第7話 演じるのはニセモノ達
繋いだ手と、他愛ない会話に笑顔つき。その姿を見て、どう思うかは人それぞれ。
女学院の近くから商店街のある大通りを、本物の恋人同士のように歩く。
その中で、時に見せる雪都様の自然な態度に、錯覚した。
熱い眼差しと口元に浮かぶ笑みが、本当に私に恋をしているような…。
「橙子さん、ここに段差がある。気をつけて」
不意に、私の耳元に口元が近づき、囁かれた。
「え?」と私が彼に振り向き、その言葉の内容を理解しようとした時だ。
ガッ!と、足先に何かが当たり、気づいたら身体が前に投げ出された。
「橙子さん…!?」
その瞬間、雪都様のどこか焦りのある呼び声がして、胸元あたりに堅い衝撃と、背中に暖かい温もりを感じた。
目の前に地面があり、ブワッと全身に冷や汗が流れて、ドキドキと心臓が早鐘を打つ。
「はぁ…っ、あぶなかった」
耳に触れるか触れないかの吐息混じりのその声は、雪都様のものだ。
どうやら、私が転びそうになった所を、彼が横から抱き止め、受け止めてくれたようだ。
「ゆ、雪都様っ!申し訳ありません!」
ハッとして、慌てて体勢を直そうと体を動かす。
「と、橙子さん!動かないで」
すると、雪都様が静止の声を上げ、ビクッとした。
「僕が、先に動くから」
そして、雪都様は優しく呟き、背後から回された左腕に右手を置いて、ぐんっと軽々と、私の体を引き戻し、腕を解いた。
「…よし。もう、大丈夫」
「あ、ありがとうございます」
まだドキバクする心臓を抑えて、転ばなかった事にホッとした。
「……まぁ!白昼堂々と、抱き合っているわよ」
そのとき、女の人の驚くような声が聞こえてきた。
ハッとして周りを見ると、今のやり取りを見られていたのか、通り過ぎていく人がこちらを見てはヒソヒソと話をされている。
「…あれは、雪都様ではなくて?」
反対側からも声がしてそちらを向くと、女学院の制服姿の女子が興奮したようにこちらをチラチラ見て、何かを囁き合っていた。
完全に今のを見られていたようだ。手を繋いでいたよりも恥ずかしい!
「ゆ、雪都様っ。もう、離れてください」
恥ずかしさからまた顔が熱くなり、小声で、背後にいる雪都様を振り向き、話しかけた。
すると、その振り向き様に、視界に身に覚えのある姿が飛び込んできた。
驚いて、もう一度そちらの方に振り返ると、向かいの店の影、燕尾服に深い帽子を被った、先程お会いした藤次郎さんの姿があった。
やはり、監視をしていた。
私は思わず雪都様の方を振り向いた。でも、彼は口元に人差し指を当てて、笑っていた。
「…さぁ、もう行こう。今度は足元に気をつけてね」
何事もなかったかのように語りかけて、私の方に再び手を差し伸べてくる。
彼は、見て見ぬふりをしろ、と言っているのか…。
気づいているはずなのに…。
「雪都様」
だが、私の方はこれ以上、演技をすることに抵抗を感じた。
困ったように雪都様を見つめ返すと、笑みを浮かべて手を差し伸べている彼が、微かにため息をついて手を下ろした。
「…ああ、そうだね。今日は、ここまでにしよう」
私が口にするよりも早く、私にしか聞こえないくらい小さな声で呟いた。
彼は私の表情だけで、私の気持ちを汲み取った。
「…っ!す、すみません。雪都様!」
いい具合に作戦が進んでいたのに、壊してしまった。
気分を害されたかな、とそう思い謝ると、雪都様は首を振って、
「いや、いいんだよ。無理をさせたのはこちらだから。それに、今のは偶然だったけれど、あの様子なら、当初の目的は達成されたようだよ」
そうどこか誇らしげに笑い、茶目っ気たっぷりにウインクした。
一瞬、この人は頭がおかしいのか?と、ウインクした彼に唖然としてしまった。
でも、よく考えてみると、今のは偶然だとしても結果的に計画よりもより親密に、周りに見せることができたのだ。
その証拠に、周りの反応は、雪都様が計画を立てた通りである。私達は不仲でなく良好なのだと。
偶然にしてもそう信じ込ませるような、迫真の演技となった。
「雪都様…あの、そろそろ行きましょう。ここは人目がありますし、ね?」
でも、公衆の面前で転がりそうになったのは事実。とにかく恥ずかしい思いをしたわけで、今はここから離れたい気持ちでいっぱいだ。
私の言葉に彼は頷いて、すぐに周りに見せつけるように、そっと肩に手を回した。
「…ははっ!もう、橙子さんっ。君は本当に、目が離せないよ」
そのまま演技で愛おしい者を見るように呟きながら、さりげなく私を周りの目から守るように、これ以上注目されないよう、そそくさとその大通りから離れた。
脇道へ歩いて、あの藤次郎さんからの目も離れた、人通りの少ない場所まで歩いて来ると…。
雪都様はようやく、私の肩から手を離し、ふぅとため息をついた。
「お疲れ様、橙子さん。恥ずかしい思いをさせたのに…見事だったよ」
最後のは、褒め言葉だろう。
演技を困りながらも、あの場から逃げるために、少し頑張って演技を続けた。
そのおかげで早く、不審に思われずに、離れることができた。
「…雪都様。私、とても恥ずかしかったわ」
嫌な気持ちはあった。転がりそうになったのを見られてしまったのだから。
でも、不思議と、そう…不思議と、その恥ずかしい気持ちが前より薄れている。
「あ、ああ。本当にすまない事をしたよ。でも、橙子さん。君は自分で思っているより、ちゃんとできていたし、楽しんでいたように見えた」
楽しんで…?
