第15話 街へ
あの戦いに意味はあったのだろうか。祐治は館のベッドに寝転がり、そんなことを考えていた。魔角虎と戦い、館に戻ってから丸1日は経っていたが、命を賭した戦いの昂ぶりはまだ体にこびりついていて、目を閉じるとあの緊張感や高揚感が蘇ってくる。
全ての戦いに高尚な意味なんてないのかもしれない。降りかかる火の粉を振り払っただけだったり、単に相手が気に入らないから起きた戦いもあるはずだ。だが、初めての命のやり取りが単なる徒労に終わったことを祐治は認めたくなかった。
リルリーシャは血を運ぶ方法を全く考えていなかったという。更に魔角虎を仕留めて力尽きた2人が深い眠りから覚めたときには血は乾いて材料としての価値は全く無くなっていた。確かにリルリーシャの命を守ることはできたのかもしれないが。そもそも彼女が薬の材料のため仕掛けた戦いなのだ。その目的を欠片も達成できなかった今となっては戦いは無駄だったと認めざるを得なかった。
そんな心情をどう整理しようか悩み続け、リルリーシャへのささやかな怒りも芽吹き始めた頃、祐治の部屋のドアがゆっくりと開いた。
「祐治、ちょっといいか?」
「……ああ」
体を起こすとリルリーシャがおずおずと入ってきたのが見えた。ローブ姿ではなく、村に行ったときと同じ服装をしている。魔角虎に空けられた穴は修繕したのか、ひと目ではどこを突き刺されたのかがわからないほどになっている。
ベッドに近づくとリルリーシャは端に座った。森での一件で祐治に負い目を感じているのか館に戻ってからの彼女の態度はかなり小さくなっていた。今もうつむき加減で祐治と目を合わせようとはしない。
「えっと、その……街に行こうと思う。だから、しばらくここを空けるが……」
祐治の全く想像していない話だった。少し考えてみると疑問が次々と湧き上がってくるが一番に聞くべきはその理由だろう。祐治はできるだけ穏やかにリルリーシャに尋ねる。
「どうして急に?」
「……わ、私のせいで薬の材料採取に失敗してしまったじゃろ?この辺りに他の魔獣がまだいるとも限らんし、もう街で薬を買ってこようかと……」
消え入りそうな声でリルリーシャは答えた。
つまり、薬を作る計画が失敗したから次の作戦に移るということである。当然のことではあるが祐治は賛同できなかった。
「だったら薬代はあるんだよな? 直接あいつらに渡した方がいいんじゃないのか?」
「……村から街に向かうだけでも危険は伴う。私たちが手伝う理由にはなるじゃろう。それに、私が助けると大見得切っておいて、金だけ渡して終わりか? そんな無責任で恥ずかしいことは私にはできぬ。……まあ、あれだけ言っておいて結局既製品の薬を渡すのも変わらないがな」
寂しげに言われてしまい祐治の言葉が詰まった。確かにリルリーシャの気持ちも理解できる。自分だって口に出した約束をおいそれと破りたくはない。たとえ破るとしても、全力で力を尽くすべきだ。それはわかるが、それでも祐治にとってリルリーシャが心配だった。
街には多くの人がいるだろう。となれば、当然魔女を敵視する人も多いはず。敵地に飛び込むようなものだ。もしリルリーシャと出会って間もない頃に同じ提案をされていたら彼女の強大な力を信用しきって見送ったかもしれないが、今は違う。祐治の瞳にはリルリーシャは人智を超えた魔女とは映っていなかった。自分と同じで人を超えた力こそあれど無敵ではない。
「だからな、お主は留守番していてくれ。私が一人で……」
「はああ!?」
祐治の怒りが吹き出した。この期に及んでこいつは何を言っているのだろうか。
「っうぅ……だ、だって、街は危ないのだぞ!? お主に万が一のことがあったらどうするのじゃ! 私なら何度か行ったことはあるし、ちょっと買い物するくらいなら全然問題ない!」
リルリーシャは怯えながらも声を張り上げる。
「危ないならなおさら一人で行かせられるか!」
リルリーシャを守ることができるとまでは祐治も思っていなかったが、この前のように囮になるくらいの覚悟はあった。
