幕間
小さな時から努力していた。
優秀過ぎる奴が側に居たから。
そいつは何もせずに、ただ居るだけで自然と周囲の者の期待に応えている。
それはもう、天賦の才だろう。
凡人から見れば、近づけるだけで努力しても、本当の意味でそれは手につかむ事はできないのだ。
暗い中を、街灯に照らされ馬車が門前で停まった。
そこから、ふらりと、軽やかに降りた男を見て、門の前で待っていた彼は冷たい視線を寄越した。
「…こんな遅くまで、随分と楽しんで来たようですね」
彼は、済ました顔でそこに立つ男を見て、皮肉の言葉を放つ。
「おぉ?そこにいらっしゃるのは、伯爵様ではないですか!あれ…?ですが、こんな時間に、こんな所にいていいのですか?」
その男はにこやかな笑みを浮かべながら、上品な受け答えをする。
「…まさか!あなたと違い、私は忙しい身でね。先ほどまでずっと、書類に目を通していましたよ」
答える声は、真面目かつ皮肉げに聞こえる。
「…へぇ〜。それはそれは、大変な事で…。では、僕はそろそろ戻りますよ」
さっと素早く、男はそれ以上話はないとばかりに、彼の横を通り過ぎようとした。
「待て。まだ、話は済んでいない」
だが、彼が男の腕を掴み、引き止めた。
「〜〜っ!?離せよっ」
引き止められた男はその腕を振り払い、冷たく言い放つ。
「どういうつもり?こんな遅くまでまたあそこに通っているのに、何故あんな真似をした…?」
男が近くに来た時に、はっきり分かった。
お酒の匂いに混じり、複数の女の白粉の匂いがした。
「答える義理はないね。お前に、その資格はないだろ?」
呼び止められた男は冷めた目を向けて告げる。
この件に彼は関係ないとばかりに、冷たく言った。
「資格?…私にはその権限がある。この婚姻はあなただけのものではない。この家にとって重要なものなんだ。それをどういうつもりか知らないが、私の計画をことごとく潰して台無しにした挙句、今度は彼女を騙し取り込み、壊そうとしている。初めに言ったはずだよね。これは兄さんだけの問題ではないと」
兄さん、と呼んだ彼は高良伯爵家当主、高良苓。
兄さん、と呼ばれた男は高良家長男、高良雪都。
雪都は小さく失笑し、肩をすくめて見せた。
「はぁ?僕のせいにする?この茶番を始めたのはお前でしょ?あの男の遺言かなんだかしらないが、勝手に後継者になり、僕を追い出そうと、あの田舎臭い元武家人の、なーんの価値も取り柄もない平凡な芋女なんかとくっつけようとしている。気づかないとでも思った?お前こそ、どういうつもりで喧嘩売ってるわけ?」
「黙れっ!口が過ぎるぞ。あんたが何を知っているっていうんだ!」
苓は雪都の辛辣な言葉の数々に、剣呑な目で睨みつけ、冷たく吐き捨てた。
「あーあー、知らないね。僕は高良家にとってのお荷物だからね。結局お前もあの男のようにこの立場を利用し、あんな女と結婚させて、全て無くそうとしてるんだよ!…お前が勝手にした事だ。とやかく言われる義理はない」
雪都は結婚だけじゃなく爵位を受け継いだ事にも不満があった。それを全部、苓のせいにしている。
この結婚に雪都が反対しているのは、その意趣返しなのか…。
だからこそ苓は、ちゃんと兄にこの婚姻の大事さを理解させようとしていた。
「…馬鹿な事を…。身勝手過ぎるよ。兄さんはいつもそれだ。何故私が後継者として爵位を受け継いだのか、本当に分からないの?」
雪都の勝手な思い込みだ。
高良家には、まだ雪都も知らない重大な秘密がある。
「なら、僕にそれを教えろよ。あの男は、遺言で、なんて言った?」
雪都の口元に冷笑が浮かぶ。その瞳には、あの男に対する異様なまでの憎悪が見えた。
苓は顔を青ざめ、震えた。
「…私がそれを言った所でもう遅い。私が選ばれたんだ」
それだけ、彼は言って、兄から目を逸らした。
その態度を見て、スッと、雪都の感情が消えた。
無表情で虚空を見つめ、口元に薄い笑みがへばりついた。
「…もう、いい。もう、何も言うな。僕は僕で、お前も、この状況を作った母もその親戚も…高良家一族を赦しはしない。せいぜい今だけ、その地位を楽しんでいればいい」
雪都は冷淡に捨て台詞のような台詞を吐いて、苓に背を向けた。
「待って、兄さん!」
まだ何も解決されていない。
苓が呼び止めたが、彼は振り向く事なく去っていく。
その方向は前方にある、あの明るく大きな本邸ではなく、その横の奥にある離れの方だった。
「兄さん…。高良家には、知らない方がいいこともあるんだ」
苓は悲しそうな表情を浮かべ、ポツリと、掠れた声で呟いた。
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