第12話 不運の正体は裏目だったりする
結局引っ越しはしないことになり、俺はもう少しばかり山口さんの家に泊めてもらえることになった。
……あれ、俺って独り立ちするんじゃなかったっけ? なんか山口さんにいいように言いくるめられてしまったような。
「課長、昼ごはんどうします? 何か買って帰りますか?」
太陽も一番自己主張が強い時間帯になってきた。頭も使ったのでお腹がぺこぺこだ。
「そうね……近くにいいお店があるの知ってるから、そこに行きましょう」
「そうなんですね。了解です」
やはりこの辺はまだまだ課長の方が詳しいようだ。というか俺は会社近くについて何も知らない。
いつもこの辺りをうろつくのは朝の出勤時か、夜の残業終わりなので探索する元気がないのだ。
雑居ビルが立ち並んでいる所で、課長は迷いなく一つの建物に入っていった。
「カフェ、ですか?」
「ここランチが安くて美味しいのよ。……一度は二人で来てみたかったの」
「ん、何か言いました?」
「いえ、特に」
からんからんという音と共に入ると、中は落ち着いた暖色系の雰囲気だった。
ビルに入っている店なので外の景色がいいとかはないが、すごくリラックスできる空間だ。客層も中学生高校生よりかは、お年寄りや何か仕事をしている社会人の方が多い。
「いらっしゃいませ〜お好きな席にどうぞ〜」
店員さんの涼やかな音色に誘われて、俺たちは奥のひときわ仕切りが高い席に着いた。
「すごくいい雰囲気ですね。落ち着いてて、力が抜けるような感じがします」
「そう、ならよかった。私もお気に入りでよくここに息抜きをしにくるの」
そう言われて、コーヒーを啜りながら本を読んでいる課長の姿が目に浮かんだ。
うむ、やっぱり上品だな。どこかの貴族みたいだ。
「ご注文はお決まりになりましたか〜?」
「あ、えっとすみません。じゃあこれと……って、ん?」
「どうかなされましたか……って、えっ?」
どこかで聞いたことがある声だと思い顔を上げると、同じくして驚いた顔がそこにはあった。
「なぎっちゃん……?」
「この前の男の人……?」
チェック柄の給仕服に身を包んだ彼女は、他の誰でもない。
『にゃんジュース』のメンバーにして俺の一番推している不動のセンター、岸なぎさちゃんだった。
前と会った時とは違い、丸メガネだけという変装でもない変装だけをしているためすぐにわかった。
そしてそれは向こうも同じのようで、服装だけ前と違う俺になぎっちゃんはすぐに反応を見せた。
「お、お、」
「お?」
「お会いしたかったです〜っ‼︎」
「えちょっ」
にぱっと笑顔を咲かせたかと思うと、次の瞬間には手を握ってきた。
やばい手汗が溢れとる何この小さい手ちょっとひんやりしてる初めて女子の手握ったかもこれがなぎっちゃんの手というかどうでもいいけどいい匂いする……。
思考の濁流——ただしほぼ全て泥水——が流れ切るまでやく1分。
俺はようやく声を出した。
「こ、こんなところでバイトしてたんですね」
「アイドルは接客業で基本を学ぶのが大事ってうちのプロデューサーさんの方針なんですよ〜。実際に学べることはたくさんあるよっ」
すごい、コミュ力がすごい。初対面の全然知らないおじさんの俺にもすごく軽やかに話してくれる。
というかこうやってまじまじと生でなぎっちゃんを見てみると、その可愛さに驚く。配信画面で見るよりも顔が小さいし、普段の配信での笑顔はカメラで相当薄く希釈されてるんじゃないかってくらい破壊力がある。
ほんげーまじでアイドルって別格の可愛さがあるんだな。
「……というかなぎっちゃんこんなところで働いてて大丈夫なの? ファンとかの追っかけがありそうだけど……」
「うーん」
俺が質問をすると、人差し指をあごに当てて考える。そんな仕草もかわいい。最強の生き物だ。
「今までにそういったことはなかったかなあ。もちろん会いにきてくれるファンの子はいたけど、ちゃんとマナーを守るようにお願いしたから」
たぶんそのファンの子はなぎっちゃんの魅力にやられたのだろう。異世界で言ったら魅了ってスキルだろうな。
すんごいっす。
「ちなみになんだけど」
「ん?」
とアホなことを考えていると、逆になぎっちゃんから質問をされた。
「そこで怖い顔をしているのは、彼女さんですか?」
「えっ」
なぎっちゃんとの話に夢中になっていた俺は、そこでようやく連れの存在を思い出した。
まっすぐ前に視線を向けてみると、そこにはこれ見よがしにため息をつく山口さんの姿が……。
「この方はいったい誰なのかしら、阿賀くん?」
「え、えーと、俺が推しているアイドルの……」
「あなたにそんな趣味があったなんて聞いてないんだけれども?」
言ってなかったですからね。それはたしかに知る由もないでしょう……。
ただ俺にも後ろめたさがある。それはこの前の星崎と一緒に立ち会ったトラブルのことを課長に話していないと言う事実だ。
あの時は話すと何かがこじれる気がして話さなかったが、まさかこんなすぐに裏目に出るとは……。
「ちゃんとお話ししましょうか、阿賀くん」
「はい……」
「そこの店員さん。とりあえずアイスコーヒーを2つ持ってきてもらえるかしら」
「了解ですっ」
一度なぎっちゃんは離脱。
それからしばらくは事情聴取の時間となった。
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