第2話 行き着いた先
「……失敗かのう? いや、そんなのありえぬ。 おい、起きろ。起きるのじゃ!」
そんな幼い少女の声で祐治は意識を取り戻した。死んだというのに体を揺さぶってきてなんて迷惑な子だ、と思いながらもダメ元で目を開けてみようとしてみる。予想外に視界が開けて、長い髪を垂らして顔を覗き込んでくる少女と目が合った。
「うわぁああ!」
少女は驚いたのか間抜けな声を上げて後ろに倒れ、代わりに天井が視界に入ってくる。照明の類は天井には付いておらず、下から火で照らされるようにオレンジ色のグラデーションが視線の先で模様を作っていた。
「驚かせおって……でもよかった。成功したのじゃな。ふふふふふ……」
もう一度少女が祐治の顔を覗く。長い髪が顔の表面をくすぐり、こそばゆい。祐治は手で払おうとしたが腕に力が全く入らなかった。神経が繋がっていないかのようだ。
「あ……う、で……」
祐治は何かを問おうとしたが、まともに声を出すこともできなかった。喉が枯れてまともな声が出ない、というよりも声を発するという行為そのものができないかのようだ。声帯が声を出すことを拒絶しているようにも感じる。
少女はそんな祐治の様子を見て愛おしげに頭を撫でた。
「なあに、気にするな。まだ少し体への定着が甘いだけじゃ。直に元の体と同じように動かせるようになる」
「か……ら……」
まるで自分が違う体を使っているような言い草にその真意を問いただしたかったが、それはやはり叶わない。少女は祐治の唇に指を当ててそれ以上の発声を制した。
「喋るでない。慣れていない体で無理をするものではない。まあ、ある程度聞きたいことくらいはわかるがな。だが、こんな地下室で横になっても気が休まらんであろう? 場所を変えようではないか」
少女はしゃがんだまま、祐治の頭の後ろと膝の裏に腕を回してそのまま立ち上がった。彼の体格は一般的な成年男子と比べて極端に小さいわけではなく、小さな少女がお姫様抱っこできるとは思えなかった。疑問が膨らむが考えてみればそんなことは些細なことであった。自分はどうなったのか。死んだのか生きているのか、祐治にとってはそちらの方が問題であった。
仮に死んでいるとなるとこうやって彼女に軽々と抱かれ運ばれ、階段も全く足を止めることなく登っていることには説明がつく。魂には数十グラムの重さしかないらしいから、きっと体の重さは関係ないだろう。となると、彼女は神話にでも出てきそうな死んだ魂を導く存在なのだろうか。そう思わせるような現実離れした不思議な雰囲気が彼女にはあった。
祐治は目線の先の少女に意識を向けた。壁に付けられたランプの淡い光に照らされる彼女は作り物のように美しかった。光を受けて煌めく銀糸のような長い髪。その隙間から覗く暗い紫の左目。反対の目は赤く煌めく宝石のようだった。誰も踏み入れていない雪原のように白く、美しい肌。見た目は10代前半の子供のように見えるが、きっと見えるだけなのだろう。人間なのかも疑わしく思えてしまう程に美しく、そして妖しかった。
彼女に運ばれるがまま地上へ出るとそこは庭のようであった。そして少女は赤ん坊を扱うように祐治の顔を館の方に向ける。
「ふふっ、いい天気じゃな。私たちの出会いを祝福してくれているようじゃ。ほら、あれが私たちが住む館じゃ」
少なくともここは天国ではないな、と祐治は確信した。荒れ果てた庭の中心に佇むのは寂れた石造りの洋館だった。外壁はまだらに変色し、長い間雨風に晒されてきたのが一目でわかる。それで済んでいるならまだマシな方で、欠けている部分も少なくはない。
屋敷の中も外観に違わずボロボロであった。床板は凹凸が激しく、草が突き破っているようなところもある。部屋の中のプライバシーを守ってくれそうな扉もほとんど目に入らなかった。
そんな中でどうにか形と機能を保っているドアを少女は開け、部屋へ入った。中にあったのは大きなベッドと大きな鏡が一つ。それだけであった。少女は祐治を優しくベッドに寝かせ、自分はその腰の横に腰を下ろした。館の様子とは裏腹にベッドに埃は被っていない。流石に生活に使う部屋は清掃しているようだ。
「さて、こうしてみると一体何から話したものか……」
そう呟いて少女は祐治の目にかかった髪を優しく払った。
「……ここは、ど、こ……」
「ここか? ここはアーゼルフの南東の森の中じゃ。……って、お主喋れるのか!?」
「少しだけ……なら……」
祐治はダメ元で声を出したつもりだったが、思いの外声帯が動いてくれていた。かなり枯れているが通常に会話する程度なら支障のない範囲だ。
「ふふっ、それはよかった。私一人で喋るのもつまらないからな」
どんどんとベッドに衝撃が加わった。少女が足をばたつかせているようだった。
「やめ……揺らすのは……」
「す、すまん……だが、その、お主に嫌がらせしているわけではないぞ? うぅ、ちょっと嬉しくて……」
少女は言い訳を並べる子供のようにそこまで言って、しゅんと俯いた。それに見合う程の苦痛を受けたわけでもなく、こんなにも落ち込まれると逆に祐治の心が痛んだ。
話を逸らすために、先程彼女の口から出た聞き慣れない場所について尋ねる。
「そんなに、気に……しないで、ください。それより……アーゼルフって……?」
「アーゼルフはここらで一番の都市じゃが……いや、そもそも私が答え方を間違っていたわ。お主が知りたいのは、ここが生者の世界か死者の世界か、そうであろう?」
心の中を見透かされたようで、祐治は言葉に詰まった。
「ここは死者の世界ではない。だが、お主がいた世界でもない。お主が死んだ瞬間、その魂をここに呼び寄せたのじゃ。いや、私が呼び寄せた瞬間に死んだのがお主だったのか? 流石に生きている人間から持ってきたわけじゃないからのう」
おおよそ常識では考えられないことを彼女は尊大な口調で言い放つ。
だが、その可能性を祐治は意識せずにいられなかった。自分が死に向かうあの感覚は夢でないと確信していて、そして自分がここで考えて会話しているのも事実だ。
「そして、そなたの魂を用意していた器に閉じ込めたのじゃ。鏡を見れば早いかのう」
そう言って少女は立つと部屋の隅においてある姿見をベッドの前まで運ぶ。
「ああ、頭はまだ動かせ……る、ようじゃな。これが今のお主じゃ」
祐治がどうにか首を回すと木の枠で囲われた大きな四角い鏡の中では全く知らない男が横たわっていた。歳は10代後半から20代前半、生きている時より少し上くらいだろうか。波がかった金髪も美術館の銅像のように凛々しく整った容貌も祐治には全く縁がなかったものだ。だが、それ以上に彼の目を奪ったのは、赤い瞳だった。先に見た彼女のものとそっくりだ。
祐治は鏡の中から彼女に視線を移す。継ぎ接ぎだらけの黒いローブに身を包んだ彼女は視線に気付くと微笑みかけてきた。
「すぐにこの状況を受け入れろとは言わぬ。時間はいくらでもあるからな」
少女は鏡を立たせると再び祐治が横になっているベッドに腰を下ろす。そして、子供を宥めるように祐治の頭を撫でる。久しく感じたことのないその感触は不覚にも心地よく、祐治の心を落ち着かせていった。
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