第2話 ひとまずお前がいて安心した

 無重力を体験したことはあるだろうか。

 俺は無い。いや、無かった。

 だが、今の俺は間違いなく無重力を体験している。


 光に包まれ、眠った後も何故か意識ははっきりとしていた。体自体は指一本も動かせられないまま、頭の方向が上なのか下なのかすら理解できない空間で、ただただ彷徨っている。何も聞こえないここは、一体どこなんだ。

 もしかして、死んだのか?


 そんなこと無いと思いながらも、死んだことが無いから否定要素も無い。ただ一つ分かっていることは、もう自分は裏山にはいないんだろうな、ということのみ。

 俺は……どこに辿り着くのだろうか。それとも、一生このまま不可解な空間を漂うのだろうか。

 

 ……思い出すのは、風子のことだ。

 いつの間にか、面倒な後輩を持ってしまった。何が一番面倒って、まるで妹のように俺が風子のことを気にかけるようになってしまったことだろう。こんな訳のわからない状況下でも、やっぱりあいつのことが脳裏に浮かぶ。


「ふ……うこ……」


 口も上手く動かない。体も動かない今、まだ風子をしっかり抱きしめているのかすら把握できない。早く風子の元へ行かなければ……後輩を寂しがらせちゃいかんだろうが。


 突然、身体が何かに吸い込まれる感覚がした。大量の水ごと飲み込まれるような、絶対に逆らえない引力に成すすべなく体が引き込まれていく。

「ふうこ……」


 そして、俺はまた深い眠りにつくのだった。



 目が覚めるとそこは、だだっ広い草原だった。形こそ、秋のススキのようなふわふわした草だが、その背丈はくるぶし程度の小さなもの。その上に、俺は仰向けになって大の字に寝そべっていた。空には薄く雲がかかっていているが、しっかりと太陽が高く昇っている。数時間は寝ていたようだ。

 いや、時間の前に、俺が寝ている場所に草が生えている時点でおかしい。俺と風子は大きくて平たい岩の上にいたのだから。

 

 そして、やっと自分の手の届く範囲に風子がいないことに気が付いた。

 反射的に起き上がり、辺りを見渡す。地平線が見えるほど何もない草原で、風子の姿は一切見つからない。


 代わりにそこにいたのは、一人の女性だった。

 20そこらの歳だろうか。若さを感じるその顔つきに、微かな聡明さを秘めている。黒を基調とした軍服のような厳格な服装で身を包み、その身を隠せそうなほど大きな赤いマントを付けていた。腰には左右に2丁の拳銃をぶら下げており、左のものは警察が持ってそうな一般的な大きさの物だった。そして右側のものは、明らかに人に対して威嚇のために持ち歩いているわけでは無さそうな、両手で持たなければ扱い切れないほどの大きさのマグナムである。

 やけに物騒な姿の見知らぬ女性に、さすがに声を出して驚いてしまった。


「驚かせてすみません」

 軍服の女性が片膝をついて、頭を軽く下げた。制帽を脱ぐと、まとめられていた煌めく金髪が溢れ、草原の草と一緒に風に揺れた。

「突然の御無礼、申し訳ありません。私どもは、あなた達に危害を加える気は全くありませんので、ぜひご安心くださいませ」

 礼すらも美しい軍服の女性は、俺が何か答えるまで頭を上げるつもりは無いのだろう。なんと反応すればいいか、まだ起き切っていない頭に鞭を打って声を出した。

「えっと……頭を上げてください」

「ありがとうございます」

 やはり俺の言葉を待っていたようだ。

 顔を上げた軍服の女性は制帽を被りなおすと、片膝をついて胸に手を当てた。


「私は、グランディア国の国防騎士長、マリア・ロメロットと申します。以後、お見知りおきを」

 日本姓ではない名前を名乗る軍服のマリアは、至極真面目な表情のまま、こう続けるのだった。

「お待ちしておりました、我らが世界を救ってくださる勇者様方よ」

「勇者……?」

 勇者なんて言葉、ゲームの中でしか聞いたことがない。

「俺が勇者……? どういうことだよ。それに、ここは一体……」


 勇者と呼ばれるなんて、むしろ小馬鹿にしているようなものだ。だがマリアは冗談なんて一切言っていない様子で、心から俺に敬礼をしていた。

「我々は、勇者様方に現状の説明をしなければなりません。どうか、ついて来てくださいませんか?」

 片膝をついたまま差し出された手が、俺の手を待っていた。


 状況はどうであれ、ここまで綺麗な女性に敬われるのは悪い気はしない。

 ただ、こんな訳の分からない状況で、素性の知らない者の手を取るなんて、危険なことは出来ない。

「申し訳ないが……その手を取る気にはなれない。そもそも、ここはどこなんだ。俺がいた世界と景色も状況も……雰囲気も違う。俺は死んだのか? ここは天国か、それとも地獄か?」

「勇者様方の気持ちも理解できます。不明な点が多く、警戒なさっているのでしょう。今疑問に持たれていることも全て説明するために、お連れしたいのですが……」

 マリアは困った表情で手を引っ込め、口を曲げてしまった。


「それが出来ないのなら、仕方ありませんね」

 マリアはスッと立ち上がり、腰に下がった小さい方の拳銃を抜き取ると、俺の足元に放り投げた。草のクッションがありながらも落ちた音はしっかりと重厚感がある。玩具かもしれないという希望は無くなった。


「そちらをお取りください。そして、常に私の頭部に銃口を向けてください。もし不満があれば、躊躇なくその引き金をお引きください。私の命をかけて償いましょう」

「あんた……何を言ってるんだ?」

「ここにこれ以上長居するのはお互いに悪手です。どうしても警戒されると言うのなら、もうこれしかありません。私達はあなたに危害を加えることは無いのですから」


 銃を一丁手放したからといって、マリアが無防備になったわけではない。まだ大きなマグナムを持っているのだから。

 それでも、マリアがどれだけ本気で言っているのかは、痛いほど伝わってくる。


 変な所に来て早々に迫られる判断に、ろくに頭も回りはしない。

 苦悶の果て、俺は投げられた拳銃を拾った。


 そして、銃口の方を持ち、それをマリアに差し出した。


「勇者様……」

「信じるよ。どうせ信じないと始まらないんだろ。訳が分からない状況で、唯一現状を把握するすべなんだから」

「ありがとうございます!!」

 

 マリアは満面の笑みで拳銃を受け取ると、そのまま俺の手を強く握りしめた。

「では、行きましょう!」

「待て」

 先を急ぐマリアの手を強く握り返し、俺の方へ引き寄せた。よろけたマリアの顔が近づいた。


「あんた、風子のこと知ってるだろう」


 俺の近くにはいなかった。最初に見渡した時にはすでに、マリアしかいなかったのだから。

 だが、コイツはずっと俺の事を『勇者様方』と複数形で呼んだ。どういう理由でこんな所にいるのか分からないが、一緒に風子も来ているに違いない。


「正直、この世界がどこなのかの説明なんかより、風子の無事を約束してくれ。そうでなきゃ、俺はここで抵抗する。武装しているあんたに勝てる見込みはないが、ここに滞在する時間を延ばすこと自体に意味がありそうだからな」

 

 軍人に通じるわけもないが、出来る限り凄んで見せる。

 唐突なことに、マリアはきょとんとした表情だった。

 

 そして、不意に吹き出した。


「よほど大切な方なのですね」 

「後輩だ」

「風子様は、先にお目覚めになられたので、先に城へ連れていきました。今頃、丁重にもてなされているでしょう」

「信じるからな」

「疑いの眼差しで言われても仕方ありません。論より証拠です」

 マリアはそう言うと、一言だけ付け足す。


「一瞬だけ酔うかもですので、お覚悟を」

「は?」


 そして、景色が消えた。

 たった一瞬だが、恐ろしく強い遠心力のようなものが骨や内臓を押しつぶさん勢いで押さえつけられた。

「がはっ……!」

 衝撃に解放され、そのままその場に崩れ落ちてしまった。


 さっきまで柔らかい草の絨毯の上にいたはずなのに、足場が石製の床に変わっている。揺れる三半規管が治まるのを待ちながら、マリアの手だけは何とか離さずに掴み続けた。


「何が……起きた……?」

「『瞬間移動』と言えば、ご理解いただけますか? 勇者様」


 ふらつきながら、マリアがそう答えたのが聞こえた。

 瞬間移動? そんな馬鹿な。


 圧迫感から来る嘔吐を強引に飲み込みながら、辺りを見渡した。

 地平線が見えるほどの広大な草原はもうそこにはない。


 俺が立っていたのは、灰色のレンガで出来た立派な建物の一室。学校の体育館よりも広い部屋の真ん中に立っていた。

 不必要なほど高い天井には、数十人で持ち上げないと上がらないような大きさの豪華なシャンデリアが下がっており、この広い部屋をたった一つで明るく照らしている。壁には、様々な模様の大きな旗が左右に四つずつ、計八つ飾られていた。まるで国旗のようにも見えるが、どれも俺が知っている模様のものはない。それは俺が勉強不足だから、ということも無さそうだ。そして、部屋の真ん中に堂々と敷かれた真っ赤な絨毯が、部屋の奥にポツンと置かれた椅子へと通じている。

 部屋の広さ、装飾の豪華さ、全てにおいて目を見張るものがあったが、その椅子だけやたら貧相なものだった。あそこにある椅子が玉座であれば、この部屋は完全に王室だったであろう。


「どこなんだ、ここも……」

「ここはグランディア国の中心、グランディア城の最上階、王の間です」


 王の間。マリアは確かにそう言った。

「その割には貧相な椅子だな。知り合いの手造りか何かか?」

「その意見には私も同感です。ですが、我々の王はとても謙虚なお方。自分の存在に常に疑問を抱き、相応の状態でいたいという事で、あのような椅子をご用意されたのです。昔は、外交の時のこともありましたから、多少の見栄も大事にしてくださいましたが、今ではそれもないので、あのような形に……まぁ、芯は良き人です」


 マリアは小さく溜息をついた後、俺の方を振り返った。

「申し訳御座いません。私の『瞬間移動』は乗り心地が悪いと有名でして」

「なんかもう、何もかも追い付かないんだが、その説明もしてもらえるんだろう?」

 脂汗を拭い、嫌悪感を愚痴と一緒に吐き捨てた。

「はい、勿論です」


「そんなことより、風子はどこだ」

「こちらです」

 マリアは一回、小気味いい音で指を鳴らした。


 その瞬間、さっきの俺のように突然、風子が目の前に現れた。

「うえっぷ!?」

 風子は急な瞬間移動の衝撃に襲われ、変な声をあげてその場にくず折れてしまった。急いで駆け寄ると、少しだけ口からよだれが零れていた。

「マリアさん……私はもう二度と瞬間移動はしないと言ったじゃないですか……」

「失礼いたしました。勇者様がすぐにお会いしたいとのことだったので」

「先輩……可愛い後輩をこんな目に合わせて……本望ですか?」

「え、何? 俺が悪いのか?」


 今にも吐きそうな風子の背中をさすりながら、様子を確認した。顔色の悪さは瞬間移動のものだろうから置いといて、服の乱れや怪我も無い。マリアが危害を加える気がないというのも、本当のようだ。


「マリア、風子を保護してくれてありがとう」

「いえ、こちらの都合でお連れしたのですから」

 小さく会釈をしたマリアは、やっと薄っすらと微笑んだ。


「それにしても、勇者様は風子様のことを何よりも心配しておりましたよ」

「そうなんですか。まぁ、予想通りですけど」

「『この世界がどこなのかの説明なんかより、風子の無事を約束してくれ』と言われた時は、正直痺れましたね」

「案外熱烈なんですね、先輩」

「そういう女子トークは俺がいない所でしてもらえるか……?」

 顔から火が出てきそうだ。死にたい。


「風子様は幸せ者ですね」

「いえいえ、苦労が絶えませんでしたよ」

「なんで二人とも仲良いんだ……風子に関しては勇者じゃなくて、名前で呼ばれてるし」

「いや、最初に会った時に名乗り合いましたもん。むしろ、先輩は名乗らなかったんですか? 子供じゃあるまいし、そんな礼儀も無かったんですか?」

「……木島啓介、です」

「啓介様ですね。こちらこそ宜しくお願い致します」


 余計な恥をかきつつも、何とか俺と風子は無事に再会できたのだ。そこは一先ず安心するとしよう。


 問題は、俺たちが置かれた状況である。 

 軍服の女性に、聞いたことのない国名、化学じゃ説明のつかない瞬間移動。

 そもそも、流れ星に飲み込まれた時点でおかしいことの連続だった。夢であってほしいが、指で触れる感触、匂い、痛みの全てがこの世界の存在を裏付けてくる。

「ここは、どこなんだ」

「それについては、我らの王に直接ご説明を頂きます」


 また、マリアが指を鳴らした。

 すると、玉座の前に一人の人物が現れた。


 体躯は、ただただデカい。一応は常識の範囲内だが、背は二メートルに届くかどうかといったところか。短く野性的に尖った金髪の頭には、おとぎ話のような黄金の冠が乗っている。体格は、それこそ軍人のような筋肉を全身に装備しており、目の前にいるだけで圧を放っていた。

 そしてなぜか、腰に適当にローブを巻いているだけで、あとは一切の服を纏っていない。まるでギリシャ神話の絵画に出てくる神のような恰好だ。


「ロメロット。お前のスキルはとても便利だ。汎用性が高い」

「ありがとうございます」

「ただ、対象の人間のことも考えてくれないか? 俺は今、風呂に入っていたんだ。十秒前まで、腰布すら巻いていなかったぞ」

「王は一糸纏わなくとも威厳に満ちております」

「そうだとしても裸でどこかに瞬間移動されるのは嫌なんだが」

「ご謙遜を」

「ご要望なんだが……」


 男は、こめかみを抑えながら深い溜息を吐いた。マリアは、聡明そうでありながら、意外と御しがたいらしい。

 そのまま男は、玉座と呼ばれた古びた椅子には座らず、まっすぐに俺と風子の元へ歩み寄ってきた。

 近づくと更に大きく見え、つい生唾を飲んでしまう。


「突然こんな世界に呼び出して申し訳ない。私の言葉は分かるか?」

 男はフレンドリーに笑うと、握手を求めるように手を差し伸べてきた。

「こんな格好で申し訳ない。本当ならしっかりと対応をしたいとこなのだが、急を要する。このまま話をさせてくれ」

「あ、あぁ」

 戸惑いながらも、俺は握手に応じる。顔をしかめたくなるくらい、力強い握手だった。

 

「突然だが、君たちはこの世界の救世主になってもらいたい」


 何も隠す様子もなく、男はそう言った。言い切った。

「そういう設定か何か、ですか? 俺たち、何が何だか分からないんですけど」

 状況が飲み込めず、無理に笑い飛ばそうとする俺を、男は真顔で黙ったまま見つめ続けた。

「設定ではない。この世界は……崩壊しているんだ」


 握られた手は、こんなにも力強いのに、微かに震えていたのだった。

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