第3話 真っ赤な心臓を持つ者よ
男は玉座に座り、俺たちも用意された椅子に座らされる形になった。
マリアだけは、玉座の隣で立っていた。
男は何より先に、俺と風子に深々と頭を下げた。
「申し遅れた。私はグランディア国国王のサルバ・ベランテット。こんな格好だから信用しづらいだろうが、この国の長を務めている。普段はしっかり服を着ているから安心してくれ」
サルバ王は、そう言いながら爽やかに笑い飛ばした。
「うちのロメロットの瞬間移動は最悪だったろ?」
「あぁ、もう経験したくないな」
「俺も慣れるまで苦労した。だが汎用性の高いスキルだし、彼女自身、信頼に足る人物だから、許してやってくれ」
隣で表情一つ変えずに立っているマリアが、頬だけ恥ずかしそうに紅潮させていた。
「本来なら盛大に君ら二人をもてなし、ゆっくり雑談を混ぜながら話をしたい所だが、時間がない。それに、君らも早く知りたいだろう。ここがどこか。そして、何故ここにいるのか、を」
サルバ王が腕を組む。
内から溢れる王族の威厳に、自然と俺と風子は背筋が伸びた。
「私は、先輩と一緒にいられるのなら何でもいいですけど」
「そこは大丈夫だ。これからは二人で行動することばかりとなるだろう」
「だったら説明は無くても結構です」
変なことを言う風子の頭を軽く小突いた。
「風子は説明がいらなくても、俺はいるから、説明をお願いします」
特に何も言ってこなかったが、これ見よがしに小突かれた頭をさすりながらジト目で俺を睨んでくる。が、無視だ。
「分かった。では、まずこの世界について話すとしようか」
サルバ王は一呼吸おいて、ゆっくりと話し始めた。
「もう若干感じているかもしれないが、ここは君たちが生きていた世界とは別の世界。限りなく似た、大きくかけ離れた世界だ」
サルバ王の口から語られたのは、些か現実離れした話だった。そんな馬鹿なと笑い飛ばしたかったが、瞬間移動を体験してしまった今となっては、それを信じるしかなかった。
「異世界なんて、本当にあったんだな。漫画の世界かと思っていた」
「私も、最近まで君たちの世界の存在については、想像すらしていなかったよ。様々な理論から異世界の存在が証明されてはいたんだが、眉唾ものでね。今回初めて、君たちの世界へアプローチをすることになったのだが、こうやって君たちを前にしてやっと、異世界が本当にあったんだなぁ、って実感が湧いたよ」
サルバ王が感慨深そうに頷いた。
「この世界の人間は、個人に一つずつ特殊な能力を保持している。ゼロも無ければ二つもない。必ず一個だ」
サルバ王は、人差し指を立てる。
「ロメロットは『瞬間移動』。これはかなり恵まれた能力だ。人によっては『絶対に体温が変わらない』とか『常に静電気を放てる』とか、あまり生活に役立たないものもある。むしろ、その手のものが多い」
「ということは、サルバ王にも何か能力が?」
「あぁ」
大きく頷き、自分の事を親指で指す。
「私は『一定の範囲に絶対の防御壁を張る』能力がある」
「それはまた……立派すぎる能力だ……」
体温がどうとかの能力もある世界で、そんな高性能の能力を持っているなんて、流石は一国の王だ。その責務に恥じぬ能力に納得した。
「私達の世界では、こういった能力を駆使して、自然災害や人同士の争いに対抗し、現在は比較的平和を築き上げてきた。歴史上では争いの絶えない時期もあったが……まぁ、昔の話だ」
苦虫を噛むような顔でサルバ王は頭を掻いた。
どの世界でも、力を持てば戦争をするってことか。
「サルバ王。俺はここに来る前に、マリアに『この世界を救う勇者』と言われたんだが、もしかして俺らに戦争を止めろとか言うのか?」
「違う違う。そんな可愛い話ではない」
迫真の表情で首を横に振るサルバ王は、こう続けた。
「この世界に、赤い毒が蔓延しているんだ」
「赤い……毒?」
赤い毒……科学兵器の類か? だとしても、俺たちに何が出来るっていうんだ。
横目で風子を見ると、深刻そうな顔をしているが明らかに適当に頷いていた。少し前に、理解することを放棄したのだろう。
「その赤い毒と、俺たちに何の関係があるんだ?」
「それは、これを見てほしい」
サルバ王がマリアに合図をする。それに頷いたマリアは、軽快に指を鳴らした。
そして、マリアの瞬間移動で俺と風子の目の前に、大きな水槽が現れた。小学校の頃に教室でメダカを飼っていたものよりもっと大きい水槽の中に、何やらゼリー状の物質が閉じ込められてる。