いや、それはない。
「楽しんでいた、訳ではありません。…ただ、なんとなく…」
『雪都様のそばは居心地が良い』
そう出かかった言葉を、飲み込んだ。
雪都様を見上げ、不思議そうにこちらを見ながら私の言葉を待つ彼に、藤次郎さんに会った時に現れた彼を思い出す。
「なんとなく…雪都様が、とても頼もしく見えたからですわ」
そう言ってから、ハッとする。
驚いたようにこちらを見る雪都様の視線が、急に恥ずかしくなった。
「あ…っ!そ、そのっ、雪都様は大変立派な殿方だなぁって、私いつも頼りにしているんです!今回も、計画とは少々違いましたが見事に周りの視線を掴んでいました。とても機転が働きますし、何よりこの私にも優しいので、その、大変魅力的な方ですとお伝えしたかったのです!」
話せば話すほど、墓穴を掘った。
これでは、告白しているようなものではないか!?
顔を真っ赤にして焦って早口にまくし立てると、驚いていた雪都様は一拍おいて、フッと軽く笑った。
「そうか。君にそう思ってもらえたなら、成功だね」
そう淡々とした口調で応えた。
私は、彼の反応に、拍子抜けした。
もう少し喜んでくれたり、私の告白のような言葉に照れたり、もっと違う反応を見せるかなと思ったけれど…妙にあっさりしている。
「あ…、そう、ですね。計画は、皆の見る目が変わってましたので、成功…しました」
声に力が出ない。
「ああ、君のおかげだよ。乗り気ではなかったのに、ちゃんと演技をして、僕を想ってくれた。これからもこの調子で頑張っていこう」
「え…?あ、ええ。そうですわね」
軽く頷いて応えたが、何故が胸の中がモヤモヤして晴れず、笑顔がちょっと引き攣ってしまう。
「…ああ、じゃあそろそろ帰ろうか。周りに見つからないように、馬車を呼んであるよ。君を家まで送り届けよう」
彼の私に対する態度は、今だけ共演する仲間内のような、知り合いのような…そんな軽い関係に向けたもの。
馬車を呼んだ雪都様は、「あちらに呼んであるんだ」と指を差し、私を案内しようとした。
「あの、私なら大丈夫です!馬車なら呼んでありますから、今日はここで解散しましょう」
「え…?橙子さん!」
その誘いを断って頭を下げると、驚くように呼び止める彼を無視し、その場から逃げるように、私は大通りの方へと駆けて戻っていった。
雪都様が見えなくなった店通りに来ると、足を止めた。
ふらっとよろめき、店の建物の前の柱に寄りかかる。
久しぶりに走って心臓がバクバクし、息が乱れて額に汗が浮かんだ。
「わ、私ったら、なんでこんな…」
ぎゅっと目をつぶって、さっきの自分の行動を振り返り、混乱する。
ただ、この結婚を破棄するために、私達は仲睦まじい姿を見せるための共謀者となった。
それは私も納得して、雪都様と仲睦まじい婚約者を演じると、初めからわかっていて今日はそのように頑張って取り組んだのだ。
それなのに、今更、彼の反応を気にするとは…。
今日は、苓様のこともあって不調だから?
自分の事なのに、この胸のモヤモヤの正体が分からず、私はスッキリしないまま、女学院付近に出ている乗合馬車へと急いだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます