第13話 猶予は短い

 まずい……色々と誤解を解いておかないと……。


 目の前の上司が虎のような目でこちらを見ている。


 俺に取れる選択肢は3つ。


 もう一回ごまかす、正直に打ち明ける、逃げる。


 ——選択肢は一つだけだった。


「実は前に星崎と帰った時に……」

「なぜそこで星崎さんの名前が出るのかしら?」


 そこを説明させてくれぇぇぇぇぇぇぇぇええ!!!!!


 と心の中では叫んだものの、おくびにも出さない。


「定時で帰ったので、帰りが一緒になることくらいはあるかと……」

「——まあいいわ、それで?」

「その日にチンピラに絡まれてる女の人がいたんですよ」

「あら、そうだったの」


 先ほどまでぎらついていた課長の目が、少しだけ元に戻る。

 組んでいた足と腕を解き、水を口に含んでからまた肘をつく。


「それでその女の人が彼女ってわけ?」

「そうですそうです。なんか困ってたんで助けに」

「……そう」


 なぜか自慢げになる課長。

 椅子を少しだけこっちに寄せてくる。


「それで具体的には?」

「え、具体的にですか? 取っ組み合いになったんで、撃退しましたけど」

「殴り合い?」

「まあ一応そんな感じかとは……」

「喧嘩強いのね、阿賀くん」

「あんまり褒められた話じゃないんですけどね」


 ははと苦笑いをすると、課長の表情が柔らかくなる。

 よし、アイスブレイクは抜群だ。


「それで彼女とは知り合いだったの?」

「知り合いっていう感じじゃないですね。たまたま推してたアイドルだったって感じで……」

「——阿賀くんアイドルに興味があったの? 知らなかったけど」


 しかし緊張を解いたのも束の間、新たな緊張が押し寄せてきた。

 課長の目がまた虎になった。タイガーアイ発動。アイスブレイクは破られた。


「え、えっと、別に趣味まで言う必要はないと思ったので……」

「それは趣味を話すような間柄じゃないということかしら?」


 いやまったくもってその通りですが……と言い出せる雰囲気じゃなかった。

 課長から謎のプレッシャーを感じる。なぜだ、一体なぜなのだ。


「ま、まあとにかくそれで今に至るって感じです。もちろん助けた時も彼女が薙っちゃんだって知らなかったですし、ここで働いてるってことも知らなかったですけど……」

「『なぎっちゃん』?」


 ゴリ押しで話をまとめようとしたが、最後にも落とし穴。

 110メートルのハードルを乗り切ったと思ったら、ゴールテープに電流が流れてたパターンだ。いやそんなパターンはこの世に存在しないが?


「あ、いや、別に親しい間柄とかではなく……自分が一方的に呼んでいるだけですので……」

「……私なんて役職名か苗字なのに…………」

「え、何か言いました?」

「ふんっ」


 課長は子供みたいに口を尖らせると、窓に視線を逸らしてしまった。


 え、もしかして機嫌損ねて残業増えるパターンじゃないんですよね。いやそんなパターンもこの世に存在しない……わけではないか。


 とそこへ、タイミングが良いのか悪いのか、なぎっちゃんが帰ってきた。

 課長の様子に気がついたのか、俺に小声で尋ねる。


「あれ、どうしちゃった? もしかして喧嘩?」

「喧嘩……ではないですね。自分が気に障ったことを言ってしまったみたいです」

「あちゃー、それはドンマイだ〜」


 なぎっちゃんは笑顔で飲み物を出してくれる。ふえぇぇ、癒されるぅぅぅう。

 なんか課長の機嫌がさらに悪くなった気が一瞬したけど。気のせいだよな気のせい。


「あなたが、噂のなぎっちゃん、かしら?」


 気のせいじゃなかったらしい。

 すっげえ不機嫌そうな口調だもん。


 しかし先天性の聖属性持ちであるなぎっちゃんには効かない。


「はーい、こんにちは〜。この前この人に助けてもらった、アイドルやってるなぎさです〜!」

「あらそう? 私も結構阿賀くんに助けられてるけどね?」


 なんのマウントなんだ……あと俺は課長を助けた覚えはない。むしろ迷惑をかけた記憶だけ異常に存在する。


 課長は隠しもしない敵意をなぎっちゃんに浴びせる。

 なぎっちゃんは持ち前のホーリーバリアでそれを防ぎながら会話を進めていた。


「そういえば名前聞いてなかったよね? 教えてもらえる?」

「あ、自分ですか? 阿賀寿彦っていいますけど……」

「トシヒコくんか〜。じゃあヒコくんでいい?」


 え、めっちゃ嬉しい。推しに認知された。なんかオンリーワンっぽいあだ名つけられた。やばい好きになる。というかもう好きだ。結婚したい。一周回って死んでもいい。


「馴れ馴れしいわね、あなた」


 課長の機嫌の悪さは、もちろん悪化中。


「そうですか〜? でも名前も分からないままだと困るので!」


 なんとなく噛み合っていない会話だが、俺にはここに入るほどの度胸がない。


「そうだ、ヒコくん。あの時はありがとうございました」

「え、いや……」


 ぺこり、と丁寧に頭を下げるなぎっちゃん。

 うわーポイント高いわ〜お礼の時はちゃんと砕けた口調じゃなくて敬語で言ってくれるのめっちゃポイント高いわ〜。

 そういうどうでも良い所気にするオタクにとっては、マジ天使。マジ神。


「じゃあ私もお礼するわ。寿くん、いつも仕事を手伝ってくれてありがとう」

「〜〜〜っ!」


 こっちはこっちで、何に張り合っているのか分からないが名前呼び。

 いつも苗字で呼び合っているのにいきなり名前で呼ばれるのも……オタク的にはグッときちゃうんだな〜。ポイント高いんだな〜。


 じゃなくてだな!


「いえ、あの、ほんとこちらこそ助けられてるので……。あとなぎっちゃんにも普段から元気もらってるので、こちらこそありがとうございます」


 お礼を言われる立場にはない。

 阿賀寿彦という人間は、人を助けたことよりも人に迷惑をかけたことの方が多い人間だ。お礼を言われる星の元に生まれていない。


「阿賀くん……」「ヒコくん……」

「そんなことよりも、自分は二人にもっと仲良くしてもらいたいです。どっちも素敵な人だってことは、俺が保証しますから」


 自分がお世話になっていて今は半同棲みたいなことをしている相手と、自分がもうかれこれ3年は一番に推してきたアイドル。

 その二人の仲を改善することの方が、俺には大事だった。


 肝心の二人といえば……。


「阿賀くん、三人で話すならこっちに座ったら?」

「お隣失礼するねっ、ヒコくん?」

「……」


 第一印象って大事なんだなと思いました。


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