その物質は、よく見ると自分の意志で動いているようだった。半透明なゼリーは水槽を出たいのだろう。中から必死に水槽を押し破ろうとしていた。
「それは、この世界では有名な半流動体生物だ。スライムと呼んでいる。野生の生き物の中ではトップクラスで危険性の少ない、まだ経験の少ない騎士団見習いの対戦訓練などで利用される生物なんだが、そちらの世界にもいるか?」
「いや、空想上の生き物としてはいるが、本物は初めて見た……!」
目を疑った。俺が知っているゲームのように、何を考えているか分からない笑みを浮かべるような表情は無いが、確かにゼリー状の体で意思を持つ生命体が目の前にいる。こんなの、生物学上では、どう説明しても理解できやしないぞ。
「そちらの世界では空想の生き物ならば、少し物珍しいかもしれないが、まずはスライムの体の中を見てくれないか?」
「スライムの中?」
サルバ王に言われた通り、半透明な体の中を注視した。
その体の中心に、ぼんやりと綺麗な青い光が灯っている。
「綺麗……」
風子が呟いた。
「私、この色は好きです。透き通るような、爽やかな淡い青」
「そう。それが、そのスライムのコアだ」
再びサルバ王は、マリアに合図をした。
マリアはそれに応え、もう一度指を鳴らす。
すると、今度は水槽だけが姿を消し、目の前のスライムがその場に解き放たれた。
「ちょ!?」
突然のことに椅子から転げ落ちそうになるのもつかの間、マリアは瞬きよりも早い速度で腰の拳銃を抜き取り、そのスライムのコアを撃ち抜いた。
スライムは一瞬だけ硬直したが、そのまま全身が光の粉になって跡形もなく消えていった。
「え……消えたんだが……」
「そう。この世界の生き物は、コアを砕かれると光となって消えていく。スライムだけじゃなくて、全ての生き物が、だ」
サルバ王は、自分の左胸を軽く拳で叩いて見せた。
「当然、人間の体も同じ。左胸にコアがあって、これを砕かれたら死ぬ。まぁ結構な硬さのものだから、そう簡単には傷すら付かないけどな」
「え、この世界の人って心臓の代わりに青い結晶が入ってるの?」
「そうは言うが、君らのコアはただの肉の臓器なんだろ? こっちからすれば、よくもまぁそんな脆い生命が普通に活動できるなと興味深いくらいだ」
突然見せつけられた、自分との大きな生命の違いに驚いた。常識がどうのこうのというより、根本的に違い過ぎるのかもしれない。
「コアについても驚かせたみたいだが、このコアとは別の、禍々しい物体が今、この世界を蝕んできているんだ」
一呼吸おいて、サルバ王はゆっくりと口を開いた。
「それが『赤いコア』だ」
今度は、サルバ王の合図無しにマリアが指を鳴らす。
俺と風子の前に、それぞれ小さな台が現れた。
その上に乗っているのが、赤いコアだろう。
先ほどの青いコアは美しい色をしていたが、このコアはむしろおぞましい色彩をしていた。どす黒く濁った赤色のコアは、まるで本当の心臓のように脈打つようにしてその光を放っている。何かの生き物の中で光っているわけではなく、ただコアだけがそこにあるのに、コア自身が生きているかのような迫力すら覚えた。
「どうだ、禍々しいだろ」
サルバ王が皮肉そうに微笑む。
「その物体は、突如現れた。人工的にな」
「人工的に?」
「最初にスキルの話をしただろう? これは先天的な才能のようなものだ。磨けはすれど、新たな習得は出来ない。そんなこの世界の常識を食い破るように作られたのがこの赤いコアだ。作ったのは、遠い国のイカれた宗教団体だよ。普段から何か怪しい動きをしていたようだが、こんなことなら強引にでも壊滅させておくべきだった」
悔しそうに玉座の腕置きを叩きつけた。
「それは……胸のコアと融合させることで、新たにスキルを取得できる体へと進化させるものらしい」
「凄いな……この世界の常識が覆る話じゃないか」
「あぁ。しかもこのコアは、さっきのスライムが死んだ時に出たような、生命の光を吸収することで成長する。いわば、モンスターを倒して経験値を得るようなもんだ。そうやってコアが成長することによって、新たなスキルを取得していくらしい」
「たしかに凄いものだが……そこまで悪いものでは無いんじゃないか? 悪人が使えば兵器になるが、善人が使えばこれほど心強い武器はないだろ」
「……このコアは、使えない」
サルバ王が言い捨てた。
「これを使った者は……みな化け物になっていったよ」
顔を手で覆い、その時のことを思い出して小さく肩を震わせていた。隣のマリアですら、目を閉じて眉間に皺を寄せている。
