第4話 訪問に欠かせない事

実際、簡単にいくとは思えず、夢はあるが、それを諦めている自分もいた。深く思うことはなく、そこまで真剣ではなかった。



自分から提案したあの案も、正直に言えば、真っ向から苓様に聞く勇気はなかったのだ。



でも、だからといって雪都様の案が上手くいくとは思えないが、御披露目会でハッキリした事はある。



雪都様が言っていた。



苓様は想像以上に私達の結婚に力を入れている。



『今日の所は、帰った方がいいね。多分あいつ、君の家に謝罪に行くだろう』




……御披露目会の後の雪都様との話しは、そこで終わった。



その翌日、今日。早速、高良家当主が、私の家に訪れた。



薄い灰色のベストとジャケット。胸元のポケットには紺のハンカチを折り、入れている。



屋敷に訪れたのは十三時頃だった。



「今日はお会いして頂き、感謝します。昨日の事は、誠に申し訳ありませんでした」


使用人に客間に通され、両親と顔を合わせるなり、彼は頭を下げた。



両親はあんな形で終わってしまったあの御披露目会でご立腹だ。



「…どうぞ、こちらに御客席下さい」



お父様は不機嫌さを隠しきれないまま、まず彼を向かいの席に座るように進めた。



「…失礼します」



席に座る苓様を見届けてから、お父様が早速話を始めた。



「今日は、昨日の事で、謝りに来たとの事でしたね。ですが、伯爵。これは謝って済む問題ですか?あんな屈辱的な行為、あっていいのですかっ?」



お父様のその声はいつもより低く、彼を見つめる目は険しい。



「ええ、ごもっともな意見です。昨日の事は私の、監督不行届でした」




彼は深々と謝り、お父様の言葉を受け止める。



「まったく、どういうつもりですの?あなたの兄君の雪都さんは、娘との結婚を考えていないようですわね。女の方を連れて来るなど、前代未聞だわ」



お母様も怒りに任せ、お父様の言葉に便乗して言った。



「…御息女が愚兄の行いで傷心し、対面にも傷をつけた事には深くお詫びします。許されないと分かっております」



苓様は申し訳ないと、また頭を下げた。



「それなら、もう用はないはずです。そちらとは縁がなかった。娘にはもっと釣り合う相手を探します」


両親も今回の件で結婚破棄を考えているようだ。私はこの結婚事態に反対だが、これはこれで一石二鳥だ。



だが、昨日雪都様の言っていた事を考えると、この人が私のような身分の者を雪都様の相手に選んだ理由が気になった。



こうして現れたのも、訳があるからだ。


「ええ。とても素晴らしい娘さんです。それ相当の相手がお似合いだと、思っております。ですが…私としても簡単には、この結婚を破断させる事はできません。…あれを、お忘れではないでしょう?」



その言葉に、両親の顔色が変わった。ハッとしたように表情を強張らせる。



苓様は真っ直ぐ二人を見つめる。



「そ、それは…」



お父様はお母様と顔を合わせソワソワした。



「今更破棄することは、すぐにでも例のモノを返すという意味です。今の加茂家に、あの約束は果たせますか?」




スッと細められた、冷たく鋭い眼差しが両親を探るように見る。



私にはわからない話だ。



「伯爵っ、それは…!」



ハッとしてお父様が苓様の方に向き直り、言葉を荒げるように叫ぶ。



どうやら、両親達のこの狼狽振りから、この結婚には重要な秘密が隠されていたのだ。



隣の部屋の扉からこっそりと、彼らの様子を伺っていた私は、このタイミングで出ようか出るまいか迷った。



加茂家と高良家との間に何があったのか?



「わ、わかりました!結婚は破棄しない!あの約束もちゃんと守ります!」



お父様は青ざめたまま、先ほどとは打って変わって下手に出た。



お母様は不安そうな表情で苓様を見つめると、



「私達はただ、今後も雪都さんがあのような態度に出るのか心配なのです。これでは結婚どころではありません」


弱々しくそう告げた。


雪都様の行動が気になるようだ。



無理もない。




「…私も少し言いすぎました。そうですね…兄には、私も頭を悩まされています。ですが、どうにか説得するつもりです」



苓様はため息をついて、少し疲れた様子で答えた。



両親が不安になるのも、苓様にはよくわかっているのだ。



「そうだ、これを…。今回のことはこちらに非があります。ささやかな気持ちですが…」



ふと、彼が思い出したように、懐から封筒を取り出し、机の上に置いた。



両親は、その封筒を見て、微かに顔が綻び、お父様がごほん!と咳払いした。



「…ま、まぁ私達も、これ以上不満を言うつもりはありませんよ。対策があるのなら、待とうではありませんか!」



弾んだ声で、にやけるのを隠しきれない様子で告げた。



私はあの封筒に何が入っているのか、わかった。



両親は単純だ。



腹を立て文句を告げ騒いでも、あの封筒一通で、簡単に機嫌が治る。



苓様はそういう事をしているのには、慣れているようだ。



「そうですか、よかったです。ではこれからもよろしくお願いします。必ず私が兄に、この結婚に興味を持つようにするつもりです」



その言葉は自信満々に聞こえた。



「は、はい。では、よろしくお願いします」



両親が頭を下げる。



話はそこで終わったようで、苓様がゆっくりと立ち上がった。



「では、今日はこれで失礼しましょう。後日また、こちらから連絡を致します」



「ああ、はい!では、お送りします!」



両親も立ち上がって、苓様と客間を出ていく。



私もそそくさと扉から離れて反対の扉へと駆けて、慌てて廊下に出た。そこから玄関に先回りして、見えない庭の物陰に隠れる。



苓様の乗ってきた馬車が前門にあり、従者が待っている。



「今日はわざわざお越しいただき、ありがとうございました」


お父様の声がして、三人は玄関から出て、門の方に歩いていく。



苓様は前門を通り足を止めて、両親へと向き直った。


「今日は本当にありがとうございました。…ああ、それと…。橙子さんは、まだ学院にいらっしゃいますか?」


ふと、私の名が出て、ドキッとする。



「えっ?娘ですか?まだ、この時間なら学校ですね。今日の朝に出かけたのを見ております」



お母様が思い出すようにそう答えると、苓様は微かに笑みを浮かべてゆっくりと頷いた。




「そうですか、ありがとうございます。では、今日はこれで失礼いたします。先ほども申した通り、後日また連絡します」


軽い会釈をして別れを告げると、今度こそ苓様は両親に背を向けて、馬車に乗り込んだ。



両親はそのまま馬車に乗る彼の姿を見送る。



私も見送りつつ、先ほどの苓様の言葉が気になって、急ぎ裏庭に向かうと、人力車がある表通りに向かった。



あの様子からして、彼はきっと、私に会いに行くつもりだ。



人力車が見えると、私はその俥夫に声をかけた。



「すいません。少し急いでいるんですが、〇〇女学院までお願いします」



「あ、はい!女学院ですね」



「ええ、急ぎで、お願いします」


「はい!では、しっかりと捕まって下さい」



俥夫は元気に返事をすると、人力車に乗った私を見てから、たくましい腕と足を動かして走り出した。



女学院ではまだ授業が行っている時間。終わるには一時間程度はかかるだろう。



走らせば、間に合う。だが、その前にしなければならないことがあった。




「…はぁ。苓様は私に何の用かしら?」



ある程度予想はつくが、このまま学校に行ってもらっては困る。



実はこの後に、雪都様と会う約束をしている。今日、苓様が両親とどんな話をしたのか、彼に教えるためだ。




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