第6話 繋がれた手の裏には

さっと手を取られた。


「(逃げるよ)」



いつの間にか真横に立った雪都様がボソッと耳打ちし、駆け出した。



呆然とする藤次郎さんを残し、下校者の目も気にせず、雪都様は私を連れてその場を駆けて離れた。




「ゆ、ゆきと、様っ」



息を切らし、走って着いたのは、学院から人通りの少ない脇道の裏通り。



「あ、ああ、済まない。慌てて、握ってしまったよ」



軽く息を切って、彼が私に振り返りながら手を離し、言った。



突然掴まれた手の温もりが離れ、それに戸惑いながら、彼を見上げる。すると、乱れた髪を整えていた雪都様が私の視線に気づき、軽く苦笑。



「まさか、あそこに来るとは思わなかった。橙子さん…?大丈夫だった?」



不意に、彼が私の顔を覗き込んできた。



近くにある彼の顔に、ギョッとして、慌てて首を振った。



「いえ、わ、私は何とも…!ですが、何故あの場所に…?」



現れたのが、不思議だ。タイミングが良すぎる。



その問いに雪都様は少し目を見張り、罰が悪そうに頬をかいた。



「あ〜…実は、苓が君の自宅に向かう所をずっとつけてきていたんだ。ほら、何があるのかなぁと思って、こちらも用心に越したことはないから。そうしたら案の定、苓はそのまま屋敷に帰って来たのに、乗っていた馬車だけがここに向かっている。それを聞きつけて慌てて学院に向かったんだ」



雪都様は苓様がどう動くのか、昨日からずっと、彼の動向を監視していた。その監視に、苓様が私の通う女学院に馬車だけを走らせたとの報告を受けて、苓様が付けた監視役の使用人の隙を見て屋敷から抜け出して、こうして急ぎ学院に来たらしい。



「藤次郎君が乗っていたのは知っていたからね。彼の役目は、代弁なんだ。苓が忙しい時や大事なことが重なっていけない時に、彼が代わりにそこに行き、場を持たせるんだよ」



藤次郎さんは、苓様の代弁者らしい。私がミツさんに頼んだ事と状況は違うが同じようなもので、代わりの人を寄越したのだ。




「それはなんとも…大変、助かりました。私も苓様が学院に寄るとは思わなく、少し前にここに来て、先に学友に頼み苓様に会わないようにしようとしていました」



簡単に私からも雪都様に自宅で起きた事を伝える。



雪都様は鋭い視線を虚空に向けて、冷笑した。



「…ホント、食えないな」



小さく呟いた声は低く冷たい。



そこにはやはり、兄弟としての情などがない。


その冷たい態度を見て複雑な気持ちになると、彼が不意にこちらに視線を戻し、ギクリとした。


だが、彼は苓様に向けるものとは違う温かみのある笑みを浮かべて、


「橙子さん。苓の事はさておき、僕らは僕らで作戦を実行しようか」



そう楽しげに、告げてきた。


「え?」と驚いてみると、


「まずは、そうだな…。『女学院近くの喫茶で仲睦まじく談笑する二人』を、新しく『手を繋いで歩く二人』という項目に置き変えて、演じてみようか」



そう先程とは違って、雪都様は優しげに私に手を差し出した。



「え…?あ、あの、このままするのですか?」



唐突に作戦を開始した彼に戸惑う。


「うん。ほら、さっきみたいに一方的ではなく、ちゃんと恋人繋ぎをして、表通りを歩くのだよ」



どこか楽しげにニコニコ笑って、彼は私の手の方へ、自分の手を伸ばした。



「わ、わ、わかりましたっ」


急な雪都様からの接触は戸惑いと恥ずかしさが大きいので、私から雪都様の手に触れた。



「んっ…!うん、いいね。ああ、でもこれじゃなくてね。こうして、指を絡めて…」



スススッと慣れた手つきで指を一つ一つ絡ませる。



ぞくりと、なんとも言えないモノが背筋を這って、恥ずかしさに顔が熱くなった。



雪都様は全部の指を絡ませると、見えるように私の顔の前へと繋がれた手を持ち上げた。



「これが、俗に言う『恋人繋ぎ』だよ」



…それを知らない私は、世間知らずかしら?


女同士の手繋ぎは見たけれど、こんなふうではない。



「こ、これが…っ。あの、雪都様。私には初めてでして…その、ごめんなさい!こういうには疎いのです」


動揺して頭が回らない。


自身の顔はきっと情けない顔をしているだろう。


「大丈夫だよ。ちょっとここ辺りを散歩するだけだから。女学院の知り合いに会ったら、僕らはお互い想っているのだと見せつけてやればいい」


そんな自信たっぷりに言われても、初めての事だ。


「それに、こうして仲睦まじい証拠を出せば、僕らの噂も落ちつくだろうし、苓にもそうだと分からせる事ができるんじゃないかな?」



続けて彼が、噂になっている私達の不仲説を持ち出した。


私はそれを聞いて、一瞬固まってしまった。



雪都様が女性を連れて来た事で、周りは雪都様が身を固めるつもりがないだの、未だに女子と遊ぶのに夢中なのだと、相手に不満があるのだとか…あの御披露目会に出席された人々の中でそのような噂が立ってしまった。


そのため、私達のことが記事にならなくても、周囲にはすぐに私達の不仲説が広まってしまったのだ。


だから、これは雪都様がその場の状況で思いついた提案…いや、これは打算に近い。



当初の目的は、喫茶店で仲睦まじくしている私達を見せつける事。周りの目に、私達は本当に婚約者であり、熱々な恋人同士のように仲睦ましく、不仲ではない事を伝える。それがどんな形にせよ、苓様の耳にも入るように仕向ければ、私達は結婚に賛成なのだと、彼にそう思わせるのだ。


それには雪都様の気持ちなどはなく、恋人のように甘くて楽しい、仲睦まじい二人の姿を見せつけるつもりもない。遠回しにこれは当初の目的通り、演技をすればいいのだと、彼はそう言っているのだ。



本気で今、少し浮かれていた事に、急に恥ずかしくなった。



「…そ、そうですよね…!ははっ、ごめんなさい。私ったら…っ」



思わず声が上擦り、乾笑いすると不自然に思ったのか、微かに驚く気配。



「橙子さん……これも、夢のためだと思えばいい。君も僕も、自由が欲しい」



彼は言葉を慎重に選ぶように、私に真剣な表情で言った。



「あ…え、ええっ、もちろん!」



言われて、ハッとする。


夢のために、私は結婚を反対し、苓様の目を欺こうとしている。



また、それを忘れていたような自分に驚き、微かに動揺した。



「僕等は知り合ってまだ浅い。でも、君のことは少しは理解できたと思っている。君のしたいことにも、応援している。橙子さん」


…行こう。


そう、雪都様は握る手に少し力を込めて、前を向かれた。



咄嗟にそれに応えるのを戸惑い、口にする事なく前を向き、足を動かした。




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