「その瞬間が、全世界で同時に披露されたんだ。各国の中心地で、赤いコアのお披露目をされた。どの国も拒否していたのに、どこから入ってきたのか、この国にも狂信者が赤いコアを持ち込んでいた……。彼らは、それを自分の胸に押し付けたんだ。すると、途端に赤いコアが反応した。体に吸い込まれるように入り込んで、皮膚の上からでも分かるくらいに光り出して……そして、コアの色が混ざって濁った紫色になった」
話しながら、サルバ王は息が荒くなっていく。
「その途端、コアを吸収した信者が発狂して、廻りの人間を襲い始めたんだ。突然発言したスキルは何故か全て攻撃に特化したもので、遠巻きに眺めていた観客を次々に殺していったよ……そして、その光で信者のコアはどんどん強くなっていった」
思えば、こんなに広い城なのに、ここにいる俺たち以外の声が一切聞こえない。みんなどこにいるのかと思ったが……そういうことか。
「地獄だったよ」
絞り出したような声は、広い部屋に弱弱しく響いて消えた。
「襲われた者で、死を免れた者も次第にコアが紫に浸食していって、同じように暴れ始めた。最初は紫に染まった者は拘束・保護対象だったが……最後はやむを得なかった……犠牲を増やさないためにな……」
浸食する毒。それがこの『赤いコア』か。
「事を何とか抑え込んでから各国に連絡を取ったが……まぁどこも惨憺たる様子で、いくつかの国は壊滅した。今、この世界は紫のコアを抱いた化け物に食いつくされようとしている。今はそれぞれ、自国を守ることに注力しているから現状を維持できているが、原因を絶たないことには平和は来ない。そこで、我々は君たちを呼んだんだ」
「いやいや! 話を聞くに、明らかに人の領域を超えた化け物じゃないか! 俺たちは、この世界の人間と違って何もスキルを持っていない、誰よりも弱い生き物だぞ。どうこう出来るわけないだろ!?」
「それが、どうこう出来るようになるんだよ」
サルバ王はそう言いながら、俺たちの目の前にある赤いコアを指さした。
「そのコアは、この世界の生き物には毒となる。だが、元々赤いコアを持つ生命とは上手く結合し、本来の力を発揮するらしいんだ」
元々持っている赤いコアとは、心臓のことを言っているのか。
「おい……このコアを、俺らに入れろって言ってるのか?」
「信者の一人を拷問して聞き出した話だ。信じるに値する情報だと判断した」
「そんな都合の良い話があるか!?」
「分からない。だが、試す価値はある」
サルバ王は玉座から立ち上がると、そのまま両膝をついた。その様子をマリアは、今にも泣きだしそうになりながらも、見ないように必死に顔を背けている。
「私たちでは試せない、世界を救うための賭けなんだ! どうか……どうか赤いコアを使ってくれないか……!!」
そう叫び、この国の王が額を床に擦りつけた。綺麗な土下座だった。
この世界でだって、土下座が如何に屈辱的な行為かは、サルバ王やマリアの様子を見るからに想像に難しくない。
だからといって、そんな願いが飲めるわけないだろう。
「どんなに頼まれても、俺は――」
「なるほど、そういうことなら仕方ありませんね」
風子から、物凄く嫌な予感がした。
振り返ると、風子は赤いコアをすでに自分の胸に押し当てて、その殆どを体内に吸収し終えていた。
「案外すんなり入るんですね、これ」
「いやいやいや!?」
急いで風子の手を振りほどいて、吸い込まれ行くコアを掴もうとするが、もうコアは全て体内に入ってしまっていた。それに呼応して、風子の体が全体的に赤くぼんやりと光り始めた。
「大丈夫なのか!?」
「ちょっと胸の奥が温かいくらいですかね?」
「それ本当に大丈夫なのか……?」
風子の胸に手を当てる。そこに結晶のような感触は無く、申し訳なくなるくらい女の子特有の柔らかな膨らみがそこにあるだけだった。
「先輩……どさくさに紛れておっぱい揉まないでください」
「それが目的だったわけじゃねぇ!」
「ドキドキします……先輩のせいでしょうか?」
「んん……否定しきれないけども!?」
慌てふためく俺を面白そうに眺める風子は、次第に体の光が治まっていく。それを少し物足りなさそうに口を尖らしながら、サルバ王の方へ向き直った。
「特に問題は無さそうですよ」
「うん……こちらとしては協力してくれて有難いのだが、心の準備がまだだったからビックリしたよ……」
冷や汗を拭うサルバ王の隣で、驚きのあまり感情が混乱しているマリアが何度も瞬きしている。
