第17話 面倒くさい生物のできあがり

 翌日の出勤日から、星崎は正式に昇進が決まり俺は星崎が取りまとめる班に入った。


「先輩、これお任せします。あとこれも」

「なぁ、俺の仕事量って前より増えてないか……?」

「適切な振り分けをしています」

「……はいはい、分かりました」


 星崎と一緒に、俺たちは今までとは違う課へ異動となった。

 山口さんとは課も変わったので話さなくなる。一方で星崎は直属の上司であるためコミュニケーション量が倍増した。


「なんで会社内で方式が違うんだ……! めんどくせえ!!」


 俺は慣れない仕事に頭を悩ませながらも、なんとか星崎から割り振られた仕事を処理する。


 そして待ちに待った定時がやってきた。


「これで今日は終わりにします。お疲れ様でした」

「よっしゃー!! 終わったー!」


 元々の引き抜きの理由を考えると、当然残業はない。

 そもそも星崎がいるところで残業などありえない。やつは完璧超人である。


「先輩、一緒に帰りますか?」

「いんや俺はこの定時を満喫するためにダッシュで家に帰る」

「…………はぁ、やっぱり先輩はそうですよね」


 星崎は呆れた顔をしている。

 だが俺としてはいつも20時帰りが普通だったからか、17時に帰るだけでもある種の全能感を覚える。俺は無敵だ。


「じゃあまた明日な!」

「……先輩ったら、もう」


 星崎の不満が聞こえたような気がするが、俺は急いで家に帰った。





 家に帰ってからは順調だった。


 YouTubeで『にゃんジュース』の配信を生で見て、スーパーに買い物に行って、好きな音楽をかけながらご飯を作る。

 充実感のある1日だった。


 しかし、課長が家に帰ると話は変わる。


「ただいま」


 課長の声が聞こえてきたので、玄関に向かう。


「おかえりなさい……ってうぉっ!」

「……つかれた……」


 しかし帰ってきた山口さんは満身創痍。

 玄関までたどり着くと脱力して倒れてきたので、慌ててキャッチする。


「だ、大丈夫ですか?」

「大丈夫よ、どうせわたしなんて生きてても意味がないダメ人間だもの頭を打って死んでも問題ないわ」

「これは重症ですね……」


 朝に家を出るときから元気がないように見えたが、そのときよりも酷くなっている。

 あのときは寝起きだからだと思ったが、どうやらそうではないらしい。


「何かあったんですか?」

「別に何もないのにこんなしょぼしょぼになってるのよ本当に私ってダメな人間だわ」

「とりあえずご飯でも食べましょうか……」


 このままだと玄関で永遠に自己否定に陥りかねないので、ダイニングに導こうとする。


 が。


「もうダメ動けない運んで」

「え、でも」

「もうこのままここで死ぬかも」

「運びます、運びますから!」


 はっきり言って面倒くさい人になっていたが、それはそれとして今の課長は少し面白い。

 溶けてしまった課長をズルズルと運ぶ。普段なら絶対にしないが、それ以外に手はなかった。


「はい、これ作っておいたので一緒に食べましょう」

「うん」


 ちびちびと食べ物を口に運ぶ課長。

 ただ徐々に元気が出てきたのか食べる手に勢いが出始めると、同時に顔も綻び始める。


「おいしい、おいしい」

「それは何よりです」

「阿賀くんはこんなに料理も上手くて仕事も頑張れるのに、残業をしないと仕事が終わらない私って……」

「ああああ! また戻っちゃった……!」


 これはまた難儀なんぎな感じである。


「大丈夫です。課長は俺なんかよりもずっと優秀ですし、たくさんの人に好かれてるじゃないですか」

「でも阿賀くんは星崎さんのところに行っちゃった……わたしに人望がないから……」

「違いますって。星崎がまた面倒な目にあわないようにサポートしてるだけですって。ほら、彼女が入社してきた時のこともあったでしょう?」


 星崎はその優秀さがゆえに、入社してきてからすぐはトラブル続きだった。

 手を焼かされたのはいい思い出だし、あの時に星崎から「使えないですね」ってボロカスに言われたのもしっかり覚えてるぜ。忘れねえからなあんにゃろ。


「でもわたし、阿賀くんにいっぱい迷惑かけちゃった」

「そんなことないですって」

「星崎さんに言われて何も言い返せなかった」

「驚いて言葉が出なかっただけです。課長にそんな酷いことをする気がないってことはわかってますから」

「でも……」


 しゅん、となる課長。どうやら心の奥深くまでダメージが届いてしまったらしい。


 ちくしょう星崎……。お前のせいでこうなっているというのに世話を俺に任せやがって……。

 しっかり面倒臭い生き物になったぞ山口さん。


「はぁ……」


 俺はこれ見よがしにため息をつく。

 すると想像通り課長が悲しい顔をした。


「あ、やっぱりわたしにうんざりして……」

「——違いますよ」


 いつまでも勘違いが直らない課長に、俺はビシッと言う。


「本当に課長には感謝してます。そりゃ残業なんかしたくなかったですよ。好きなアイドルの配信も見れないしいつもクタクタでしたし」

「やっぱり……」

「でも今日、いつもと仕事内容が変わってもそれなりにやれたのは、あの残業があったからです」


 この際、課長が俺のことをどう思っていたかは関係ない。


 俺にとってはあの残業していた時間は、いま自分の血肉になっている。

 だから課長が自分を責める理由にするのは見当違いなのだ。


「それに実際助けられたこともあります。あの日、家が燃えた日です」

「——っ」

「あの日、残業をしていなかったら自分は燃えた家にいたと思います。今も命があったかはわかりません」


 そんなのはただの結果論だとわかっている。

 でも結果として課長に助けられたのも事実だ。


「だから今日は寝てください。また明日がんばりましょう」

「阿賀くん……。うん、わかった」


 課長はこくりと頷いて自分の部屋に消えていく。これで一時しのぎにはなっただろう。


「明日にはまたぶり返してるんだろうなぁ……」


 たぶん課長は元から自己肯定感が高い方ではない。

 結局また色々と考えてしまって、明日にはしおれているに違いない。


「ま、明日の俺に任せるか」


 星崎をサポートするように、課長にもサポートがいるだろうとそう思った。

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