「……お主、私のこと信用していないのか?」
「ああ。全くしていないぞ。だから一緒に連れて行ってくれよ。心配なんだ」
それは祐治の本心である。それにリルリーシャを一人で放っておけば、ガラス細工のように美しく、脆い彼女の心は石ころ一つでも簡単に砕け散ってしまいそうな気がしていた。それはもしかしたら祐治には関係のないことでお節介なのかもしれない。まだリルリーシャに出会って10 日程しか経っていないのだ。それでも祐治には引くことができなかった。
「……そ、そうか。そう思ってくれているのか……」
リルリーシャは俯いて小さく呟いた。祐治はそのしおらしい反応に拍子抜けする。
「うむ、わかった。お主も来るがいい。そうと決まれば準備じゃな。お主は……まあマントの一枚でも羽織っておけば大丈夫か。待っておれ。探してくる」
祐治が何か話す前にリルリーシャは部屋を出ていった。どういう意味だと祐治と考えているうちに、ふと視線を下ろして合点がいった。リルリーシャだけではなく自分も魔角虎に貫かれたのだった。
過酷な行軍だった。いくら体力的には問題ないとは言え、本当に1日全て移動に費やしているのだから。ひたすら足を前に出す作業は拷問のようだ。道中、気を紛らわせるのに楽しくお喋りに興じようにも限界がある。
一応、街を見られる、というのは祐治のささやかな希望となっていた。考えてみればここに来てから、目に入る9割以上のものは木だったように思える。そんな緑の牢獄から一時的にはといえ開放されるのだ。祐治は無理矢理にでも高揚感を汲み上げ、歩みを進める燃料としていた。
そして太陽が一回りして出発したとき同じくらいの高さに日が昇る頃、街を目にした。険しい森を抜け、人目を避けるために街道から逸れた道をひたすら歩き、丘を登りきったときのことだった。
街は分厚い城壁に覆われており、それを8等分するかのように塔が立っている。城壁の高さは普通の3,4階建てくらいの高さははあり、塔はそれより更に高い。
「あれがアーゼルフか?」
祐治は足を止めた。丘から見下ろす街はそれほど大きくはないがそれがまるごと壁に覆われているともなると並々ならぬ迫力がある。
「そう、ここらで一番大きい都市じゃ。あの真ん中のが領主の城だ。まあ、私もたまにこっそり買い物しに来るくらいだからな。詳しいことはよく知らぬ」
「どこから入るんだ?」
「丁度十字を描くように街の4方に門がある。少し太くて頭が丸い塔が目印じゃな」
そう言われて注目してみると確かに先端が丸くなっている塔と尖っている塔が交互に立っているのがわかった。
「門ってことは、見張りがいるのか?」
「もちろんいるぞ。まあ、いつも通りにしていれば抜けられるじゃろう。任せておけ」
そう楽観的に言うリルリーシャを祐治は心配そうに見た。任せていられるのだったら自分はここにはいない。いつもの手法がわからないが、祐治は不安でしょうがなかった
そんな祐治を尻目にリルリーシャは丘を下りていく。祐治は小走りで追いかけた。
丘を下り終え、しばらく歩くとはっきりと門が見えてきた。門の前には小屋があったり、馬がたくさん停められているが、そんなものはさほど祐治には重要ではなかった。問題なのは、門の前で偉そうに立っている二人の男。金属製の胸当てや帽子に近い兜など、軽装の防具を身に付け、手には槍を持っている。
こちらはどう見られるのだろうか。野外活動に向かなそうな少女趣味な格好の女の子ににマントを羽織った男。これくらいならまだいいかもしれない。2人で片目を包帯で隠し合っているのはどうだろう。怪しくないだろうか。
そんな祐治の心配を他所にリルリーシャは足を止める気はないようだ。もうきっと門番の視界に入ってしまっているだろう。ならばここで引き返したら余計に怪しく思われるだけであり――祐治は天に運命を任せた。
「おい、そこの2人。止まれ」
門番の一人が槍を向けながら近づいてくる。
「おいおい、早速捕まったぞ」
「なあに、案ずるな」
