第5話 付き合いたての高校生カップル

 朝起きると、見知らぬ天井がそこにあった。


 記憶喪失かチャラ男が言いそうなコメントなんだが、どちらかといえば前者である。

 相当に疲れていたのか、寝落ちという形でソファに転がっていたら寝てしまったらしい。


「山口さんは……まだ寝てるか」


 携帯で時間を確認すると、朝の6時だった。

 俺にとってはいつもの時間だけど、社会人平均からすると早い方だ。


 朝早く起きて、カーテンを開けて、日光を細胞一つ一つに吸い込ませる。

 マンションでも高層階なので、景色がいい。


「さて、泊めてもらったお礼をするか……」


 1日だけだったが、山口さんにはすごくお世話になった。

 簡単ではあるけどお世話になったお礼をするべきだろう。


 よっし、気合い入れてぇ——っ。


「レッツッ・クッキングッ!」

「おはよう、阿賀くん」

「……」


 片手を天にかざしたところで、背後から声がした。


 おそるおそる後ろを向くと、そこには1日限りの同居人の姿が……。


「お、おはようございます、課長……」

「……その、朝から元気なのね」

「す、すみません……」


 あー死ぬほど気まずい。というか恥ずかしい。

 思春期に母親にエ○本をみられるような感覚。なんとか誤魔化したいけどもう誤魔化せなくて、血の気がさーって引く感じ。ありていに言って死にたいです。


「というか、山口さんも朝早いんですね」

「——まあ、習慣みたいなものね」

「そうだったんですか」


 と山口さんの素顔を見てみると、目の下にクマがしっかりついていた。普段から睡眠不足の習慣なのだろうか。


 まあそんなことより。


「じゃあよかったらそこでゆっくりしていてください。自分、朝ごはん作るので」

「阿賀くん、朝ごはん作れるの?」

「まあそんな大層なものではないですけど」


 大したものではなくても、ちょっとでもいいからお礼を伝えたかった。

 課長からしたら昨日のことなんて大したことのないことかもしれない。それでも自分にとっては本当にありがたかったから。


 そんな気持ちを汲み取ってくれたのか、山口さんはインスタントのコーヒーを2つ用意すると、ひとつを俺にくれた。


「じゃあゆっくり待たせてもらおうかしらね。期待して待ってるわ」

「それじゃあ気合い入れて作りますね」


 ふふっと笑い合ってから、お互いに自分のことをする。

 課長は携帯で新聞でも読んでいるのだろうか。コーヒーをずずっと吸いながら読んでいる姿はすごくさまになっている。


 俺は借りたエプロンを身にまとって支度を進める。ジュージューと音を響かせ、穏やかな朝が始まる。


 OH……なんて新婚感。多幸感とも言う。最高だ。


 ——ちょっと役割が通常と逆な感じもしますけどね? ええ、別に幸せですけどもね。


 そもそも山口さんとこんな生活をするとは思っていなかったから、まだ夢心地な感じもする。


「はい、できました」

「あら美味しそう。いただきます」

「どうぞどうぞ」


 それと同時に、この生活が今日で終わってしまうことが少し惜しくなってしまった。

 そんなことはワガママだとわかっていても、こんな時間が1日でも多くあればいいなって素朴にそう思った。


 ……なんて、アホなこと言ってないでさっさと仕事の準備をせねば。


「それじゃあ自分、先に出ますね」


 ご飯の片付けをして準備をすること数十分、俺は山口さんに声をかけた。


 ——が。


「一緒に行きましょう」


 どうしてこうなった。





 あれだ。高校生とかで付き合いたてのカップル。

 一緒に学校に行く約束をして、ソワソワする感じ。自分達で一緒に行くことを決めたのに、学校が近づいてくると変に周りの目が気になるやつ。


 今、まさに俺と山口さんはそのような状態になっていた。


「か、課長、家から会社まで近いですね」

「そうね」


 いや意識しているのは俺だけだった。俺だけ精神年齢が高校生のままで止まっているというのか……!


 わかってるんだ。もう会社の最寄り駅まで来てるから、たまたま電車が一緒になったって言えばいいことを。でも、なあ……やっぱヘタレなんかな俺。


 と、そんなことを思っているからだろうか。


 見知った顔が遠くから近づいてくるのが見えた。


「せんぱーい」

「おお、星崎か」


 遠くから黒いポニーテールを揺らしてやってきたのは、後輩の星崎である。


 スーツ姿に身を包んだ彼女が、こちらをめがけて真っ直ぐ向かってきた。


「はぁ、はぁ、お疲れ様です先輩」

「お前はもうちょっと運動しような?」


 星崎が息を切らしながら挨拶をしてくる。

 こいつ頭はいいし気も回るしいいやつなんだけどな……いかんせん不健康そうで見ていて心配になる。


「先輩くらいですよ、私のこと心配な目で見てくる人は……」

「いやいや、仕事のことなら全く心配してないんだけどな」


 と、そんなふうに話をしていると、ここにいるもう一人の人間も会話に参加する。


「おはよう、星崎さん」

「…………あ、課長。おはようございます」


 星崎は山口さんを見つけると、急に顔から表情がなくなる。

 これは山口さんの方も同じで、ちょっと高圧的な口調になっていた。


 まじでこの二人って仲悪いんだよな……話してるところも久しぶりに見た気がする。


「課長、お早いですね?」

「ええ、早起きをしたの」


 一見すればただの会話。

 でも、何かを言い合っているようにしか見えなかった。


「星崎さんは早く来てるのね?」

「ええ、誰かさんがいつも誰かさんを残業にしていますからね」

「あらそれがあなたに関係あるのかしら?」

「少なくとも課長よりは関係があると思いますが?」


 こ、怖いよ……この二人。


 なんで星崎は課長相手にそこまで強く出られるの?

 山口さんはどうしてそこまで星崎に対抗心を燃やしてるの?


 とりあえず、ここは静かに離脱を……。


「先輩は後でお話がありますから」

「阿賀くん、あとでデスクまで来てくれる?」


 あ、はい。


 なんで朝からこんなに胃がキリキリしてるんだろう。

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