「本当に適合しましたね……。体の変化、意識の混濁も見受けられません」
「やってみるものですね、身体の違和感もありませんよ?」
すっかり体の光が消えた風子は、自分の服の首元から胸の辺りを覗いてみた。
「うん。特に体に傷や跡も無いみたいです」
「本当か……?」
「見たいんですか?」
「いや本当にどうしてそんなに平常心なの……?」
「考えてもみてくださいよ、先輩。あの星が降る夜に、すでに命を諦めてた身ですよ? こんな所で保身に回ってどうするんですか」
風子から、顔に指を突き立てられて注意された。
「それに、みんな本気で世界を救ってほしくて私たちに頭を下げているのですよ。それに応えずして、本当に男なのですか?」
そんな無駄な正義心で放たれる理論なんざ、一蹴してやりたかった。だが、現に危険に手を伸ばし、風子はコアと適合した。
口だけじゃない人間に何か言えるのは、行動をした人間だけ。
「くそ……お前と一緒にいると苦労が絶えないよ……」
「はいはい、愚痴を言う人にはコアをどーん!」
深呼吸をする間もなく、風子は俺の分の赤いコアを俺の胸に押し付けてきた。
「せめて自分のタイミングでやりたいんだけど!?」
答える頃には、もうコアはおれの体に浸透していた。
体に生ぬるい液体が満ちていくような、不思議な感覚。肺を満たし、血管を通して指先まで満遍なく巡り回ったものが、一気に心臓に集約され、心臓そのものを包み込んでいった。それに合わせて、俺の体も優しい赤い光が溢れ出していく。
「本当だ……温かい」
「でしょう?」
微かに心臓が高鳴り、体温そのものが上がる感じがした。
そして、突然心臓が落ち着いた。すっと体温が元に戻る感覚がして、身体の光も消えて無くなる。
「終わったか……?」
「だと思いますよ?」
体の変化が治まると、風子がニコニコしながら俺の手を掴んだ。特に違和感のない風子の体温が伝わって来る。
「なるほど。赤いコア同士が触れ合ったら死ぬ、とかも無さそうですね」
「お前ホントに軽い気持ちで命を懸けた行動しないでくれない?」
慌てて手を振り払うと、心なしか寂しそうな顔をしたが無視だ。
「先輩が冷たい……これも赤いコアの副作用ですか……」
「安心しろ、いたって正常だ」
むくれる風子の頭を撫でながら、サルバ王に声をかけた。
「まぁ、なんだ……展開はともあれ、言われた通りに赤いコアを吸収したぞ」
「うん。なんかいきなり過ぎて驚いたが、感謝するよ」
サルバ王は引きつった笑顔のまま、俺の元へ歩み寄り、力強く背中を叩いた。
「なんというか、歴史が変わる瞬間って、こんなあっけないモノなんだな」
「それは済まない……」
「いや、結局は彼女の思い切りに救われた。おかげで、赤いコアに侵された輩に対する反撃の狼煙が上げられる……!」
ありがとう、と改めてサルバ王が呟いた。
「そろそろ、初期スキルが獲得できるんじゃないか? 完全な運任せだが、君たちなら優秀なスキルの恩恵を受けることだろう。なんたって救世主なんだから!」
テンション高く笑うサルバ王は、いよいよ俺に肩を組むまで距離感が縮まってきた。こっちはまだ戸惑っているのだが。
よほど、俺と風子の適合が嬉しかったのだろう。
「スキル獲得ってのは、いったいどんな感じなんだ? 初めてのことだから、何とも想像がつかない。もしかして、すでにスキルを獲得してたりしないか?」
「どうだろうな。私たちは生まれた時にすでに持ってるから、獲得したての感覚は覚えていないし。ただ、スキルを念じると所持スキルの名称と性能が意識の中に浮かび上がるようにはなっている」
「いよいよ便利な世界だな、ここは」
言われた通りに、スキルが何か自分で念じてみる。
念じ方も分からないから、自問するように目を瞑ってみた。
すると、脳内にはっきりと言葉が浮かび上がってきたではないか。文字でも音声でもない、忘れていた記憶が蘇ったような、日常であまり体感しない感覚だ。
「先輩! なんか頭の中で浮かんできますよ!」
風子が慌てた様子で俺の服の袖を掴んだ。
「あぁ、俺も浮かんだ」
つられて興奮気味になりながら、サルバ王に聞く。
「なんか声のような文字のような、変な感覚なんだが…これがスキルか?」
「そうだ」
深く頷いたサルバ王は、気前良く親指を立て、白い歯を見せて笑うのだった。
「さぁ、勇者達。君たちのスキルを教えてくれ!」
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