第5話 避けるべき時に

雪都様の新たな作戦は、仲睦まじい私達の姿を苓様に見える事だ。



でも、今日雪都様と会う所を見せては、逆に疑われる可能性がある。


私達が会ったのは昨日が初めてと、苓様から見ればそうなるはずだ。



なのに今日、苓様に雪都様と会っている所を見せては、雪都様の作戦も無駄になり、私達がしていることも気づかれてしまうだろう。



「ややこしいけど…はぁ、仕方ないわ。昨日の今日でバレる可能性がある」



慎重に行くのが、今は得策である。私もそれくらい分かるし、昨日雪都様もそんなことを言っていた。



「坂は行かないわ。あの、脇道の店の裏でお願いします」



学院は少し坂を登った場所にあり、校門坂となる並木通りは人通りが多い。



「脇道の?…ああ、右ですか。了解です!」



言われたとおりに、俥夫は動いた。



息を弾ませ、額に汗を滲ませて、彼は慣れた動作でスルスルと脇道へと入って行った。




「ああ、そこで、ここでいいわ!」



敷物店に差し掛かると私は声を上げて止めた。



俥夫は動かしていた足を止める。



私は降りて「ありがとう」と乗金を渡すと、「またのご贔屓に!」とニカッと晴れやかに笑い、疲れを感じさせない元気さで帰って行った。




「さて、私も頑張りますか」



小さく拳を握り、女学院へと足を運んだ。



坂道から校門にまだ誰も生徒の姿を見ていない。



校舎へと向かわず、道場へと向かった。今日の最終授業は薙刀の指導だ。今なら同級のミツさんがいるはずだ。



更衣室の方に行くと、学生が着替えている。ミツさんの姿もあった。



「ミツさん、ミツさん」


私はミツさんの姿を見つけると、彼女を呼んだ。彼女はキョロキョロと周りを見て、入り口にいる私の姿を見て驚いたようだ。



「橙…加茂さんっ。今日はお休みだったはずでは」


こちらに駆けてきた彼女が真っ先にそう言った。



「ええ、そうです。今日はお休みをとったのですが、少し急用が出来まして、あなたに会いにきたのです。少しだけ、お時間頂けないかしら?」




「え?ですが、今から…」



周りを気にしながらミツさんはそこで言葉を止めて、ある女学生を見つけると、そちらに駆け出す。



「ああ、柚さん。すみません!」




そして、二、三度何かを話して、ミツさんが頭を下げると、再び私の元に戻ってきた。



「お待たせしました。これで、時間が空きました。その様子からして、切羽詰まっているようですね。ここではなんですし、話しやすい場所に移動しましょう」



気を利かせたのか、ミツさんは私の顔色から何かを感じ、時間を空けてくれた。私はお礼を言って、早速だが、そこから離れて校舎裏へと向かった。




「橙子さん、一体どうされたのです?」



ミツさんの言葉に申し訳ない気持ちになりながら、



「ごめんなさい。どうしても、あなたの協力が必要で…。あの、実は今日、昨日の事で、苓様が我が家に来ましたの」



「ああ、それはそうでしょうね。では、やはり、昨日の事を謝罪に?」



「そうなのです。雪都様の事で謝罪に来てくれました。それはいいのですよ。私、あなたにも申した通り、気にしていません。ですが、困ったことが…っ。あの、苓様が多分、学院に来るかもしれないのです」



ミツさんが微かに目を開き、



「苓様がっ?…ですが、何故です?橙子さんに謝罪に来て下さったのでしょう?」



もっともな意見を告げてきた。



私はうっと言葉に詰まらせたが、すぐに困ったように顔を顰める。



「実は私…、苓様とは直接お会いしていないのです。両親が、顔を合わせる事を許してくださらず、あのようなことがあったから、私は会わない方がいいと、先ほどまで部屋に閉じ込められていたのです」



「まぁっ!それは…た、大変な思いでしたね。でも、それなら橙子さんは何故苓様がここに来ることを?」



「じ、女中に聞いたのです。志津祢から。両親は私を部屋に閉じ込めている事を苓様には話していません。女学院にいると話したのです。それで多分、苓様は直接私と会うつもりで、帰る間際に、私の事を聞いていたのです。でも、私はまだ苓様に会う勇気がなくて…」



