第3話 共通点

 それからしばらくの沈黙。無音は人の思考を加速させる。それでも、どんなに速度が上がろうとも見えないゴールに辿り着くことはできなかった。何を悩むべきなのかわからずに悩んだ末、祐治は考えるのをやめた。彼女が言うように結局自分は死んだのだ。だとしたら生きているときの常識で考えても答えが出るはずがない。


「そういえば、あなたの名前は何ていうんですか?」


 声を出してから祐治は喉が完全に回復したことに安心した。


「……その喋り方はやめい。もう少し砕けてもよいのだぞ?」


 少しだけ不愉快そうに彼女が言った。

 祐治としては相手が見知らぬ人で、年齢通りの少女でもなさそうだから改まっていただけで、彼女がそういうのなら気を使おうとは思わなかった。少女に向かって敬語で話すというのも変な気恥ずかしさがある。祐治は素直に彼女の提案を受け入れて言い直した。


「じゃあお言葉に甘える、かな。こほんっ、君の名前は?」

「うむ、それでよい。私の名はリルリーシャ。お主の名前も聞いていなかったな」

「如月祐治。と言っても、死んだみたいだし、体も違うしでこの名前を名乗っていいのかはわからないけど」

「キサラギユージか。それで良い。私はお主と話しているのじゃ。その器ではない」


 彼女の言葉でなんとなく祐治は自分の立ち位置に納得することができたような気がした。体という器に入れられた魂、それが自分だ。自分のものじゃない体を自分の意志で操る。だとすればこれはゲームのようなものか。そう考えれば大分気が楽になった。


「器ね……祐治でいいよ。よろしく、なのかな?」

「ああ、よろしく頼むぞ。これからずっと一緒だからのう。ふふっ、ふふふふふ……」


 彼女、リルリーシャは嬉しそうに笑った。口元を隠しているが、その表情までは隠しきれていない。言葉遣いこそ老人じみているがその笑顔は年頃の少女そのものであった。


「で、俺に何をさせたいんだ?」


 祐治はさらなる疑問を彼女にぶつけた。楽しそうな彼女に横槍を入れるのも申し訳ないような気もしたが、これも重要な問題で聞かないわけにはいかない。生きた死んだの過去の話はとりあえず置いておき、この先について確認しなければならなかった。大した思い入れのない死者を蘇らせる理由なんてものは何らかの事情があるはずだと祐治は睨んでいた。例えば労働力が必要だとか、戦う手駒にするとか。

 リルリーシャはぴたりと笑いを止め、祐治から顔を逸らす。それから頬を掻きながら、風に吹かれれば飛んでいきそうな声を出した。


「あ、ああ……そうじゃな、えっと……とりあえず私の言うことを聞いてくれればよいかな、と……」


 さっきまでの自信有り気な様子からの変わりぶりに疑問を覚えながら、祐治は思いついた単語を口にした。


「……つまり奴隷みたいなものか?」

「そ、そんなことはない! 私はお主をそんな風に扱おうだなんて全く思ってない!」


 図星を突かれたから、とは思えない程にリルリーシャは声を荒げた。


「ご、ごめん……」


 祐治は思わず謝り、寝転がったままであるということが不意にが気になってしまった。寝ながら謝罪というのはどうなのだろうか。そろそろ起きられるかもしれない。

 祐治は指の先を曲げてみた。そして手首を曲げ、肘を曲げてみる。体はもうまともに動くようだった。祐治は歯を食いしばって腕を立てて体を起こそうとする。できたのはそこまでで、全く力が入らなかった。体が半分も起き上がらないうちに、杖にした腕は崩れ、ベッドに体が落ちる。


「……起きたいのか?」


 リルリーシャが見下ろしていた。少し呆れているように見える。


「まあ……」

「仕方のないやつじゃのう。もう少し大人しくしてればいいものを」


 そう言ってリルリーシャは祐治の体に腕を回して、体を起こした。そのまま自分側に引き寄せ、祐治の体を自分にもたれ掛けさせる。


「その様子じゃ体を起こし続けることも難しそうじゃからな」


 視線を正面に向けたまま、澄ましたように彼女が言った。鏡の中の彼女の口元は緩んでいる。


「……ありがとう。お言葉に甘えるよ」


 小さくて柔らかい、普通の女の子の体だった。気恥ずかしさを感じるものの祐治は抵抗せずに身を任せる。

 リルリーシャの言うことに間違いはなさそうだった。体の重みを感じるものの、力は全く入らない。一人で起き続けるどころかそもそも腕を振り払うこともできないだろう。


「ふふっ、いいぞ。存分に甘えるが良い」


 満足そうにリルリーシャが微笑んだのが鏡に映る。そして彼女にもたれかかる自分も。同じ瞳を持つ2人が寄り添い合うその光景は美しい兄妹のようで、まるで現実感が無い。頭では理解しているつもりでも、祐治は今の自分の姿を見ても自分として認識できなかった。

 鏡の中の幸せそうな少女と、呆然としている青年をぼんやりと眺めていると不意にリルリーシャが口を開いた。


「……お主は友人になるのに必要なものとは何だと思う?」


 唐突に嫌な質問だな、と思いつつも祐治は真面目に考え始める。祐治は友達が多い方ではなく、むしろ少ない方で仲がいいと断言できる関係の人間は少ない。だが、その数少ない友達のことを考えると自ずと自分の結論は出た。


「共通点、かな。多分。得意なこととか、好きなものとか、嫌いなものとか。何かしら一緒のことがあれば仲良くなりやすいんじゃないか」

「ふふっ、そうか……共通点か。私もそう思っていたのじゃ。なあ、私たちの瞳を見て何か気付かんか?」


 リルリーシャは祐治の頬に空いている手を当て、何か期待するように祐治の瞳を覗き込んでくる。

 朝と夜みたいな綺麗な瞳だな、再び祐治は思う。これと同じ目がきっと彼女を見据えているのだろう。祐治は一度鏡を見てカンニングしてから答えた。


「……目の色が同じだな」

「であろう? これはな、私の目じゃ」


 リルリーシャは嬉しそうにその一言を放つ。が、祐治にはその意味がわからなかった。思考が停止し、その隙をつくように祐治の頬に当てられた手が目元まで伸びてくる。


「私の目をくり抜いて、お主に移したのじゃ。ああ、もちろん反対の目もおそろいじゃぞ? こっちはお主のじゃな」


 リルリーシャは自分の左目を指差して笑った。今までと何も変わらない屈託のない笑みなのに、祐治にはそれが急に禍々しく見えてきた。

 祐治は言葉を失っていた。どこまで本当なのだろうか。まともな人間の考えることとは思えない。だが、死んだ自分をこうして呼んだという話を信じれば彼女は普通の人間ではない。普通じゃない人間を普通の人間の基準で判断していいのだろうか。そもそもここは今まで生きてきた世界とも違うともいうし、一体何をもって彼女を評価すればいいのだろう。


「そ、それで……どうじゃ、私たちは、その……良い友人に、なれるかのう?」


 戸惑う祐治を余所にリルリーシャは俯き、恥ずかしそうに呟いた。銀色の髪の隙間から彼女の言うおそろいの瞳が覗いてくる。どこか寂しげに縋るようで、それがまた祐治を困惑させる。彼女の発した狂気的な発言とは一切噛み合わない弱々しい少女の視線だ。それらを整理して、答えを出すことなんてできるはずもなかった。


「……ちょっと一人にしてくれ」


 代わりに祐治の口から出せたのがそんな言葉だった。


「そうじゃな。目覚めたばかりだし、少し休んだほうがいいじゃろう。何かあったら呼んでくれていいからな?」

「……ああ、そうするよ」


 リルリーシャは祐治を優しく寝かせると、名残惜しそうに部屋から出ていった。祐治はその悲しげな背中に何か声をかけるか迷ったが、言葉も見つからなかった。 

 祐治はホッとしたようにため息を吐き、一気に頭の疲労を実感した。非現実的なことに直面しすぎたのだろうか。まだ、目覚めてから大した時間も経っていないのに徹夜明けのようだった。体もまだまともに動く様子はない。大人しく寝ておけということなのだろうか。

 ふと視線の先を意識すると、天上の手前に天蓋の骨組みが映った。もしかしたらだいぶ立派なベッドだったのかもしれない。そんなことどうでもいいはずなのに、考えることはまだあるはずなのに、頭がそれを拒絶していた。リルリーシャが一体何者だとか、これからどうなるだとか、先が見えないことは考えたくもなった。

 そのまま思考を止め、やがて祐治の意識は途切れていた。

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