第10話 友好の会
「そのときから、私達は会うようになりました。意気投合し、色んな写真の話をしました。そのときに私は小さい頃、あの写真館で出会った男の子の事を思い出して、雪都様に直接尋ねたのです。雪都様もあの日、倒れた女の子を見た事があると覚えていてくれて……。私達はそこからお互い写真仲間として、会うようになったのです」
そこまで話して、ふぅ〜と息をついた。
実は、この話にも、嘘が含まれている。
雪都様と小さい頃に会った事があるのは本当。でも、彼はその事を覚えていなかった。
それに、あの写真館で祖父が亡くなった翌年、祖父が魅入られていた写真を見ている彼に出会ったのは本当の話だが、そのあと写真館で会っていたという話は嘘であり、雪都様と再び再会したのは別の場所である。
二年前、駅の近くの店で写真の展示会があった時だ。そこで雪都様と出会ったのが、始まり。私は覚えているが雪都様は私の事を覚えているどころか知らなかったのだ。
雪都様が私の存在を知ったのは、本当に、この見合い話が舞い込み、手紙でやり取りしていた時だ。
私の方はその時に初めて雪都様が、あの高良家の人だった事を知ったのだ。
「それは、つまりは兄と橙子さんは小さい頃に会った事があり、再会した後も、写真がきっかけで仲良くなったんだね?それからこの婚姻の話が舞い込んできたと…?」
そこまで話しをした私の話を、苓様は確認するように尋ねた。
ホッとしていた私は突然振られ、慌てた。
「えっ?ええっ、そうです!三回ほどでしたか…雪都様と再会し、小さい頃に会っていた事で、何故か知らない人とは思えなくて…。それで、この政略…婚姻話を聞いた時は本当に驚いたんです」
これは、本当のことだ。
まさに運命!と、初めはそう思った。
その時は、ドキドキして、雪都様に会うのを楽しみにした。
でも、実際は、雪都様は私のことを覚えていなかった。残念な気持ちに…いや、あの気持ちは悲しい、かな。
一人だけ舞い上がっていたのだと、恥ずかしくなった。
「まさか、こんなことって…」
不意に、苓様が動揺したような声で小さく呟いた。
あの時の感情を思い出していた私は、彼の声に反応してそちらに向き直る。
……苓様も、こんな顔をするのかと、驚いた。
彼は真っ青な顔で口元を押さえ、何かに怯えるように暗い表情を浮かべていたからだ。
そして、それを私に見られていることに気付くと、ハッと我に返り、取り繕うように硬い笑みを浮かべた。
「ああ、すまない…。そうか、そうだったんだね。二人は幼い頃から面識があり、仲が良かったのか」
そこで一旦言葉を切り、目を閉じて深呼吸すると、気持ちが落ち着いたのか、いつもの優しい笑顔に戻った。
「橙子さん。君達が昔から仲が良く、この婚姻に反対で、僕に嘘をついていた事はよくわかった。しかし、小さい頃に写真館で会ったという話は…真実なのかな?」
写真館での話を探るような目で問いかけられ、私はギクッとした。
「ど、どういう意味でしょうか…?雪都様とは小さい頃に、間違いなく、会っております。何故、そのような事をお聞きになるのですか?」
少し声が上擦り、最後の方は弱々しい声になった。
「…いや、兄からそのような話は聞かされていなかったので、少し、驚いたんだよ。それに、小さい頃からの写真仲間なら、この婚姻に反対なのが不自然だと思ったからね」
彼にも何か、思うところがあったようだ。
優しく言ってはいるが、やはり、私を見る目が前と違い鋭い。これは本当のことなのか、私から聞き出そうとしている。
でも、残念ながら、私からは話せない。
それを正すつもりはないし、こちらにとって、昔から面識があったのだと思われていた方が都合がいいからだ。
「…苓様。その…私と雪都様との話には、多少、食い違いがあるのだと思います。それに彼にとってはあの日、小さい頃に会っていた事は、なんて事のない出来事だったからです」
もう一度、嘘を本当に聞こえるように言い直そう。
「会って、再会したそのときは懐かしい気持ちと嬉しさでいっぱいでした。互いにすぐに打ち解けましたし、もう一度会うのが楽しくなりました。でも…違うのです。雪都様と私との気持ちは、お互い違う方向に向いているのだと、気付いたのです」
ここまで言うべきか、迷った。
嘘はあるが、真実も含まれたこの話。
苓様には、納得してもらわなければ、この先、私達がこの結婚話をなかった事にするために取ろうとしている行動が不利になる。目的の結婚話を破棄する事ができなくなる。
一度息を吐き、改めて真面目な顔つきになった。
私はこちらを笑顔で見ている苓様に向けて、再び口を開いた。
「正直、この結婚に、この政略結婚と言うこの形には、嫌気すら感じます。ですが…苓様。私、雪都様とはこれからも別れるつもりは全くありません」
はっきりと、私は本当の気持ちを告げた。
結婚には反対だが、雪都様と会って仲良くする事を止めるつもりはない。彼は、写真師になると言う夢を掴むのに必要な存在だから。
それに、まだ誰にも悟られていないが、他にも理由がある。
「婚姻関係にはならないが、別れるつもりはない…?それは、橙子さん。まさかと思うが、兄に傾倒しているの?」
…傾倒??