弱々しく困ったように、彼女に訴えた。



嘘をつくのは気が引けるが、今は彼女が頼りだ。



「つまり、橙子さんは苓様と顔を合わすのを避けたい、と言いたいのですね?」



話がわかる!でも、はっきりと申した彼女に、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。




「え、ええっ、そうです。雪都様のことは覚悟しておりましたが…苓様となると話は別です。あんなによくして下さったのに、会いたくないからと逃げ出すのは失礼です。もうどうしたら良いのか分からなくて…」



これはホント。



ミツさんは私の言葉に考え込むように、「う〜ん」と唸って、ふと、何かを思いついたのか、ハッとした。



「それなら、いい事を思いつきました!橙子さん、苓様の事ならお任せください。きっと彼、学院に来るなら騒ぎとなるので、裏門から来るでしょう。学院にいるあなたを理事室に呼んでくるに違いありません」



「ええ、きっとそうなると思います」



「そうですわね…。それなら、私が代わりに、行きます。橙子さんが会いたくないとは言いません。体調が悪くなり、早めに帰りましたと、そう告げて時間稼ぎをしましょう。忙しい方ですし、今日はそれで、会う機会がなかったと諦めるでしょう」



「…っ!!ありがとう、ミツさん!助かります!苓様が来たのなら、申し訳ないですが、よろしくお願いします!」



ミツさんが協力的で助かった。



会いに来ても、雪都様と鉢合わせにはなるまい。彼と会うのは学院の外の喫茶だ。



あそこには、多くの女性…学院の人も来るところだ。見せつける、といい方は悪いが、楽しそうな姿を見せれば、昨日の件も誤解されずに済むし、周りから皆に私達の関係はそれとなく良好なのだと、伯爵家の対面も変わるかもしれない。



…何度もお礼を述べて、私はミツさんとそこで別れた。



少しだけ校舎外で時間を潰すと、授業の終わる鐘が鳴る。下校者が玄関から帰る姿を見て、私は知り合った同級生に会う前に、学院を出ることにした。



今からなら、待ち合わせ場所に時間通り着くだろう。



普段着の着物に、風呂敷に包んでいた他所行きの外套。髪を整え、簪をつけて、紅を入れた。



「…橙子様!」



不意に、聞こえた呼び声。



弾かれたように振り返って、私はミツさんの言葉を思い出しながら震えた。




『騒ぎとなるから、裏門から来るでしょう』




…私も思い、正面門から、下校者の学生に混じって出てきた。



「ああ、良かったです!橙子様!」



身に覚えのある従者の顔。



「…あ、あの…?」



顔が引き攣るのがわかる。



「入れ違いにならなくて済みました。私、高良家当主の護衛を務める、明田藤次郎と申します」




高良家の家令の明田家次男。彼は苓様の、用心棒だ。



「え、ええ。存じております。あ、あの…こちらで何を?」



「申し訳ございません。このように突然、門前で出迎えまして…。実は、私のご主人様が、あなたを高良家にお連れするように、と言付けを承りまして。昨日の、雪都様の件で」




…ここでさっと知らん顔で逃げるのは、さすがに無理がある。



下校者がいる。顔を見られている。



「…た、高良家本宅に、ですか?まぁ、な、なんと偶然と申しますかぁ…」



声が上擦ってしまう。逃げ切るためのいい言葉が出てこない。



「馬車を用意しております。今から、ご同行願いますか?」



にこやかに、明田藤次郎が言った。



私は息を飲み、他に何かいい訳はないのかと、ぐるぐる考え込んだ、そのときだった。



スッと、目の前に影が差した。



私を庇うように、誰かが目の前に現れたのだ。



「藤次郎君ではないか?何故、君がここに?」



聞き覚えのある、声音。



高身長に、耳元が隠れた癖のある質素の薄い髪。



「…なっ?ゆ、雪都様!?」



声を出したのは私ではない。藤次郎さんが驚いた声を上げたのだ。


「はぁ〜、全く…彼奴は。藤次郎君。高良伯爵に、言っておきなさい。橙子さんは僕と先約があると、ね」

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