第7話 待ち伏せ

「それじゃあ先に失礼します〜」


 せっかく残業もなくなったということで、俺は元気にオフィスを出た。


 まだ日があるうちに退社したのはいつぶりだろうか。

 夕陽がサンサン。ナイス夕暮れ。


 うっしっし。帰ったら推しグループの『にゃんジュース』の生放送を見るぞ〜。ぐへへへ。


 いつも使う駅を通り過ぎて課長の家に向かう。

 電車を使わないでよいというのは、想像以上にQOL(生活の質)を上げてくれるらしい。


「先輩、どこに行くんですか」


 うーん、違った。生活の質は下がって冷や汗もかいて、電車を使わない生活は最悪だ。


「ほ、星崎……」

「先輩、ご自宅に帰るのならこちらの電車をお使いになられてますよね、いつも。今日はどうされたんです?」


 ギクギクギクッ。背筋せすじが震える。

 星崎は冷たい目でコッチをみている。腕を組んで、さながら容疑者を追い詰めたような女刑事のようだ。足まで組んじゃってる。


 と、とりあえず適当に嘘を……。


「ああ、じ、実は近くのホテルに泊まっててな。ほら、火事で家が燃えちゃったから。どうせなら会社の近くにしようと思って」

「こっちは住宅街ですよ? それにそっちの方向には結構歩かないとホテルまでないですよね」


 なんで調べてるのこの人。え、いつ調べたの? めっちゃ怖いんだけど。


 だが甘いぞ星崎。こんな時のために俺にだって準備がある。お前の論には穴があるのだ!


「その遠くのホテルを借りてるんだ。名前はなんて言ったかな、えっと、たしか、あそうそう、ホワイトビジネスホテルだったかな」


 この近くにホテルがあることは俺もリサーチ済みだ。昔一度だけ泊まったことがあるからな。


 確かに距離はあるが、駅にして2駅分だ。運賃をケチったみたいな言い訳でなんとでもなる。実際に火事に遭って、お金の無駄遣いには慎重になっているからな。


 グハハハハハ、甘いわ星崎!


「ちなみにそちらのホテルに連絡をしたのですが、昨日から阿賀という名前の人間は泊まっていないと言っていましたよ」

「…………」


 すいませんでした。私が神に勝てると勘違いしていました。

 ごめんなさい……ちくしょうなんでこんな優秀な部下がいるんだこの会社。残業も多いし呪ってやる。


 追い詰められた俺。こうなると残された選択肢は一つしかない。


 右見て、左見て、後ろみて、ヨシッ。


「あっ、先輩! 逃げるな!」

「すまんな急用を思い出した!」


 いくら優秀な星崎でも身体能力では俺の方が圧倒的に上だ。

 運動能力の低さこそが、唯一星崎に残された欠点と言ってもいい。


 ついてきてくれた後輩をおいていくのは心残りだが、ここは俺のためにも山口さんのためにも仕方がない。山口さんのマンションに入ってしまえば勝ちだ!


 それから数分走ると、星崎の姿は見えなくなった。

 だがまだ近くにいるだろうから、もうちょっと差をつけてから……。


「——ちょっと、やめてください!」


 と思ったそのとき、俺の耳に場違いな声が届いた。

 声の方向を見ると、居酒屋と居酒屋に挟まれた路地裏に女の子が連れていかれるところだ。そんなところをちょうど目撃してしまった。

 酔っ払った男たちが囲んでいるので、女の子も抜け出せないらしい。


 ……くそう、そんなに早くから酔っぱらえるなんて、どんなホワイト企業に勤めてるんだこいつら。


「本当にやめてください! ちょっと、本当に」

「へっへっへ、こいつぁかわいいですなぁ。ちょっとくらい虐めたくなっちゃうねェ」

「こいつおっぱいも大きいですぜ。さぞ揉み心地もいいんだろうなァ」

「ちょっと、ほんとに」

「——おい何してんだお前ら」


 気づいた時には男たちの輪の中に飛び込んでいた。


「はっ、お前こそ誰だよ?」

「定時上がりの会社員ですが」

「せっかくいいところなのに、なんだテメェ。ちょっと一発ぶっ飛ばすか気分悪ぃし」

「やめた方がいいと思いますよ? こう見えても昔は喧嘩ばっかりでしたから。いやはや恥ずかしくて堂々の黒歴史なんですが」

「嘘ばっか言ってんじゃねえ!」


 サングラスを頭にかけた一番ガタイのいい男が殴りかかってきた。


 ちっきしょう、定時で帰ったのになんで残業しないといけないんだ。


「まあなるようになるか。そこの女の子——下がってて?」

「え、あ、はい」


 頭の中でそろそろ星崎に追いつかれそうだよなぁとかそんなことを考えながら、悪漢の相手をするハメになった可哀想な人間。

 それが俺です。


 しっかり鬱憤は晴らさせてもらうからなこんにゃろう。

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