一瞬、そう言われ驚いたが、すぐに冷静になって、違うと首を振る。
「いいえ、違います。苓様、これは私にとって、好機なのです。大切な思い出をずっと忘れないためにも、雪都様は私にとって必要不可欠な存在なのです」
傾倒などとは、生温い。
もっと違う、何か…だ。
それは私にも正直分からないが、雪都様がそばにいてくれるだけで、私は私らしくいられる。
苓様の不安そうな暗い表情が、少し安堵した表情に変わる。
「苓様…私からも、あなたにお尋ねしたい事がございます。これを話せば、不快に思われるかもしれませんが、その、苓様は何故、こんなに私に優しくしてくださるのですか?今の話もですが、この結婚に反対している私を怒るわけでもなく、嘘をついた事を責めるわけでもない。会った時からずっと変わらず優しいのはどうしてでしょうか…?」
怒られるだけじゃなく軽蔑される覚悟で、結婚を阻止していたことを話した。
伯爵家と言う立派な華族が、何故落ちぶれた元武家の加茂家の娘を嫁に迎え入れるのか…。
裏があることは、両親との会話を盗み聞きしていたので知っている。それでも、出会った頃はまだ私は雪都様の婚約者ではなかった。
そう…。彼がずっと変わらないその理由が気になった。
少し明るさが戻ってきた彼は、私の質問に軽く目を見張り驚いたようだ。そして、微かにだが頬を赤らませて視線を逸らし、何故か恥じらうように笑った。
「それは、僕が…橙子さんとはできれば結婚した後も、その…と、友達として、ずっと一緒にいたいと思っているからだよ…っ」
恥ずかしそうに、青春真っ只中の少年のような顔で、そう告げた。
大人が友達と一緒にいたいと口にした事が、照れ臭いのだろうが…。
予想外の答えだ。
不覚にもドキリと、その恥じらう姿に、心臓が鳴ってしまったのは言うまでもない。
「そ、それは…その、そうなんですね」
そう返すのが精一杯だ。まだ照れ臭そうに頬を染める彼を、まともに直視できない。
視線を逸らして、何か気の利いた言葉をかけられるか考えていると、突然ぞくっと背筋に悪寒が走った。
はっとそちらを見れば、周りにいる婦人達が羨ましそうに見つめている。
だが、そんな生温い視線ではない。
なんというか…殺意を向けられたような、重苦しく冷たい視線。
気になって、チラッと辺りを見たが、私をそういう目で見ている人はいないようだ。
……気のせいか?
苓様といる事で過敏になっているのかもしれない。
私が再度苓様の方に向き直ると、苓様はまだ恥ずかしそうに私を見つめていた。
「お、驚かせたようだね。でも、本当に私は…君とはこれからも、古き親友のように、仲良くしていきたいんだ」
彼はさきほどよりも強く強調するように、親友になりたいという真摯な気持ちを告げてきた。
「あ…私は、そ、そうですねっ。私も、苓様とはこれからも仲良くしていきたいと、思っております」
どう答えればいいかわからない。
でも、なんとか彼のその気持ちに応えようと、引き攣ってはいたが笑顔で、それらしい言葉を返した。
すると、苓様の表情がぱぁっと、嬉しそうに綻んだ。
……なんて、なんて可愛らしい……ハッ!
その笑みにまたもや胸をつかれ見惚れてしまい、次の反応が遅れてしまった。
突然ギュッと、苓様が机に置いた私の手を両手で強く握ってきたのだ。
「れ、苓様っ!?」
私は驚きに声を上げる。
「そう言ってくれて、本当に嬉しいよ…っ」
苓様はいつもの冷静さを失ったのか、周りを気にせずに掴んだ手に力を込めて、不意に自分の方に引き寄せた。
「な…っ!」
途端、私の顔は熱くなり、背にぞくぞくと甘い痺れが走った。
苓様がそのまま私の手の甲に口付けしたのだ。
私は驚きと羞恥に言葉を失い、私達を見ていた周りからは小さな悲鳴が上がる。
「れ、苓様…!」
その悲鳴に、熱くなっていた顔からさぁーと血の気が引く。
「…橙子さん、私は…」
顔を上げた苓様が私の手を掴んだまま、何かを言おうとしたが、
「は、離して下さい!こんな、こんな所でこのような…っ」
公衆の面前でとった大胆な行動に動揺して、私は彼の言葉を遮るように叫んだ。
こんなことをすれば、私と苓様の中を誤解されて、悪い噂が立ってしまう!
「いいから橙子さん。黙って、私の言葉を聞いて」
すると、彼は鋭い視線を私に向けて、黙らせた。
ビクッとして、引っ込めようとしていた手から力が抜けると、彼はより強く私の手を握りしめた。
「…何を、何をしてるっ…!!」
刹那、横から、大きな怒鳴り声が響いた。
ビクッと、その怒鳴り声を聞いた私は小さく震えた。
「…(まぁっ!あ、あの方は…!)」
「(えっ?あれは…!?)」
一瞬で、周りがざわつき、近くの席に座る婦人達の動揺する声が聞こえる。
…う、嘘でしょうっ!?なんで、なんで彼が…!!
見なくても、その声の主が誰なのかわかった。
ヒュッと息が止まり、まだ手が握られていることに気づき、青ざめる。
その間に、コッ!コッ!と力強くも早い足音が近づいてくる。
ブルブルと手が震え、冷や汗が浮かんだ。
悪い事はしていない。でも、この、張り詰める空気と緊張感…怖くて、私はすぐに顔を上げることが出来なかった。
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