかそういうわけではなくてじゃな……」


 そうは言っても祐治はリルリーシャを責めるつもりはなかった。あれだけ高そうに見えた塔も城も壁のような建物に阻まれて全く見えない。それに道路同士が斜めに交差していたり、その道路も微妙なカーブもかかっていたりと、悪意を感じさせるほど迷いやすい構造になっているように祐治は感じた。侵入した敵に備えて、迷いやすい造りになっているのだろうか。正直自分が前を歩いていたとしても結果は変わらなかっただろう。


「それは置いておいて、真面目に道を探した方が良い。何か嫌な予感がする」

「あら、ご主人様にしては鋭いのですね」


 後ろから聞こえてきたのは氷の剣のような、冷たく鋭い声だった。

 振り返るとメイドの様な格好の女が近づいてくる。無駄を削ぎ落としたようなスリムな体格に、視線だけで獲物を射殺す様な目つき。飢えた獣のような一方で、どこか無機質な人形を思わせる。


「誰だ!?」

「あら、ご主人様ったら私のこと忘れてしまったのですか? ああ、なんて薄情で、クズなお方なのでしょう。あんなに私の体を弄び、辱めたというのに」


 祐治には彼女が何を言っているかさっぱり理解できなかった。だが、この世界に来てからはわからないことだらけだった。今更いきなり現れたメイドが理解不能なことを言っても混乱することはなかった。


「ああ、ああ! なんて、酷いお方……」


 わざとらしく頭を抱えながらメイドが近づいてくる。それに対してリルリーシャは祐治の盾になるように一歩前に出た。


「それ以上近づくな。お主、何者じゃ?」

「ただのメイドですわ。そこにいらっしゃる、ウェンツェル・デル・クラウス・エイザルアルフ様の忠実なるメイド。ヴィクトリアとお呼びください」


 そう言ってメイドは祐治に視線を向け、頭を深々と頭を下げた。


「元、ですけれどね。お迎えに参りました」

「こ、こやつは『祐治』じゃ。そんな名前ではない……」

「本当ですか? あなたのような小さな女の子を前に立たせるクズっぷり、ウェンツェル様で間違いないかと」


 小馬鹿にするようにヴィクトリアが冷たく言った。


「私の弟だからな。姉の背に隠れるのが当然じゃろう?」


 リルリーシャが恥ずかしげもなくそう言い放った。祐治はその恥ずかしい設定がまだ生きていることに戦慄する。


「っふっ、あっははははは、ご主人様ったら、そういうプレイがしたいなら言ってくだされば良かったのに。それとも、私じゃ大きすぎました?」


 大げさに腹を抱えてメイドが笑った。空っぽの、笑うことが目的の様な笑顔だった。

 祐治は目の前の女を睨みつける。こいつが煽っているのは誰なのだろうか。自分なのか仕えていたという主人なのか。どちらにせよ、不愉快なことに違いはなかった。


「……で、お主、一体何じゃ? 私たちに何か用でもあるのか?」


 イライラしているのはリルリーシャも同じようだ。苛立ちを隠さずにヴィクトリアに尋ねる。


「でなければこんなところに足を運びませんわ。門番から話があったから飛んで見に来てみれば、本物にしか見えないんですもの。ご主人様が偽物だろうが何だろうか一緒に帰ってもらいますわ。そして、貴方も無関係ではないのでしょう? 捕らえさせていただきます」

「ふふっ、そう言われて素直に捕まるとでも思っているのか?」

「ええ、思っています。先にお伝えしますが、その先はどの道も行き止まりですわ」

「……なるほど?」


 リルリーシャはキョロキョロと周りの建物を見た。祐治にはリルリーシャの考えが読めたが、3,4階建ての建物は簡単には飛び越えられる気はしない。ブラフという可能性もあるが、実際に追い詰めていなければこんな風に堂々と姿を表すだろうか。となれば、策は一つしか無い。

 祐治はリルリーシャの肩に手をかけると、盾になるように一歩前に踏み出した。


「つまり、無理やり逃げれば良いんだろ?」


 強行突破という作戦に祐治はあまり抵抗感を覚えなかった。魔女と見ればすぐに殺しにかかってくるような世界である。魔女が多少暴力を振るっても罰は当たるまい。それに自分たちが拒否すればメイドが実力行使で捕まえにくる空気を祐治は感じ取っていた。ならば戦って意見を押し通すしかあるまい。

 祐治は半身になり、頭と胸の前で腕を構えた。


「……ご主人様、私と戦う気なのですか?」

「祐治! そういうのは私が……」

「ああ。悪いけど結構お前の挑発は効いているから。怪我してもしらんからな」

「ぷっ、ふっ、うふふふっ、ご主人様が、私に!? あっはははははは!」


 ヴィクトリアはとんでもない冗談を聞いたかのように笑いだした。今度のものは作り物ではなかった。


「くっ、ふふふっ、いいですよ。では、こうしましょう。私の知るご主人様は間違いなく私よりは弱かったですから、勝てれば貴方が別人だと認めましょう。ですが、私が勝ったら大人しく城に来てもらいますから。……お姉ちゃんもそれでいいでしょう?」

「わ、私はそんなの……」

「できたらリルリーシャだけでも逃げてくれ」


 祐治はリルリーシャを遮ると振り向かずにそう言って、前に出た。

 格好つけているわけではない。口にこそ出していないが、この状況は主に自分のせいである。リルリーシャ一人だったら、賄賂ですんなり入れたかもしれないし、最初に歩き回って迷ったのも自分だ。このメイドが狙っているのも自分であり、心配しておきながら自分が足を引っ張ってしまっている。けじめくらい付けなくては。


「さあ、いつでもどうぞ」


 ヴィクトリアは足を止めて祐治を待っている。腕はだらんと垂れ下がり、これから戦おうという体勢には全く見えない。それが何を意図してのことなのか祐治にはわからなかった。

 祐治に格闘技の経験はない。それどころかまともに喧嘩した記憶もなかった。だが、祐治は負ける気などさらさら無かった。自分は虎と戦えるくらいの身体能力はあるのだ。どんなに相手が強くても人間相手なら大丈夫のはずだ。

 祐治はヴィクトリアに近づく。後一歩大きく踏み込めば、拳が届くくらいの距離だ。それでもヴィクトリアは動かず、じっと祐治を見つめていた。先程までの人を小馬鹿にするような様子は完全に消えている。その感情を廃した様子はまるで等身大のドールのようであった。

 まずは一歩踏みこむと同時にそのまま勢いで殴りかかる。それ以降は雰囲気で。それくらいしか作戦は無い。

 祐治は鋭く飛び込む様に間合いを詰める。その瞬間、ヴィクトリアのスカートが翻り、その奥に潜んでいた凶器が襲いかかってくる。鞭のように鋭く、鈍器のように重い蹴り。それを遮るものなどない。祐治の前への勢いは全てが衝撃へと変換され、祐治の頭はヴィクトリアに足で串刺しにされるかのように持ち上げられた。


「……思ったよりすごく速かったですね。大丈夫ですか?」


 祐治は靴を枕に眠る前にそんな呟きが聞いた。

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