第16話 ダメ押しの右ストレート

「……どういうことかしら」


 緊迫した空気が二人を支配する。


「言葉の通りです。私が昇進したあかつきには、先輩をうちのチームに欲しいんです」

「————理由を聞いても?」


 山口さんが低い声音で聞く。

 生半可な理由で言っていたら殺しかねないほどの鋭さがあった。もちろん俺が言葉を挟める雰囲気ではない。


 しかし星崎もこの場でそんな冗談は言わない。

 少し萎縮したように見えたが、すぐに背筋を伸ばして答えた。


「理由はふたつあります。一つ目は信頼している人がいてくれた方がいいと思ったからです」

「昇進して最初は大変だろうからね。でもそれだったら阿賀くんじゃなくてもいいんじゃない? それに、そもそも星崎さんには必要ないと思うけど」


 どこまでいっても星崎は完璧超人だ。アウェーだからといって弱気になるような人間ではない。入社したての頃は俺を含め役に立たないポンコツ同僚に噛みついていた。

 そしてもちろん「信頼する人がいないと不安だ」なんてこともない。そもそも精神論など星崎の前ではちりに等しい。


 ただ、もし星崎がそのような不安を感じるか弱い乙女だったら、白羽しらはの矢が俺に立つのも不思議ではない。

 やつには友達がいないからなはっはっは。


「先輩だったら部下になっても気兼ねなくあごで使えるので」

「おいコラ」


 今は先輩という立場で、なんとか偉そうな口を叩けるが……これで星崎が上司になってしまったら、いよいよ俺は星崎に勝てるところがなくなる。

 奴隷のように使われる未来が見えるな。悲しい。


「それで2つ目の理由は何かしら?」

「ああすみません。もうひとつ、こっちの方が大事でした」


 ったく、これだと2つめの理由もディスられそうだな。

 やってられねえぜ。


「——先輩を山口課長から解放してあげてください」

「……え?」


 と思っていたが、星崎から出た言葉は俺にとって完全に予想外のものだった。


「解放?」


 そしてそれは課長も同じだったようで、言葉をおうむ返しした。

 本当に驚いたらしく、虚をつかれた表情をしている。初めて見る顔だ。


 しかしそれを受けた星崎は、誤魔化すつもりはないと説明をする。


「毎日残業。しかも先輩だけ。こんなのパワハラと言っても差し支えないと思いますが?」

「っ!」


 少し非難の色を帯びた星崎の言葉は、課長にクリティカルヒットをしたらしい。

 顔をしかめて下を向いた。


「でもそれは、俺が要領が悪いからだろ? 自分で言いたくはないが……」


 代わりに俺からフォローをする。


 ここ数日同じ家に暮らして課長の人柄も見えてきた。

 課長が嫌がらせで残業にするタイプだとは思えない。それだけは確信を持って言える。


 しかし俺の不名誉なフォローも、星崎には聞き入れてもらえなかった。


「一度先輩の作った資料を見ましたが、はっきり言って私とそんなに変わらなかったですよ。クオリティも大差なかったです。それなのに先輩だけは資料の修正を命じられて居残りを受けている」

「そんなのお前の……」

「私が感情的にそう言っていると思いますか? 違います、客観的な事実ですよ」


 たしかに星崎の目が感情で曇るようなことは考えられない。

 俺が課長を信頼しているように、星崎についてもその点は確証があった。


「それに仕事量も先輩の方が明らかに多いです。つまり課長は先輩がわざと残業するように仕向けています」

「そ、そんな……課長、さすがにそんなことしてないですよね?」


 そう言われると不安になってくるので、課長に尋ねる。


 しかし課長の方をちらりと向くと、すーっと目を逸らされた。

 え、あれ?


「課長?」

「…………そそそそそそそそんなことしているはずがないわ」

「めちゃくちゃ動揺してますね……」


 顔だけ平素と変わらないが、出た言葉は明らかに図星を突かれた人のそれだった。


「ち、違うわ! 私は阿賀くんがもうちょっと成長できるように……!」

「だったらうちに来てもらってもいいですよね。先輩の成長を考えるなら、環境を変えた方がいいと思いますけど?」

「くっ……!」


 くっ、とか言ったよこの人。漫画でしかいないよそんな人。


 追い打ちをかけるように星崎が言う。


「他になにかがあるなら先輩を引き抜くことはしませんけど……ありますか?」

「…………」


 一発KOだった。

 最後のダメ押しパンチで課長の魂はぷよぷよと口から放出されてしまった。


 一方で星崎はといえば、表情はいつもと変わらない。


「じゃあ失礼しますねっ、山口課長」


 だが俺は彼女の元教育係である。

 言葉尻がいつもよりも跳ねていたし、足取りが普段より軽いことには気がついていた。


 彼女も彼女なりに俺のことを思っての対応だ。

 星崎もパワハラだとは思っていなかっただろうが、それはそれとして毎日のように残業をしている俺を気にかけていたのだろう。

 もしそれが課長なりの考えがあったとしても、星崎は見逃せなかったらしい。


 自分を気にかけてくれる後輩がいて、俺も幸せだ。


「じゃあ先輩、明日からよろしくお願いします。あ、遅刻したら私なりのルールで働かせますけどね」


 うーん。思ってたのじゃなかった。

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