第15話 アサカツ!
山口さんとカフェに行った翌日、俺は朝の散歩をしていた。
「ふぅ、はぁ〜」
東京はうるさい、人が多い、臭いなどと思われているが、住宅街はそんなこともない。
休日の朝は人も少ないし、車の数が少ないぶん静かで空気が美味しい。
「ふんふふ〜ん♪」
空気を肺いっぱいに入れて鼻歌混じりに歩く。
休みということも手伝って、テンションは朝から高かった。
「せっかくだしちょっくら走るか」
怠けていては星崎のように動けない体になってしまう。
彼女はその才能で補っているところもあるが、体力がなくなると仕事にも影響がある。
「——まあ、そんなことを言ったらあいつは否定するだろうけどな」
「誰の話をしているんですか?」
「そりゃ星崎のこと…………ってうぉっ⁉︎」
課長の家の前を突っ切ろうとしたところで、噂をしていた人物に呼び止められた。
もちろん星崎である。
「ど、どうしたんお前、こんなところで」
「先輩こそ何してるんですか」
星崎は俺の顔を見るやいなや「はぁ」とため息をつく。相変わらず愛想の悪い後輩だ。
ただ言わせてもらえば、こっちもため息をつきたい気分だ。
というかそもそもなんで休みの日に星崎と会うんだよ。しかも結構きっちりした格好をしてるし。
「俺は体を起こしているところだ。1日は朝の運動から始まるんだぞ」
「体育会系の発想は知りません」
運動なんて何が良いんだか、と星崎はつぶやく。
「それで星崎はどうしたんだ?」
「……ちょっと課長に相談事が」
星崎は伏し目がちにそう答えた。いつもハキハキと答える星崎にしてはか細い声だ。
ふむ、ただごとではあるまい。なんせ星崎があの課長に相談するのだ。星崎が毛嫌いをしていると言っても過言ではない課長に、だ。
いや、上司に相談しなければならないことといえば、逆に話は見えてくる。
「まさか星崎……お前、運動のしなさ過ぎで糖尿病にでもなったんか……?」
「先輩、ほんとデリカシーないですね。あと生活習慣病だったら他にいくらでもありますよ。どうして糖尿病なんですか」
「それくらいしか知らなかったから……」
「はぁ」
星崎が何度もため息をつく。ちくしょう、せっかく清々しい気分になっていたのに。
「じゃあどうしたんだ? 仕事を辞めるつもりなのか?」
「それだったら平日に相談しますよ。……社内の人に聞かれたくないからわざわざ休みに、しかも課長のところまで来てるんですよ」
なるほど。どうやら人にはいえない事情らしい。
星崎自身に納得させてもらった俺は、ふむ、と考える。
「でもたぶん、課長はまだ寝てると思うからな……一体どうしたものか」
「寝てないわよ」
「うぉっ⁉︎」
またまた噂をしたらなんとやら、というやつだ。
いつの間にか課長が俺の後ろに立っていた。
「星崎さん、話は聞くわ。とりあえずうちまで来てちょうだい」
「はい」
驚いている俺を尻目に、課長と星崎はスタスタとマンションに入っていく。
なんだか俺の扱いがひどいような気がするけど、気のせいだな。たぶん。
「じゃあお二人でどうぞ。自分はまた走ってきます」
「先輩も居ていいですよ?」
社内の人間には聞かれたくない内容だと言っていたので俺は席を外そうとしたが、星崎に呼び止められた。
「いいのか? 気を遣っているなら別にいらないが」
「気を遣うならむしろ席を外してもらった方がいいと思います」
なんだか意味深なことを言う星崎。
だがその意図を問おうとしたところで、課長が真面目な顔で話し始めた。
「それで相談したいことって何かしら」
ダイニングのテーブルを挟んで顔を合わせる二人。二人の仲を知っているからか、微妙に緊張感を感じる。
俺は星崎が言った言葉の意味を考えながら、少し離れたところでコーヒーを啜っていた。
「実は……昇進の話があったんです」
「ぶふ——っ」
吐き出した。思いもやらぬ星崎の発言に体が反応してしまった。
「ちょっ、おまえ、まじかっ」
「だから先輩はいない方がいいと思ったんですよ。ショックを受けると思って」
「そりゃだって……」
こちとら勤務時間だったら社内でも指折りの男だぞ。
そんな俺を置いて星崎が先に昇進……?
「つーか若すぎね? お前まだ25とかじゃなかった?」
「うちの会社は実力を認められるとすぐに昇進できる仕組みなんですよ。ほら、前例がそこに」
「……そういえばそうだったな」
山口さんだって、女性で年齢もまだ30を越えていないことを考えれば、異例の出世コースを歩んでいる。
大企業でこれだけ早いのは珍しい部類に入るだろう。
「ちなみに阿賀くんも、私が一度推薦したわよ」
「えっ、本当ですか……! 課長……!」
「でも人事部長がダメだって。実力も人望もなさそうだからって言われたわ」
「人事部長ぉぉぉおおおおお!!」
ボロカスに言われてる。ボロッボロのカスッカスだ。ひでえよ……。せめて能力だけ足りないとか、人望だけ少し足りないですねとかにしてくれよ……。
「真面目で一生懸命だったからぜひって思ったんだけどね」
「……いえ、自分はまだまだなので」
しかし自分が上司になるような器でないことは知っている。
課長が申し訳なさそうにフォローをしてくれたが、むしろフォローされるこっちの方が申し訳ない。
とかなんとか言ったら星崎がジト目で俺の方を見てきた。
話が脱線しすぎた。
「それで相談事ってなんだ? 昇進できるならしとけよ。給料増えるぞ〜」
「もちろんお話は受けるつもりです。責任が増えたり仕事時間が増えるかもしれませんが、自分にとって貴重な経験ですから」
そうは言っているが星崎の仕事時間が増えることは想像できない。こいつなんでも一瞬で終わらせるからな。
あと給料にもっと貪欲であれ。社会人の鉄則だ。
「じゃあ何を迷ってるんだ?」
俺が訊くと、星崎は目線を俺から課長に移して、言った。
「——先輩をうちにもらえませんか」
珍しく課長が心の底から驚いた顔をしていた。
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