まずはお友達から始めよう

マリノク

第1話 プロローグ

 如月祐治に走馬灯は見えなかった。過去の情景どころか、今の景色さえどんどん暗くなり、モザイクがかかるように解像度が失われていく。誰かが顔を覗き込んでいるようだが、その輪郭もわからなかった。

 それどころかやかましく飛び交っていた悲鳴すらももう耳に入ってこなかった。視界と同じように音すらも曖昧になり、誰かの声なのか耳鳴りなのか足音なのか、それすらも判断できなかった。更に腹をナイフで突き刺された痛みももう感じなくなってきている。


 祐治が学校に向かう朝、着く前から早く帰りたいと嘆きながら階段を上っていたそのときだった。周囲から絶叫にも近い悲鳴が沸き起こり、前の女性が膝を突いていた。周りに赤い液体が広がり、鉄の嫌な匂いが漂う。

 女性の前には血の滴るナイフを持った男が立っている。祐治にはひと目で男が正気じゃないとわかった。振り上げたナイフを次にどうするのかも当然のように。

 全てを理解した瞬間、祐治は何かに突き動かされたように男に向かった。こんなシチュエーションを想像したことがないわけではない。健全な男子であればきっと一度はしたことのある妄想。そのシミュレーションの中で通り魔にカバンを投げて気を逸らすとしなかったわけではない。だが、そんな冷静にことが運ぶはずがない。

 祐治は獣のように吠えながら、相手を上回る狂気を抱きながらそのカバンを男の頭に叩きつけたのだった。ナイフで腹を貫かれながらも。


 (これは……死ぬのかな……)


 痛みもどこかに消えてしまった今では自分でも呆れるくらい祐治には他人事のように感じられた。きっとこれだから死に際でも何も思い出が湧き上がってこないんだろうと、自嘲する余裕すらある。

 だが、彼に後悔はなかった。そんな価値のある人生ではない。何事も適当にこなせたのかもしれないが、それなりの結果にしかならない。全力で打ち込められるような物があるわけではなく、夢があるわけでもない。毎日が苦しいわけでもないが、楽しいわけでもない。別に死んでしまうのならそれでもいいのかもしれないと祐治はずっと思っていた。それが人のためなってのものならどんなに素晴らしいものか。

 それを実際に行った自分は意外とできる男なのかもしれない。祐治はそう自分を褒めてやると、不意に睡魔が襲ってきたのを感じた。不快なものではない。どこか安らかな場所に誘われるような不思議な感覚だった。

 祐治はまぶたを閉じ、それに抵抗することなく受け入れたのだった。

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