もう一人の門の前で待機していた男も呼ばれて祐治たちに近づいてくる。こちらの方が少し胸当てについた紋様が派手だった。歳も最初に近づいてきた門番より明らかに上であり、上司だろうか。
「お前たち、どこから来た? 何の用だ?」
「少し買い物を……それにしてもおぬしら、お仕事大変じゃのう。ほれ、通行料じゃ」
そう言ってリルリーシャは布の袋から何かを取り出して2人に見せつけた。銀色に輝く硬貨だった。
「これは何のつもりだ?」
「私たち、ちょっと旅をしていてな。お主らがすんなり身元のわからないものを入れることができないのは分かる。だが、こっちも必死なのじゃ。もう一枚付けるか?」
祐治は戦慄した。まさかこんな原始的な方法で入るとは。
「ふっ、中々物分りのいい嬢ちゃんだな。そうだよな、街に入るだけで時間を無駄にしたくはないよな。俺たちもそうだ」
愉快そうに笑う上司が部下を制してリルリーシャから銀貨を受け取った。
「ま、待ってください! こんな怪しい奴らを入れるんですか!?」
「旅人なんて全員怪しいものだろう。今まででここに入れないような旅人はいたか?」
「ですが……」
「お前もそろそろ柔軟性を身につける頃だ。もう十分頑張っているんだから。な? ガキにいいもの食べさせてやれよ」
「こんな金で食わせられるわけないでしょう!? 私は、胸を張って家族を守ってやりたいのです!」
何故か蚊帳の外に追い出された祐治はリルリーシャに合図して、2人を刺激しないように門へ向かう。が、すぐに部下に気付かれてしまった。
「待て! くっそ……せめて、その包帯だけでも外してもらう! 副隊長もそれくらいならいいでしょう?」
「あーそうだな。最近魔女が出たとか何とかでうるさいからな。赤い目かどうかだけでも確認させてもらうか?」
「ひぇっ!? め、目か?」
リルリーシャの体がビクリと跳ねた。そして恐る恐る振り向く。
そんな反応は余計に不味いだろ、と思ったときには遅かった。
「えっ、えっと……目は……駄目なのじゃ……その、嫌……で……」
怪しさ満天の答えにならない回答だ。
その口調からリルリーシャが頼りないモードに入ったことを察した祐治は必死に考えを巡らせり。何か言い訳を、もっともらしい言い訳を。
必死に頭を振り絞り、その結果、祐治はリルリーシャの袋を奪い、銀貨を何枚か取り出した。
「……こ、これで勘弁してくれないすかね……」
「おいおい、目を見せろって言ってるだけだぞ……」
副隊長が詰め寄ってくる。藪蛇だったようだ。
「ちっ、違うんだ! その、目の周りが酷いんだ! 二人とも、俺たちは兄妹で、親の血なのかもしれない。酷くただれて、その、妹の顔を……人には……」
言葉を探しながら祐治は必死に言葉を並べる。自分でも苦しい言い訳だとは思ったが他に考えつかなかった。だが、そのしどろもどろな話し方と必死さが真に迫って感じられたのか、門番の2人の動きは止まった。
「……そ、そうか。確かに妹のそんな姿は見せられるんよな。フランツ、いいな?」
「はい。……旅人よ、失礼した。君たちの旅路に祝福を」
2人はそう言って道を開けた。祐治は気付かれないように小さくため息を吐き、俯いているリルリーシャの手を引っ張った。このままここにいてはまた何を言われるかわからない。少しでも早く離れたかった。
「ああー、兄ちゃん。ちょっと待ってくれ」
「えぇ?」
「いや、大したことじゃないんだが。ちょっとこっちを向いてくれないか」
ここで断ってもやはり怪しさに拍車がかかるだけだろう。祐治が振り向くと副隊長がじっと顔を見ていた。
「どこかで会ったか?」
「いっ、いえ、この街は初めてなので……」
「そうは思えないんだが……昔見たような……」
「あっ、後ろ! 馬車来てますよ! こっちは失礼しますので!」
どういう話だったのかはわからないが、門番が街に入ろうとしている馬車を無視できるわけがない。門番の2人が馬車の相手を始めた隙を見て、祐治とリルリーシャは逃げるように街の中に入った。
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